【短編小説】クジラと一緒に沈む街|#シロクマ文芸部
街クジラの寿命は100年程度だという。
「そろそろ、このクジラともサヨナラかあ」
同じクラスのユキと一緒に、海に繋がるクジラの端に立っていた。
何人かの男子生徒が命綱をしながら海水浴を楽しんでいる。
ユキはそろそろ来るはずの大事件を前にしながらも、のんきにあくびをしながら潮風を浴びていた。
「新しいクジラの上にも、学校あるかな」
ユキが不安そうに言う。一歩前に出て、ぱちゃんと水面を蹴った。命綱をした方がいいかな、と思う。
「多分あるでしょ」
「建てなきゃいけないのかなぁ。だるいな」
「それは、だるいね。この街は最初からあったらしいけど」
「誰が作ってんのかなぁ」
「じいちゃんは神様って言ってた」
「神様、かぁ……」
神様なんて目に見えないものを信じていいのか、というのは、おそらく私達共通の疑問だ。
でも口に出してはいけない。疑ったら祟りが来るとか、クジラの寿命と共に海に沈むとか言われている。
信じていいのかわからないけど、もしそうなったら、怖い。
最低限のものだけと言われて荷物を詰めたボストンバッグには、食べ物しかいれられなかった。
新しいクジラの上に食べ物があるとは限らないからだ。
ユキは「やっぱり泳ごうかな」と言って、命綱を借りに海の家まで走っていった。
私は泳ぐ気にもならず、クジラの端で静かな水面を見ている。
さわさわと鳴る水面と、空を飛ぶ名前の知らない鳥。遠くの方で魚がぴょこんと跳ねた。あの魚の名前も知らなかった。
「でもさぁ、昔は陸地があったなんて、信じられないよね。地球温暖化?ってやつ。やばくない?それに陸が沈んだからってクジラの上に住もうとするやつも頭おかしすぎ」
いつの間にかユキは海の家から命綱をつけて端に来ていた。
「やばいよね」
上の空で返事をする。ユキはじゃぽん。と大きな音を立てて海に飛び込む。命綱がクジラの皮膚に食い込んで痛そうだった。一番食い込んでいる場所に、持ってきたリュックサックを挟んだ。少しでも痛みが和らげばいいな、と思う。
「てかまじで、新しいクジラ、来てくれるんかなぁ」
ユキは相変わらずのんきに海の上を漂う。仰向けになって顔だけ水面に出し、穏やかな海を体全体で感じていた。
クジラの寿命がそろそろらしい、と知ったのはつい一か月ほど前のことだった。
嵐が来たからだ。
100年間漂流し続けたクジラは、生命本能から台風や寒さを避け、温暖で穏やかな海を選んで泳いでいた。
人間たちはクジラの上を間借りする形で暮らし、いつしか家を建て学校を建て食物を育て、自分たちのものにしていった。
およそ100年の寿命を生き続けたクジラは、急に進路を変え嵐の中を突っ切った。ろくに準備をしていなかった私たちは家や財産を失ったが、悲しんでいる暇などなかった。
歴史書によるとこれはクジラの寿命が尽きる証で、前回の引越時期を考えても妥当な時らしい。
私たちの平穏は一気に崩れた。とにかくクジラが死ぬ前に、新しいクジラに会わなければいけない。
「帰ろう、ユキ」
ユキは口を半開きにしてこっちを見ている。さっき海に入ったばかりなのだ。命綱の貸し出し時間はまだまだ残っている。
「不安になってきた。ほんとに新しいクジラに出会えるのかな」
「大丈夫だって言ってたじゃん。前回もその前も、クジラが死ぬ前には新しいクジラが来てくれたって」
「でも、おかしいじゃん。クジラが街を乗せて来るって」
疑ってはいけないことを、私は口に出してしまった。
ユキはクジラの端をよじ登って、濡れた体のまま隣に座った。
相変わらずのんきな声で「こわいよねぇ」と言った。そのあと小さな声で「それ、私以外の前で言ったらだめだよ」と言った。
ユキだってさっきは“本当にクジラが来るのか”なんて不安がってたくせに。
彼女のそういうところが好きだ。沈んだ心をいつも掬い上げてくれる。
「おーい!こっち!見ろよ!」
先に海水浴をしていた男子学生が私たちを呼ぶ。二人同時に顔を上げると、遠くに木々の生えた陸地が見えた。
「クジラだ!」
ユキの手を思わず握った。彼女は強く握り返して「やったぁ」とやわらかに言った。
新しいクジラが来た。私たちが海に沈む前に。
立ち上がって、二人手をつないで家に向かった。分かれ道で絶対に会おうとハグをして、お互いの家に向かって走った。
家ではもう家族が私を待っていて、食料を沢山詰めたボストンバッグを持って外に出た。
陸地はもう目前に迫り、私たちは手をつないで新しい土地に渡った。
しばらくそこに停滞したクジラは、ギギ、と少しだけ鳴いたあと遠ざかった。私たちの新しいクジラは動かなかった。
街クジラは離れていく。小さく小さくなっていく。
遠ざかるクジラを見ながら周りを見渡す。見知った顔は大体見つけた。誰も置き去りにしていないだろうか。少しの不安が背中を駆け巡る。
背伸びをして後ろを見て、思いつく限りの顔を探した。
「見つけた」
後ろから声がする。振り返るとユキがいた。そしてその遥か遠くに街クジラがいた。
「よかった」
「よかったねぇ」
ユキは笑う。きっと不安だっただろうに。
わぁ。という歓声に似た悲鳴が聞こえる。
さっきまで私たちがいた街クジラは、最期に大きく潮を吹いて沈んでいった。まるでキノコみたいな潮の形だけを残して、クジラの姿は見えなくなった。
街が沈む。私たちのいた街が。
「なくなっちゃったね」
ユキはまたのんきな声で言った。
「なくなっちゃったね」
私もなるべくのんきな声で返した。
本当は不安だ。ここには何があるだろう。
「ユキ、学校ってあるかな」
「さあ、ないんじゃない?」
意地悪く笑ったユキに微笑みを返して、私たちは新しい土地を進む。
とても大きく、動きを感じないほどゆっくりのクジラ。
さぁ、新しい人生の始まりだ。
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「なんで破壊したんですかぁ?ちょっと、センチメンタルになっちゃいました」
「大した文明はありませんでしたから。やはり快適な環境だけ与えると、文明は栄えませんね」
「そうですかぁ……。だから、次は自然だけ、なんですね」
「ええ。定期的に災害を起こし、出来上がったものを壊していきましょう。そうすれば何かしら学習するでしょうから」
「教授も厳しいですねぇ」
「彼らの為でもあるんですよ。わざわざプログラムで快適な環境でいられるように漂流させたのに……彼らがしたことは海で浮かぶだけだ。なんて怠惰な」
「海に浮かぶのもいいものですよ」
「仕事放棄は困ります」
「海に浮かぶのも私の仕事です」
「あなたがするのは、文明の始まりの記録です」
「……それじゃあ私はまた、調査にもどりますね」
「あまり肩入れしないように」
「わかってます」
彼女は少しだけ、意地悪く笑った。
お題ありがとうございました。
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