宇宙は振り返るのに何秒かかるのか??
ネズミが身体を完全に180度反転させ振り返るのに「0.1秒」くらいだろうか。
ゾウはあれだけ巨大な身体なのだからネズミの様にはいかず、振り返りに「5秒」くらいかかりそう。
人間だと個人差にもよるでしょうが、振り返るのに「0.7秒」くらいでしょうか。
人間はネズミの様に早く振り返る事はできませんが、象の様に長く掛かる事もありません。
同じ、「振り返る」という行動が動物によって時間に大差がある事はとても面白いと思いました。
つまりは、「ネズミ」「人間」「象」はそれぞれ身体の大きさが違うからです。「当たり前だろ!」と思われる方も多いと思いますが、生物学的に時間概念を語る上でとても大切な事です。
即ち、動物にとってのあらゆる行動や生理現象の時間は相対的である事になります。
これは心臓が一回脈打つ時間、呼吸するのに掛かる時間、物を食べてから排泄されるまでの時間、寿命に至るまで顕著に現れます。
例えば、心臓の鼓動でみてみましょう。
心臓が一回脈打つ時間(心周期)は「象で3秒」、「人間で1秒」、ハツカネズミは「0.1秒」しかかかりません。
大きな動物ほどその周期はゆったりと流れているのです。
生物学ではこの様な時間と体重との相関性は「体重が重くなるにつれ、約4分の1(0.25乗)時間が長くなる」と言われています。
時間とは「相対的」であるというのが、この事例でも顕著にみられます。
ネズミも人間も象も、心臓は15億回打ってその機能を停止するのは共通なのです。
相対的な生物時間
人間から見ると小さなネズミは「俊敏」に見え、象などの巨大な生物を大きくゆっくり動いて見えます。(「ゴジラ」の方が分かり易いですかね、、)
「時間」という概念を改めて捉えるためには、普段我々が感じているドクサ(思い込み)を少し取り払う必要性があります。
同じサイズで生きる人間社会でも、時間の相対性を感じる事は用意にできます。一番有名なのがアインシュタインのこの言葉です。
「美人と一緒にいると時間があっという間に過ぎる」by アルバート・アインシュタイン(本当にアインシュタインが言ったのかは裏は取ってません)
逆に退屈な時間は「ゆっくり流れ」ます。日常の中で度々、経験する感覚です。
上記はあまりにも抽象した説明なので、物理的に考察された相対的な時間、即ち「特殊相対性理論」の事例を下記に添付しておきます(興味があれば是非)
人間の寿命は(※2021年3月現在)80歳で、これから100年時代とも言われています。それに比べて、動物の寿命が遥かに短い事を知った時は悲しい気持ちになりました。
犬の寿命は「10〜13年」で、ネズミに至っては「1〜3年」です。人間に比べるとあまりにも短いので、心のそこから人として生まれてきて良かったと思いました(平均寿命がネズミに比べると圧倒的に長いからです)
しかし、その考えはどうやら間違っていた様です。
なぜなら、時間というのは生物の固有サイズによって相対的に流れるからです。
人間の時間概念で「1分=60秒」という物差しはここでは正確ではなくなります。
なぜなら、心臓の鼓動「15億回」という物差しで置き換えれば、人間とネズミは同一の密度を過ごすということになるからです。
「特殊相対性理論」が示す様に、絶対時間というのは存在せず、時空間は相対的であり伸縮するものだからです。
そんな訳で、僕がネズミの寿命の短さに同情していたのは本末転倒だった訳です。
この時間軸をどうのように捉えるという概念は、とても奥深いものと感じました。
サンスクリット語にみる時間概念
時間の概念をぼんやりと考えている中、サンスクリット語に出会いました。
「言葉とはその世界を供述するための手段であり、限界である」などとも言われますが、哲学や宗教観で構築された言葉はとても興味深く、中でも目を引いたのが『kalpa』という単語でした。
『kalpa』とは「宇宙的なスケールで時が過ぎていくこと」を意味します。
『kalpa』は日本語で『劫(こう)』と訳され、面倒な時に使う「億劫」という言葉や「未来永劫」などでの熟語で目にしたりします。
この『kalpa』=『劫』は興味深く、単位として使われる事もできます。
『1劫』はヒンズー教の創造神:ブラフマーの『1日』とされ、我々の時間感覚でいう43億2000万年分に相当します。
あまりに壮大な時間感覚に、目眩すら覚えてしまいます。
宇宙が振り返るのにかかる時間
時間は相対的であるという事実に立ち返った時に、とても興味深い観点が広がります。
それは、人間社会で交わされる『再会の約束』です。
「また、明日ね」
「一週間後に渋谷で」
「一年後にまた、北海道で会おう」
頻繁に交わされるこの言葉たち。私たち人間にとっての「明日」や「一週間後」の再会はとても現実的な時間感覚です。
しかし、これらの期間はネズミにとっては遥かに遠い期間であり、「一年後の再会」に至ってはどれ程の現実味を帯びる事ができるのでしょう。
即ち、ネズミの平均寿命は「1〜3年」ですので、人間でいう一年後の再会はネズミにとっては来世で出会う約束みたいなものです。
これはまた逆も然りであり、人間にとって「10年後の再会」や「50年後の再会」はあまりに途方もない時間に感じられ、現実味が薄れてしまいます。
しかし、神々の視点(例えばブラフマー)=宇宙的概念に立ち返った時に人間の時間的感覚は逆転し、宇宙にとっては人間の「10年後の再会」や「50年後の再会」は、すぐ目の前で起こる事象であり、「人間の生命が巡るサイクル=100年」すらも我々でいう「明日の再会」になり得るのです。
大乗仏教の唯識論
宇宙や哲学を突き詰めていくと、仏教やヒンズー教にある様々な概念に触れる機会が多いのは興味深いです。
なかでも、日本文学を代表する小説家・三島由紀夫がその集大成として書き上げた「豊穣の海」(全4部作)では、生まれ変わりとしての「輪廻転生」や大乗仏教で謳われる「阿頼耶識」をテーマとして構築されています。
肉体は死を迎えて滅びとも、その思想は「輪廻転生」の形態をとりこの世に現れる形式は興味深く、三島由紀夫という文豪が自身の最後の作品で、この壮大な概念を文字により体系化しようとした試みは凄まじく、私自身の概念をも大幅に書き換えてくれました。
ヒンズー教にある言葉に、大変興味深い一文があったので最後にご紹介します。
汝はブラフマーであり、汝はヴィシュヌである。汝はルドラ(シヴァ)であり、汝はアグニ、ヴァルナ、ヴァーユ、インドラであり、汝は全てである。
様々な学問、唯物論、神学、哲学、宗教を読み解いて言った先に、度々にして共通する様な文脈で帰結することがあります。
なんとも感慨深いものです。
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