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爆笑!上野千鶴子未亡人発覚で〇ぬ『正しいフェミニスト』。(お嬢様フェミニストの系譜とは?)

花璃です。
個人的にめっちゃウケる〜と思った上野千鶴子さん入籍発覚で吠えるアンチフェミと押し黙るフェミニストアライ↓。

わたしが千鶴子を知った20年前には既に
「あいつは事実婚」
って言われていた(わたしが大学生の頃、アカデミアの千鶴子嫌いのおじさんたちの間ではよく知られていた)のでパートナーがいらっしゃることは知っていましたが、まさか大先生が『入籍』なんていう愚者の所業に手を染めるとは笑
全体的に千鶴子愛に溢れているので苦手な方は回れ右でお願いします。

自らの不倫で結婚制度の欺瞞に気付いた(?)千鶴子

マルクス主義フェミニスト(だから制度解体を志向する)を標榜されていましたが、結局法律婚を解体せんとした言説の根源が、千鶴子のお相手が不倫略奪で妻が離婚に応じてくれないとかだったら笑う。

●日本では『結婚』が形骸化しており、夫側は貞操義務も何もあったものじゃないし、妻側は性愛が全くないのに金にしがみついている!
●女も自分の性欲に正直になって、自分の好きな男とセックスすべき!キモいと思う男とATM婚なんかするな!(自ら経済を持つべき)

という主張は分からないでもないですし、本流のフェミニズムであるとは思うのですが、それに付随するとある主張が一部男性に刺さり過ぎて一生恨まれている千鶴子。

代表作・「オタクはオナニーしながら死ね」

オタクの男性張本人たちが千鶴子を銅駝の如く嫌いながら自ら繰り返す
「オナニーしながら死ね!」
彼女の主張の根幹には、女性の性的主体性・経済的自立があるので

●女も選ぶ権利があるんだから、キモい男には相手が見つからなくて当然!キモオタは迷惑かけずにオナニーしながら死ね!

というのは筋が通ってると思うんだけど、本当にそんなこと言ったのか?というのは今日の今日まで知らなかったので調べてみました。

『バックラッシュ!』という社会学のアンソロジーみたいな本で対談?
上野千鶴子・宮台真司・斎藤環・小谷真理という面々だけで胃もたれしちゃう。

 ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。そうすれば、ノイズ嫌いでめんどうくさがりやの男を、再生産しないですみますから。
 ただし、そうなった場合、彼らの老後が不良債権化するかもしれませんね。ところが、彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。子どもって、コントロールできないノイズだから。ノイズ嫌いの親のもとに生まれてきた子どもにとっては受難ですよ。そう考えてみると、少子化はぜんぜんOKだと思います。

よく分かりませんが、抜粋してくれたブログ主(?)の主張もあったので抜いておきます。

 ひどい。これがフェミニズムを代表する論客の発言だというのだから呆れる。まず「再生産」という言い草がひどいし、そもそもオタクを「ノイズ嫌い」と決め付け、さらには子どもを作る資格がないといい切るところは、差別言説以外の何ものでもない。
 オタクについてなんてろくに知識もないだろうに、なんでこういうことを言うかなあ。子供が親の「再生産」でありえないことをまさかわかっていないわけではないだろうが、卑しくもフェミニストを名のる人間が平然とこういう発言をしてしまうあたり、うんざりさせられる。

笑笑!
その頃オタクはコスパコスパ言って
「子供はコスパが悪い」
とか言ってましたやん。

コスト=ノイズ

でしょ?
コスパコスパいう時点でケチ臭い男だなぁって思うけど、おばさんになんか言われたくらいでピーピーギャーギャー喚いてるのがキモすぎて笑
「BBAが言ってんなぁ笑笑」
くらいに流せばいいのに。
自分らは
「フェミはブスBBAの嫉妬」
とか平気で言うのに、
「キモオタは遺伝するから子供作るな」
はNGなんですね。
まーでも、これは優生思想だなと思います。
こういうの良くない。
少なくとも、どんな人でも結婚したいとか子供を持ちたいとか思っていいし、一人で幸せに生きたいと思ってもいい
千鶴子は選民思想剥き出しすぎ。(千鶴子らしいけど)
第二次世界大戦ではドンパチやってた(大祖国戦争)らしいけど、ナチスもマルクス主義も行き着くところは同じなんだね。

