花に宿りて:3.物事の意味
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3.物事の意味
峯は青山の少し後ろをついて歩いた。青山が立ち止まり振り返る。上り階段があった。
「一晩で見せるには中々に広い家でね。今はここは飛ばそうと思うけれどいいかな。ここを上ると二階建ての楼閣があって敷地全体を見渡せるようになってる。京都の町も綺麗に見えるから明日の朝にでも見に来るのがいいかもしれない」
「さっきの庭から見えた所?」
「そう。よく見てるね」
青山はまた歩き出した。
「ちょっと僕の記憶の話をしておこうか。弥彦さんは心不全で亡くなる一ヶ月前に弥彦さんは遺言を書いている。君が見舞いに来たぐらいの頃のはずだ。でも僕の記憶には遺言も、君の見舞いも無い。僕の記憶では手術をして心不全を治して退院してるんだ。つまり、弥彦さんの、遺言や君の見舞いの前のどこかのタイミングで記憶を取り出して、僕の脳にコピーしてるんだね。その後にきっと偽の心不全の手術を僕にしたんだろう。僕は心不全では無かったんだから」
「どういうこと?」
「なにがかな?」
「もしかして。もしかしてあなたは自分がクローンだって知らなかったの?」
峯は青山に同情した。自分が誰かのコピーに過ぎないと知ることは、誰かのコピーに過ぎないというのは、一体どんな心境なのだろう。峯には、想像の及ぶ範囲にあるようには思えなかった。
「ああ、そういうことか。そうだよ。僕は自分が弥彦さんだとずっと思ってた。弥彦さんが死んだ事を知ってるのは弥彦さんの弁護士と医者と、それから君ぐらいじゃないかな。あと笠間君か。娘、、、美辻と朝葉も知らない」
青山は、娘達と呼ぼうとした所を峯を気にして、名前に言い換えた。だが、峯の関心はそこには無かった。
「あの子達は弥彦が死んだこと知らなかったの?」
峯の声は微かに震えていた。歩みが遅くなった。
「そうだよ」
青山は、ただ正しい答えを言った。
「二人には私が全部話した」
「そう。二人はどうだった?」
「特に何も。驚いた様子はあったけれどそれ以上は何も読み取れなかったよ。誰に似たんだろうね。辛くない訳無いのに」
二人は父親の死を隠され、クローンを父と信じていたということになる。美辻と朝葉は一切そういった話は峯にしなかった。峯は、美辻と朝葉が弥彦の事も、青山の事も知っているものとばかり思っていた。何故自分が、二人が知らなかった事に気が付かなかったのだろうと考えた。峯は弥彦が亡くなった後、二人に会いに行くことも、電話もしなかった事を思い出した。峯は、よくもこんな母親に今まで優しくしてくれたものだと思い、罪悪感を覚えた。そして美辻と朝葉に感謝した。
二人は立ち止まり向かい合った。
「言い難い事だけれど、君はもっと家族を大事にするべきだよ。君は、本当は家族が好きなんだから」
と青山は、眉を擦りながら言った。
「そうだね」
と峯は答えた。認める以外無かった。罪悪感は募るばかりだった。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉が誰にとも無く口を突いて出た。青山が歩き出すと、また峯もそれを追った。行く先で、二本の通路が四、五メートル程の距離を持って平行に伸び、その間には棒状の巨大な石を数本、針山のように突き刺した庭があった。石は空に向かって高く伸び、屋根に遮られて途中から先は見えなかった。石の手前には幾つか青い竹が生えているのが分かった。青山はその庭の前まで行き、石の伸びる先を見上げた。峯は横に並び、それに倣った。
「ここは縦の箱庭と呼んでいる」
青山が庭の名前を言う。
石石は下部に淡い青の濃淡の縞模様を持ち、それは上に向かうに連れて曖昧なり、それから次第に白くなっていった。庭は中央に向かって隆起し、そこに刺さる石は一段と高く空へと伸びていた。石の肌は荒くごつごつと角の多い形状で、それは峯の目に精悍として映った。石の合間には、疎らに細い竹が伸び、青々と笹が、苔が広がっていた。
