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フェアトレード から エシカル へ

フェアトレードに出会ってから、10年が経ちました。

初めてフェアトレードを知った時の衝撃は今でも忘れません。
「買い物でできる国際協力」というフレーズがそうでした。

それ以来、自分のなかでフェアトレードというものがどういうものなのか、考え、悩み、時には生産者になったり、生産者に会いに行ったり。
劣悪な労働環境で働いたり、仲間と一緒に活動したり。

いろんな立場に立って「フェアトレード」というものについて考えました。


そして自分なりの「フェアトレード」が出来上がっていったのです。

いま最も芯にあるのは、

フェアトレードは問題解決の手段ではなく、問題提起である。

ということです。


生産者の存在から

フェアトレードを知るまで、
正直、生産者という存在は気にもしていませんでした。

そして、
生産者が劣悪な労働環境や、買いだたきによって
貧しい生活を強いられていること。
子供たちが学校にも行けず、危険な仕事をさせられていること。
大量生産・大量消費の影で環境が破壊されていること。

生産者をとりまく環境や地球環境のことまで、
本当に多くの問題を知ることができました。


まさに「問題提起」だったのです。


「フェアトレードは買い物でできる国際協力」という
最初のインパクトを打ち消すセカンドインパクトだったのです。

自分のもとに商品が届くまで、
どんな人が、どのように作っていて、どうやって運ばれてくるのか。

そこにはたくさんの問題が隠れていたのを教えてくれたのです。


そしていま、ペルー産のフェアトレード珈琲を飲みながら
この文章書いているわけですが、
ここ数年で新しい言葉「エシカル」が登場しました。

エシカルの登場

エシカル消費、エシカルファッションなどありますが、

人や社会、地球環境に配慮して作られたものを消費しようという動きは
SDGsの策定と共に日本でも広がってよく聞く言葉になりました。

これまでフェアトレードに関わってきた身としては、
同じような意味で正直混乱していました。
(なにがちがうねん!文字数は減っていいけど!)

最近になって理解してきたことは、
フェアトレードは、私たちの手元に届くまでのコトがメインで
エシカルは、その先のことを考えている気がします。

というのもSDGsや気候危機の問題と相まって、
環境問題を軸に語られているような気がします。

プラスチックごみなどの海洋汚染や
ファッション産業の環境問題など。

自分たち消費活動が環境にどのような影響を与えるのか。
ゴミの行く末は。

これはとても大事なことで、残念ながらフェアトレードは
チャリティーから発達したのもあってか、
買ったことで満足してしまうという点も残念ながらあります。

しかし、エシカル消費となると、
「環境にやさしい」「人にやさしい」が
もっと広範囲に広がっていて、
それまで日本にあった「もったいない精神」や
「エコ」「リサイクル」などの面が強くなったような気がします。

フェアトレードVer2 といったところでしょうか。


エシカルというバトン


私たちの生活が環境に、人に、社会にどんな影響を与えるのか。

今、個人が、社会が、国がSDGsという目標に向かっています。

フェアトレードを問題提起として、
エシカルは問題解決の手段に近いものだと思います。

フェアトレードが教えてくれたいろんな問題に
エシカルという解決方法のバトンが渡されました。


エシカルな暮らしが当たり前になれば
よりよい未来が作れると思います。

僕らにできることを
今日からはじめよう。





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