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生き合っていくために、

世界中の誰しも、生活が一変した2020年。
実は、コロナとも関係なく、なぜか今年はまだ若い知人の訃報が立て続きました。自粛が始まってから毎日、布団に入っては“このまま目を覚まさない可能性”について想像し、「人生の終焉」について一番考えた年だったと思います。

自分が死ぬまでにやりたいことを実践するべく、創作環境を変えてみようと、東京から離れ、ひょんなことから、長野県松本市に移住したのが、夏のこと。

松本の家は、昔の学生寮のような建物で、今はここに、4、5人が生活しています。
共同生活という響き程に、密な関係という訳ではないのですが、ちょうど、共有スペースで出会ったら必ず言葉を交わす人、しか住んでいないアパートやマンション、と言ったぐらいの距離感で、わたしはこの距離感を気に入っています。

松本でゆるやかな共同生活を送りながら、今の生活には、これから先、社会の中でどう暮らしていくか、その重要なヒントがある気がしました。

同居人たちは皆、フリーランスでそれぞれ全く別分野の仕事をしていて、それぞれ得意分野が違います。
この辺に棚が欲しいね、と話せば、DIYが得意なAさんが次の日には棚を作ってくれたり、ボディケアを仕事にしているBさんのもとに、身体が不調な時はみんな駆け込み、小物を作ったりお菓子を作ったりするのが仕事のCさんのケーキを買ってきて食べたり、部屋のレイアウトがうまいDさんが、共有スペースのうまい使い方を考えたり。

(今書きながら、フィクションを作るくらいしかできない私って、皆に何か貢献できているのだろうか、え、なんもできてなくない? と不安になりましたが…………私の能力が発揮される日も近いうちに来るはず………)

各人マイペースに暮らしていますが、必要なものがあればシェアをして、余ったものは分けて、手伝って欲しいことがあればお願いしあって、ゆるやかに過ごしています。

この先、結婚しても結婚しなくても、
老後、一人で過ごす可能性は十分にあります。

孤独死してしまった方や、路上生活を余儀なくされた方のニュースを見るにつけ、私にだって、訪れてもおかしくないことだ、と想像します。
誰だって、頼る人がいなくなったら、同じ状況になる可能性は十分にある。

でも、何かを失ってしまったとしても、頼る人さえいれば、頼る場所さえあれば、なんとかなるかもしれない。

家族ほどに近くもない、地域というほど広くなくい、コミュニティ、というほどにしっかりしてなくても、

“何かあったとき、目が合うくらいの” 距離感にいて、ゆるやかに協力しあって生活できる場所を設計すること、それが、これから先、人が生きていくために、生き合っていくために、一番重要なことなんじゃないか、と、新しい生活を始めて思いました。

働き方も多様化され、暮らし方も多様化されるはず。
個人の生活が、無理なく重なり合う暮らし方を、これからも考えていきたいです。








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