青山は
「あれは稚児笹と言うらしい。竹は、女竹というものを使っている」
と説明し、隅においてあった座布団を二枚、敷いた。青山が峯に座るよう促し、峯が座り、それから青山が座った。
「笹も竹も詳しくないけれど、清らかな雰囲気が素敵だと思う」
と峯が言う。
「この庭は、垂直方向を意識してみたんだ。余り見ない雰囲気じゃないかな?実験的な庭にしたいと思ったんだよ」
「そうね。そうかもしれない」
「そう。それでちょっと含みの少ない庭になってしまっているのは改善点だね」
「含みっていうのは?」
「僕は一つ一つ庭にはしっかりした意味を持たせたいんだ。さっき見せた枯山水の庭もそう。あれの意味は分かるかな?」
峯は、二つの十三重塔と、庭の花々を思い出した。
「あの石の塔と、花が印象的だったかな」
「花はね、僕が選んだんだ。初めての庭で何も知らないから、何を選んでいいか、とても苦労したよ。あの塔は、僕と、弥彦さんだよ」
「同じ形だものね」
「そう。あの庭にあった赤色の石は覚えている?」
峯は頷いた。
「そう。あの石にはウロボロスが刻まれている。ウロボロスは不死と完全性の象徴だ。子供の考えそうな話だよ。本当に」
青山はそこで言葉を切った。峯は話がどこへ行くのか分からず、青山がまた話し出すのを待った。
「弥彦さんにとっての私は、弥彦さんなんだ。青山じゃない。彼の死後も、同じ見た目、同じ記憶の人間が、つまり私が生き続ける事は弥彦さんにとっては不死なんだ」
青山は自嘲気味にわざとらしく声を上げ笑った。
「双仙憩之庭は自らの不死を形にした庭なんだよ。不死の二人の仙人、私と弥彦さんが休む庭なんだ。これらを考えたのは全部弥彦さんだ。当然、僕は僕自身がそれらを思いついたという記憶を持ってる。僕は自分を弥彦だと思いこんでいた訳だからね。僕は、自分が不死になるというこのアイデアをずっとわくわくするものだと思っていたよ。僕がクローン側だと知るまではね。オリジナルだと思ってた自分が、突然に誰かに作られたコピーだと知るのは凄い衝撃だよ」
「辛いでしょうね」
「もっと複雑だ。自分がオリジナル側だと思ってわくわくしてたところをコピー側である事が分かる訳だ。罰が下った気分だよ」
「そうね。自分自身が加害者なのだからね。でも少し分からない所があるんだけれど」
「どうやってあなたは自分がクローンだと知ったの?クローンだと知らないままに弥彦として生きる筈じゃなかったの?それにあなたが弥彦として生きていく予定だったのなら、なぜ弥彦は私に自分が死ぬことやクローンの存在を教えたの?」
青山が自分はクローンと気付かず生きる事が弥彦の計画だったのならば、弥彦が自分の死と青山が弥彦クローンであることを口止めもせず峯に明かしたことは矛盾である。
「僕はクローンと知らずに弥彦として生きる筈であった。その通り。予定が狂ったんだよ。君も知っていると思うが、笠間君は贈賄等々の疑いで捜査されている。彼の研究施設にも捜査が入って、その際に彼がクローンを作っていた事が判明した。けれど警察はそれを世間には公表しなかった。だから君も知らない訳だ。クローンは、笠間君の研究資金を稼ぐための富裕層向けのビジネスだったからね。彼らの圧力で公表は止められたんだろう。僕は警察の友達から聞いて、僕がクローンだと知ったんだ」
青山は庭を眺めて長い溜息をついた。峯は自分がもしもその立場だったらと思うと、胸にキリキリとした痛みを感じた。
「なぜ君にクローンの存在を、それから自分の死を教えたのかだけれど、僕は理由は知らない。その決定を下したのは僕に記憶を複製した後なのだろう。だから推測になるけれど、やっぱり死の間際になって君に会いたくなったんじゃないのかな」