『選ばれし』上野千鶴子「平等に貧しくなろう」

千鶴子のもう一つの代表作が
「みんな平等に貧しくなろう」
です。
日本が人口減少を始めた2017年、少子化がもう他の施しようがない中、大量移民か衰退かの公開質問状への回答です。

みんな平等に貧しくなろう

検索したらご本人の言い訳?が載っていました。

ブログ名ワロタ。
ちづこのブログ笑
きゃわ♡

日本人のゼノフォビアは凄まじいので大量移民には耐えられないだろうから、移民は受け入れずにこのまま衰退するのが平和で良い

みたいなお話でした。
そもそもが千鶴子は少子化対策なんて眼中にないので(前述の「オタクは再生産するな!」発言)言ってることはまあ、ブレてないと思います。
しかし、入籍報道で暴かれる私生活にはこんなツッコミが。

「みんな平等に貧しくなろう」と言いながら、自らはタワマン、別荘、BMW生活を送っていたことで有名な上野千鶴子大先生は、「みんなおひとりさまになろう」と言いながら、自らは結婚もしていたらしい。ようは徹底してビジネス左翼だったってわけか。

別荘BMWは知らなかったけど、タワマン住みなのは知ってた(東大入学式祝辞が大炎上したときに話題になっていた)し、千鶴子が元々リッチなお嬢様なのは周知の通りなので
「さすが、良いお暮らしだなぁ」
としか思いません。

しかし、なんだかんだ言ってこのように発言して戦ってこれたのは、裕福な家庭に生まれ、父親に愛され、兄弟から学び、才能があって、というバックグラウンドあってのことで、生活のために働くということをしなくて良いという状況のなせるわざだ。上野千鶴子はそれを自覚してそのように書いてもいるだけマシだが。

そう、上野千鶴子は現代の貴族。
開業医の娘に生まれて、父に反抗して医学部進学を拒み、
「医学部以外なら、京大なら行っても良い」
と言われて京大で学生闘争に明け暮れていた
らしい。

大学闘争に時間を費やし、私怨で女性学を育てた

京都大学に入った理由?簡単に言うと、親の家を出たかったからですね。当時は金沢に住んでいて、父は内科の開業医で、典型的な日本の家父長でした。私は高校の理系進学クラスで学んでいましたが、地元の大学の医学部に進めば、親の家を出ることができません。そこで父は、すでに進学して関西に住んでいる兄と同居するなら家を出てもよいと。兄の下宿先から通えて、なおかつ授業料の安いところが京都大学だったのです。

社会学を専攻したのは消去法でした。文学も語学も興味がないし、過去を相手にする歴史もまっぴら。社会学は当時、勃興中の学問でした。何を学ぶのか見当もつきませんでしたが、その新しさに惹かれたのかもしれません。ところが、入学したその年に大学闘争が勃発。大学はバリケードで封鎖され、私はその裏でおにぎりを握っていました。バリケードの中で暮らしているようなものでしたね。私も大学解体を叫ぶ側にいましたが、誰しもが勉強どころではない。そういう時代だったのです。

大学院に進学したのはモラトリアム(社会に出る期間を延長する執行猶予期間)が動機でした。大学闘争は敗北に終わり、就活するのも朝起きるのさえもイヤで、今後の人生を思うとお先真っ暗な状態。そんなときに出会ったのが「日本女性学研究会」という、ウーマン・リブ運動の影響を受けてアメリカで生まれた研究を積極的に推進しようとする民間団体でした。友人に誘われて「1回だけ見てみよう」と軽い気持ちで参加したら、もう目からウロコでしたね。女性が自分自身を研究対象としてよいのだと。それまでの私は、学問研究は常に中立的・客観的でなければならないと思い込まされてきました。このときに、自分を研究対象にできると気づいたことで、初めて自発的に何かをやろうという気になりました。

