【第四夜】計算違い
真夜中に目が覚めた。
隣にいるはずの忠幸さんがいない。耳を済ますと泣き声が聞こえてきた。
また、美優の夜泣きか……毎晩、毎晩なんであんなにあの子は泣くんだろう。美幸の方は夜泣きもせず朝までぐっすりなのに。
子供がこんなにも面倒なものだとは思わなかった。
あたしはただ『専業主婦』になりたかった。相手は誰でもよかった。経済力さえあれば誰でも……そう、本気で思っていた。
「結婚しよう」
あたしが妊娠したことを告げると忠幸さんの口からは、予想通りの台詞が返ってきた。あたしは戸惑っている表情を作り、返事をせずに俯いた。
「妻とは別れる。一緒に子供を育てよう」
忠幸さんがあたしの肩を掴んで力強く言う。
「3人で、幸せになろう」
あたしはゆっくりと顔を上げ、涙を浮かべながらコクリと頷いた。
けれど……産まれたのは双子だった。それだけは少し、計算違いだった。
あたしは昔からボーッとしているのが好きな子供だった。小さい頃から夢はずっと『お嫁さん』。周りの友達のように、ケーキ屋さんだとか、マンガ家だとか、お医者さんだとか、将来なりたい職業なんて全く思い描けなかった。
結婚して誰かに養ってもらえればそれでいい。なのになんでか、付き合う男はみんな夢追い人のフリーターばかり。結婚なんて夢のまた夢だった。
短大卒業後、就職したての頃に友達がセッティングした飲み会で知り合って付き合うようになった優也は、最初はアルバイトをしながらバンド活動をしていたのに、いつの間にかただのヒモになっていた。
でも一緒にいるとなんだか憎めなくて世話の焼きがいもあって……こんなはずじゃなかったって思うのに、なかなか別れられずにいた。
そんなある日、あたしは忠幸さんに出会った。当時あたしは眼科の受付で働いていて彼はそこに患者としてやってきた。保険証を見たら事業所名称の所に一流企業の名前が見えた。
この人に決めた、そう思った。
あたしはわざと保険証を返さずに会計を済ませた。彼が帰った後、しばらく時間を置いてから連絡先に書かれていた携帯電話の番号に電話をかける。「明日、遅い時間なら取りに行けます」と言う彼を病院で待つことにした。
けれど翌日、七時を過ぎても彼は現れなかった。再度電話をかけると「急に残業になった」と、申し訳なさそうに電話口で謝る彼に、一時間くらいなら遅れても大丈夫だと伝えた。
あたしは彼が来るまで、寒い中、病院の前に立って待っていた。そこへ彼がやってきた。
外で待っているあたしに気付いて慌てて駆け寄り頭を下げる彼に、あたしはさらに深く頭を下げて、保険証を返した。あたしの冷たくなった指先が彼に触れた。
「本当にすみませんでした。それでは、これで失礼します。」
そう言って帰ろうとするあたしに、彼は待たせてしまったお詫びにと食事に誘ってきた。あたしは、自分が保険証を返し忘れたのだから当然のことだと断る。
「でも、こんなに手が冷たくなって……」
彼はあたしの手を掴み、慌ててまた手を離した。
「ほら……晩飯、まだ食べてないでしょう?自分もこれからなんで、奢らせてくださいよ」
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて……」
あたしは俯きながら、彼の少し後ろをついていった。……内心、ガッツポーズを作りながら。
最初は、自分から返し忘れたお詫びにご飯に誘う予定だった。自分でいうのもなんだけど、ルックスだけは自信があったし。けれど、彼が残業になったと聞いて、これは逆にチャンスだと思った。
彼は計算通り、寒い中待っていた私を誘い、私は誘われた形になった。結局、近くの居酒屋へ入る。会話をしていくうちに、彼が既婚者だとわかり最初はがっかりしたけど、子供がほしいのにできなくて奥さんとうまくいってないという話を聞き、あたしは内心ほくそ笑んだ。
それからは優也とつきあいながらも、時々忠幸さんと会って体を重ねた。そうして数ヶ月後、計算通り妊娠、そのことを告げると優也は翌日から帰って来なくなった。そして、忠幸さんに妊娠した事実だけ伝えた。
全て計算通り。あたしは夢に描いていた『お嫁さん』になれた。これ以上の幸せはない……はずだった。
なのに何でだろう?ちっとも満たされない……。
子供は全然かわいいと思えない。仕事もやめて、専業主婦になれたのに、家事も全くやる気にならない。毎晩遅く帰ってくる忠幸さんに合わせてご飯を作るのも面倒だし、正直あまり話もあわない。全てを手にしたはずが……前よりも満たされていなかった。
ふと、美優の顔を見る。美優は珍しくご機嫌で、抱っこしてやると嬉しそうに笑った。その瞬間、優也の笑顔が思い出され、途端に涙が溢れた。
一番の計算違いは……あたしの優也に対する気持ちだった。
あたしは美優の体を力いっぱい抱き締めた。びっくりして美優が泣き出す。昼寝をしていた美幸もその声に驚いて泣き出した。
あたしも無性に悲しくて、二人に負けないくらい大声でわんわん泣いた。
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