峯は、青山の最後の言葉を聞き、目頭が熱くなるのを感じた。
「私は、仕事にばかり時間を割いて、あなたが言う通り、家族との時間がずっと疎かだった。自分でもそれは分かっていたの。それで美術商の仕事は後継者に譲る準備をしていたのだけれど、その最中に弥彦が亡くなってしまって。とても後悔している。だから。弥彦の記憶を持ったあなたから、弥彦の気持ちを聞けるのは正直なところ少し嬉しいの」
「それは良かった。それなら僕にも少しは存在価値があると言えるから」
青山は峯の顔を見て穏やかに笑った。それから突然に何かを思い出した風な様子でぐいと峯の方へと体を乗り出して
「でもね、クローンを作って不死になるというのはそれ程馬鹿げた話でもないと思うんだ。ちょっと話してもいいかな?」
と言った。青山の目は爛々としていて、峯はその目に強制されるように頷いた。
「要するに個体とは何かという話なんだよ。人間の細胞は数年の間に全て別の新しい細胞に入れ替わる。つまり、今の僕と数年後の僕を構成する細胞は全く別になっている訳だ。今の僕の細胞は垢となってどこかに積もっているかもしれないし、また別の生き物の細胞になっているかもしれない。でも君は、きっと新しい細胞で出来た僕を僕と認識するだろう。それは、きっと君は僕の見た目で判断するんだろう。じゃあきっと同じ個体かどうかは、細胞が同じかどうかじゃあないんだろうね。ちなみに細胞が全て入れ替わるというのは嘘だ。歯のエナメル質や脳細胞など変わらないものもあるらしい。でも君は歯のエナメル質を見てこの人は青山だ、って判別してないだろう?やはり細胞じゃあない」
「そうね。細胞が同じかどうかは問題じゃないだから、クローンは本物と別の細胞から出来ているけれどそれ自体は問題じゃないんでしょう?もう先は分かるよ。見た目と、記憶や考え方が個体を判別する基準なんでしょう?だからあなたは弥彦で、弥彦は不死なんでしょ?」
「いや、君は僕を弥彦さんと見ていないから、君にとって弥彦さんは不死じゃない。僕にとってもそうだ。だけど、僕がクローンだと気づく前の僕は、弥彦だった。死を乗り越えた不死の弥彦だった訳だ」
「でも本物の弥彦は、心不全で死ぬんでしょ?やっぱり死ぬのに不死はおかしいんじゃない?」
「実はそれも少し違う。自分がクローンだと分かった後でで調べて分かった事だが、弥彦さんは安楽死だ。そして安楽死と同時に僕を覚醒、つまり目覚めさせている。弥彦さんの考えでは、まあ僕の考えでもあるんだが、弥彦さんの意識が身体、甲で活動を停止して、身体、乙に移るといった感じの理解なんだよ。オカルト的に説明すると、身体の死によって放たれた霊体が、別の健常な身体に移ったとも言えるかもしれない」
青山の表情は嬉々としていた。それを見て峯はぐっと眉間に皺を寄せた。
「どうして他人事みたいにそんな風に楽しく話せるの?理解出来ない」
「色々と変遷があってね。もう僕はあまり自分が誰かってことに興味が無いんだ。悟りと言うには大袈裟だけれど」
青山は静かに立ち上がった。
「次の庭に行こう」
「庭の他には何か無いの?」
「壺と絵が欲しいんだ。何か見繕ってくれないかい?」
「そうね。私はもう美術商は辞めたから適当に誰か紹介しましょうか」
「君か、君の後継の人が良いよ」
「そう。考えておく」
峯は振り返り、物寂しい通路と部屋を見た。絵や置物は無く、棚や椅子等の実用品が数点ある程度だった。峯は、何か落ち着いた画風の抽象画を合わせてみたら面白いかもしれないと思った。
「弥彦さんは最後に死を受け入れたんじゃないかな。だから遺言を書き、君を呼んだのだと僕は思う」
青山が呟くのを、峯は耳を澄まし聴いていた。峯の中で青山の声は複雑に、静かに反響した。
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