白鳥央堂 『想像星座群』 小論
白鳥央堂 『想像星座群』
人間同士のコミュニケーション手段である会話において使われる言葉は、音声として放たれる。それは相手の鼓膜に届いた時点で物理的にも停止し、認識のうちにも収まったとき役目を終える。
うまれた後、ずっと鳴り響き続ける言葉。そのひとつには、例えば音楽に乗るような、宛先がはっきりと曖昧にされたままで記憶に残る言葉がある。
白鳥央堂のつくる詩から歌詞のような感触を見出すのは、さほど骨が折れることでもないだろう。音楽にまつわる語句がたびたび呼び出されるために音楽を連想する、たしかにそれはひとつの要因かもしれない。しかしこの詩人の言葉は、音楽の語彙を離れた表現を拾ってもなお、「鳴る」性質を保持しているように感じられる。
前半部ではフレーム(「たとえ、〜〜とも」)に収められた問いかけが重ねられている。直後に続く後半部では、眠りと目覚めを跨ぐほどに長い間泣き続ける「ひなた」の様子が書き取られ、前半部の「文庫本」との連想を呼んでいる。反復はリズムを呼び、時間は展開を呼ぶ。ならば、読み上げた際の感触が音楽に近くなるのは、なんら不思議なことではないのかもしれない。とはいえ、音楽にも通じる構成要素があれば、その言葉の集まりは音楽のように鳴っていると言い切れてしまえるのだろうか。ひとまず前述の箇所をもう少し丁寧に読んでゆこう。
1行目に用意されたのは、伏せられた文庫本である。通常、文庫本とは無数の言葉がしたためられている、それを期待された物体である。しかしこの詩の主体は、「あなた」(「ひなた」でもあり、おそらく読み手でもある、曖昧な二人称)の心や言葉が何も有さなくなる可能性を問いかけている。
「ひなた」は泣き果てて眠ってしまう。伏せられた文庫本を喩えた「眠る雛」との表現が、そのぐったりとしたイメージを補強する。そして、詩の主体の行う問いかけは、その様を糾弾するニュアンスをまるで持たず、「ひなた」からの返答も求めていない。
ここで「あなた」として重ねられた読み手もまた、「なにもなくとも」よいと認められる。記憶に「ひなた」が留まる限り、読み手もやさしく赦され続ける。
この詩には、幾つもの重なりによって構築された印象、モチーフが結い合わされ、やわらかに編まれたハーモニーがある。
目で読むばかりのものでも、音で読むばかりのものでもない。それら総てが織りなす、不可触な想像を読む。わたしたちは幾つもの層をもつ白鳥の言葉から、印象を拾うのだ。
白鳥は、フックとなる言葉を仕掛け点々と印象付けるのではなく、言葉のレイヤーにより重奏的に響きを感じさせてくる作家である。このことをさらに裏付けてゆくために、"転校生"という、ごく短くそれでいてこの詩人の特徴が刻み込まれた作品を以下に示す。
全体を結わう出来事として、「転校生」の自死のストーリーが提示されている。詩の主体はこの出来事を非連続的に回想する立場に留まっており、流れを結ぶ最後の一手を加える役割は、読み手に与えられている。時間が段ごとでパッケージングされ、おそらく意図的に進行を断つよう組み替えられているために、その要請は生じる(筆者の想像した流れは4→3→1→2、しかしこの通りである必要もないだろう)。
重要な役割を読み手に託す一方、行数や描画量は、詩人によって各段でやわらかく抑制されている。ストーリーを編むにあたって過不足がないように、また、その連関を結ぶ読み手の想像力を阻害しないように。抑制の意図は、詩人のうちにある結論を読み手に与えないことであろう。ひとつひとつの場面の意味を完結させず、しかし全体を通しての調和は保たれるよう、曖昧を曖昧として残すようにその腕は振るわれている。
詩人の介助を得ながら、読み手は自分自身で言葉の編纂を体験する。詩人に誂えられた世界の重なりにのみならず、編み上げる自らの手の記憶にも、響きは残り続ける。
人間はその想像力を駆使して、ひとつひとつで浮かんでいる星々を結んで星座を描き起こし、その物語を編んでは後世へと語り継いできた。
やわらかに連鎖し「鳴る」言葉の群れで、あなたなら何を描けるだろうか。何を語れるだろうか。
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