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周りの人たちに導かれて/中村優花①

中村優花選手(コートネーム:ニニ)は若いころ、混乱のなかにいました。
富士通レッドウェーブのパワーフォワードとして、
攻守において存在感を見せる中村選手ですが、
彼女のバスケット人生はけっして順風満帆ではなかったのです。

むしろ嵐の中で漂うような日々でした。
いつ、やめてもおかしくない――。
彼女自身もそう思っていました。
そんな思いを断ち切り、バスケットへと導いてくれたのは、
他ならぬバスケットを通じて知り合ってきた人たちでした。

見捨てずに向き合ってくれた指導者

小学4年生のときにバスケットを始めた中村選手は、
中学校でもバスケット部を選択します。
しかし、バスケット以外の部分での様々な問題に直面し、
徐々にこう思うようになります。
「バスケットは中学校でやめよう」

しかし、ある出来事をきっかけに中村選手は変わります。
中学3年生のとき、日本バスケットボール協会が全国の有望な中学生を集めて行うキャンプ、「U15トップエンデバー(現U15ナショナルトレーニングキャンプ)」に呼ばれます。
当初、中村選手は「何それ……行きたくない。嫌だ」と参加要請すら拒否していました。
しかし顧問の先生のたっての願いを受け入れ、しぶしぶ東京へ。
それでも持ち前の身体能力の高さを買われ、
30名、2泊3日でおこなわれる第1回キャンプを突破、
新潟県でおこなわれた2回目のキャンプにも呼ばれます。
そこでコーチから15名に絞られた選手たちはこう言われます。
「キミたちは30名のなかから選ばれた選手です。その自信と責任と誇りを持ってください」
キャンプでは、人生初めてとなる真新しい「バスケットノート」も配られました。
バスケットはもうやめる。
そう思っていた中村選手ですから、コーチの言葉はおろか、練習にも身が入りません。
バスケットノートにも
「この3日間、みんなの迷惑をかけることはしません。でも今の私には自信と誇りを持つことはできません」
と書いて、提出しました。



部を引退してすでに数か月。
キャンプでは対外試合が組まれていましたが、試合に出られるコンディションではありません。
トレーナーも中村選手を試合に出さないようコーチに進言していました。
しかし試合の終盤、数分を残したところで、コーチがトレーナーに
「少しだけ、中村を出してもいいですか?」
と聞いてきました。
(え、何を言っているの? トレーナーがダメって言っているのに、そんなこと、聞いてこないでよ)
そばにいた中村選手はそう思っていましたが、
トレーナーは「少しだけなら」とゴーサインを出しました。
コートに入る直前、中村選手はコーチに「左ドライブをしてこい!」と言われます。
(ええ……ってことは左ドライブをしなきゃ、ベンチに戻してくれないじゃん!)
嫌々ながらコートに立った中村選手は力強い左ドライブを決めました。
そして思惑どおりベンチに戻ったとき、コーチから言われます。
「その左ドライブがお前の『自信』だろう?」
その一言に中村選手はハッとさせられます。
「私のバスケット人生の中で、指導者としてちゃんと私に向き合ってくれたのが初めてだったんです」
中学のコーチはどこか身勝手で、子どもたちの本質を見ようとはしてくれませんでした。
それもまたバスケットをやめたいと思う理由のひとつだったのです。

しかし全国キャンプのコーチは、そうではありませんでした。
15人のうちの1人に過ぎない、しかも、終始やや反抗的な態度だった中村選手に、「自信と誇り」を持てるものがあると、本気で伝えてくれました。
幼いころから心の拠り所を見つけられないでいた中村選手にとって、自分のことをまっすぐに見てくれる指導者に出会えたことは、大きなターニングポイントになります。
「コーチに初めて向き合われたときに、『私はちゃんとしたバスケットを、きちんと教わったことがないんだ。教わってないのにやめちゃいけない。やめるとしても、ちゃんとしたバスケットを知った上で、だ』。中学生なりにそんなメッセージとして受け取ったんです」

最後のつもりが世界のベスト5に⁉

バスケットが嫌いだったわけではありません。
むしろ、青森県選抜チームに選ばれ、県内の優秀な選手たちとバスケットをするときは楽しさを感じていました。
変えるべきは環境ではないか。
当時はバスケットにも身が入らず、大好きな“ギャル”になることばかりを考えていた中村選手ですから、
お母さんからも「あんたを私立に行かせるお金はないからね」と言われていたそうです。
しかしU15トップエンデバーで目を覚ました中村選手は
「結果を出してくるので、バスケットの強い私立高校に行かせてください」
三沢市から電車で約2時間の距離にある柴田女子(現・柴田学園)高校に進学しました。

柴田女子での3年間は厳しいものでした。
最後のウインターカップではベスト8までは勝ち進んでいますが、
その年のインターハイには出場さえできていません。
このときも中村選手はバスケットをやめようとしていました。
これだけ教わったのにインターハイに出られないなんて、私はセンスがないんじゃないか……。
それほどお金がかからず、進学できる学校を探そう。
進学ガイダンスにも真剣に足を運んでいたほどです。
高校時代にスポーツを頑張っていた子をサポートしてくれる学校があると突きとめ、そこを受験する準備もしていました。



折しも、出場できなかったインターハイの直後にU17女子バスケットボール世界選手権がありました。
そのメンバーリストには前年のアジア予選と同じように、中村選手の名前もあります。
「高校でバスケットをやめるにしても、U17日本代表のチームメイトは好きだし、最後にみんなと思い切りプレーして終わろう。そう思っていたんです。そうしたらチームは世界4位で、私自身も大会ベスト5に選出されちゃって……」
そこから事態は急変していきます。

U17日本代表のコーチから「中村、お前、卒業後はどうしたいんだ?」と聞かれて、つい漏らしました。
「うーん……強いところでやってみたいです」

帰国後、Wリーグのいくつかのチームからオファーが届き、
2つの理由でJX-ENEOSサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)を選びました。
理由のひとつは、どんな結果になったとしても、日本一のチームで、優秀な選手たちと一緒に練習することで得られることがあるのではないかと考えたこと。
そして、もうひとつ――。
「なぜかトム(・ホーバス。現・男子バスケットボール日本代表ヘッドコーチ)さんに惹かれるところがあって、その理由も知りたくて、ENEOSを選びました」

何度もバスケットをやめようとしていた少女が、導かれるようにバスケットを続け、そして日本一のチームへ。
レッドウェーブの「ニニ」になる8年前の話です。



#22 PF 中村優花 Yunika Nakamura


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