当時はもちろん『女性学』という学問は存在していませんでした。だから、研究ではなく“趣味”ですね。それでも勉強し、論文を書き、学術誌を作り、仲間と共同研究に取り組みました。学界では女性が担った女性研究は「主観的だ」と批判されました。当時は、歴史学者のおじさんが平然と「女と民衆に歴史はあるのかね」と発言していた時代です。歴史上のエリートは全員男性で、女性の肩書は常に“○○の妻か娘”だった。では、男性が女性研究に取り組めば客観的になるのか、というとそうではない。女性蔑視か、はたまた崇拝の対象にするか、いずれにせよ妄想のかたまりじゃないかと思いました。こうした妄想を一つひとつ打ち砕き、地道に種をまきながら、自分たちの手で『女性学』を育てていったのです。

千鶴子の生き方は実家の太さがあったからこそ

千鶴子は本人にじゃじゃ馬お嬢様の素質があったにしろ、消去法で社会学を選んで大学闘争バリバリやった後にモラトリアム満喫しながら趣味の女性学で東大教授に成り上がる、その背景には典型的な北陸の家父長だった千鶴子パパという、太い実家の存在が不可欠だったことは間違いありません。
もし、千鶴子の実家が細かったら、院進せずに元学生運動闘士の同窓男性と結婚して夫に不満抱えながら三人くらい子供産んでワイドショー見ながら不倫女を叩いていたことでしょう。
実家が太くて金銭的に自由だったからこそ遊学して趣味の女性学を学問としてぶち上げるという偉業をやり遂げられたというのは絶対にある。
日本のフェミニズムの半分は千鶴子パパが作ったと言っても過言ではないと思う。

選ばれし千鶴子と迷走する『正しいフェミニズム』

千鶴子パパという北陸の家父長に支えられて産声を上げた日本のフェミニズムは、女性の社会進出が進む中で
『家父長じゃない父のもとで生まれた娘が男女同権時代の女性の生き方を考える学問』
へと急速に変化します。
『女性の生き方が多様化する時に女性の生き方を考えるフェミニズム』
『専業主婦という生き方を生き方の多様性として受容するフェミニズム』
こう並べて書くと、今どきフェミニズムなんか学ぼうと思う女学生は

●未だに家父長制的価値観が健在なドイナカ出身の時代錯誤な価値観の持ち主
●『専業主婦志望』などの時代錯誤とされるライフスタイルへの志向があり、それを正当化したい?
●『正解の人生』が欲しいタイプのいい子ちゃん

妄想

の3タイプのどれかに当てはまるんじゃないかなと思われます。
Twitterなどによくいる下記のタイプは女としての旨味がなくなってから(あるいは初めから旨味がなくて)聞き齧りのフェミニズム()でルサンチマンを晴らしている感じがするので大学にはいなさそう。

●『自分は男に媚びない先進的で特別な女』という優越感に浸りたい拗らせ喪女(自分はモテてないわけじゃなく、男に見る目がないと思っている)

●抑圧されてないのに主体的じゃないパターン

「私は結婚してるフェミニストは好きじゃないね」「女に性欲があるって認められなくて、何が現代のフェミニズムだよ」
なるほど。2時間にもわたるインタビューを通して、上野先生の中には理想のフェミニスト像があるのが垣間見えた。それは、性に主体的で、オープンに話し、かつ結婚をしていないフェミニストである。まるでそうでない女性は皆社会に抑圧されている、とでも言いたげのように感じた。声音がとにかく批判的な色を帯びているように感じて、わたしはあの場にいるのがとても苦しかった。

「フェミニストを名乗る資格ない」と宣告された気持ちに

もちろん上野先生は「正しい、正しくないではなく、好き嫌いの話だ」とおっしゃっていたが、それでも権威のある人物の好き嫌いは、ある程度の正しさ、正しくなさに近しいプレッシャーを与える可能性が充分にある。実際、わたしはその理想から対極にいるようなタイプだったので、それらの発言がとてもショックだった。「お前にフェミニストを名乗る資格はない」と宣告されたような気がしてしまったのだ。

でも、わたしがそのようなタイプであるのは、別に社会から強制されたからではない、とわたしは思う。わたしがわたしとして今の自分と社会について考えた結果である。きっとわたしが男性でも同じだっただろう。だから、抑圧されていないのに抑圧されていると受け取られてしまったのが、わたしにとってはひどく不本意な出来事だった。


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