自分の想像力をあてにせず、現場へ片足を突っ込んでみる。
想像力は人間が持つスンゴイ能力だと思うんですが、ぼく自身、『自分の想像力』をあてにした決断の結果、大変な目にあった(あわせてしまった)ことは一度や二度ではありません。
就職も、転職も、大事な商談のプレゼンも。誰かへのプレゼントも。
「それ、好きな色じゃない...」と大事な人へのプレゼントを外してしまうのはかわいいものかもしれませんが、自分やまわりの人生を左右する決断なら一大事。
想像力を鍛える...こともできると思うのですが、そもそも自分の想像力をあてにしないで、やってみる、体験してみる、話しを聞いてみるのが大事だと思うんです。
思ったより「できない」自分
自分の能力や価値観を正しく理解、評価できている人はとても稀だと思います。自分の能力についても、「自分はできる!」の過大評価か「自分はできない...」過小評価のどちらかに偏っている場合が多いのではないでしょうか。
ぼくは、過大評価タイプでした。(一応、過去形です)
新卒で入社した会社を辞め、転職したときのこと。愚かながら「自分はできる」という自己認識を持っていました。(今戻れるなら張り倒したい)
転職してまもなく、『デベロッパーへのコラボ提案企画書』を任されました。提案が通れば、担当事業部の可能性が広がるチャンスとなる機会でした。
その時まで、企画書をつくった経験は一度もありません。ただ根拠なしに『できる』と思っていたぼくは企画書づくりを引き受けて、期日までに仕上がったのは目次と要件程度しか埋められていない内容でした。
結果、コラボのきっかけを掴むことができず、申し訳なく、想像以上に『できない自分』に惨めな思いをしたことを覚えています。
ぼくがぼく自身に向けていた「この仕事はできる」という想像は全くの見当違いで、そこにあったのは企画書の体をなしていない書類と、仕事ができない自分でした。
「自分のこころ」が、一番遠くにある
ある歌人の方がこんな言葉を残しています。
この世でいちばん遠い場所は自分自身の心である
寺山修司名言集
https://publishing.parco.jp/books/detail/?id=349
「思ったとおりではなかった」
「もっとできると思っていた」
あるいは反対に、
「やってみたらおもしろかった」
「やってみたら思った以上にできた」
という経験は一度や二度ではありません。(みなさんもありませんか?)
ちょっと引用の言葉からは逸れるかもしれませんが、「こう思う」という自分自身の想像は、案外、的を外しているものです。
例えば、大事な商談でのプレゼン。
脳内イメトレでは完璧なシーンが想像できても、商談当日は緊張で言葉がつまり、時間も押して散々な結果に...ということも。
例えば、転職。
「自分はその環境で成果を出せる?合っている?そこで働く自分はどんな心境になる?幸せ?」かどうかは、しょうじき、「やってみないとわからない」ことが多い。なかなか想像が難しいと思います。
「できる」と思っていたことが、「できない」
「できない」と思っていたことが、「できる」
当初の想像とは違う結果になることがあるからこそ、プレゼンでは、事前にリハーサルをする。(すごく当たり前のことですが)
転職では、体験入社や最近入社した人に話しを聞く。あるいは、気になる業界や職種の仕事をプロボノ、複業で経験をしてみる。
そうやって、「実体験」をしてみることで、脳内の想像では想定しきれなかった事実や自分の気持ちを発見でき、大事な意思決定の参考になります。
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新しい環境に飛び込むとき。
はじめから全てを捧げるのではなく、プロボノやボランティア、インターン、複業。あらゆる方法で片足を突っ込むことは、随分やりやすくなりました。
もちろん、「やるぞ!」と決めたのならば、全てを注ぐことが必要なときもあると思います。
ただ、「自分は何がやりたいんだろう?」「どんな環境で働きたいんだろう?」というのは、ぼくも色々経験してみなければ気づけないことが多かったです。(ぼく自身はあまりスマートなやり方ではなかったですが)
だからこそ、自分の想像力だけを頼りに大事な決断をせず、まずは片足を突っ込んで見る。自分の時間の5%。週に1−2時間からでもいい。
自分の想像力を頼りにしすぎずとにかく「やってみる」ことで、自分の可能性を広げてくれる「機会」に出会えることもあります。コレといった武器や才能が無い...と悩む器用貧乏タイプな人にとって、「まずやってみる」フットワークの軽さはときに強みになるはずです。
春は何かと理由をつけて、新しいことをはじめやすい季節。まずは小さなところから「体験」してみるのはどうでしょうか。
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