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「ことばと思考 シップ」04 皆もすなるTwitterといふものを我もしてみむとてするなり

 Twitter(以下TW)を始めてから、約2年半が過ぎました。
 その間、新たな「ことば」の世界を開いたような驚きや発見があったり、自分のイヤな面がボロボロ出てきて戸惑ったりと、タイムライン(以下TL)には現れない水面下で、いろいろな感情の動きがありました。
 その次第を、少し書いてみようと思います。

はじまり ―みんながやれって言うから―
 実はそれまでも周囲から繰り返しFacebookや TWをすすめられていながら、SNS全般を毛嫌いし、かたくなに拒み続けていた。その理由は以下の通り。
①「私を見て」という自己顕示欲の塊みたいでみっともない
②自分のつぶやきに対する反応を過剰に気にしそう
③くだらん

 ①と②はよく考えると矛盾しているのだが、要するに、どちらも「虚栄心」や「自意識過剰」という名でもともと自分の中に備わっている気質であり、それがSNSによって助長され、みっともなさに歯止めがかからなくなるのを恐れた、ということだ。③については一旦無視。
 それでも結局始めたのは、周りからしきりに、相当しきりに、すすめられたからだ。やると人間関係が広がるよ、TWなら短文だから始めやすいよ、とみんなが言う。私はそこに「TWのひとつもやらないと、あんたはもうどうしようもないよ」という温かなメッセージを読みとった。実際、自分が書いたものを人に読んでもらう方法も、人間関係の広げ方もわからず、とにかく行き詰っている、という自覚だけはあった。そうか、それならもう、やるだけやってみよう。そんな思いでアカウントを取得し、皆様どうぞよろしく、と仰々しくTLに参上した。

嬉しさとせつなさと心の狭さと
 さて、いざ始めてみると、機能からマナーまで、色々なことがわからない。誰かのツイートを下にくっつけてリツイート(以下RT)するにはどうしたらいいんだ。「@ツイート」って何だ。「フォロー返し」ってしなきゃいけないのか。周りのベテランユーザーに聞いたり、書店に駆け込んで「はじめよう!Twitter」みたいな明らかにシニア向けの本に助けを求めたりした。
 そんなこんなで2018年7月20日現在、私のアカウント@ship_fujitaのツイート数は1094、フォロー数は117、フォロワー数は211。先に書いた「虚栄心」や「自意識過剰」が暴走しないよう、あくまで執筆活動などの告知や報告をメインとし、日常的なことや私的なことは極力つぶやかず、フォローもRTも「いいね」も最低限、といった基本スタンスを一応は維持している。
 そうやって自制していても、やっぱりつぶやいたあとは反応が気になって仕方がなく、何度も開いて通知のマークを確認してしまう。反応があれば、うれしくて小躍りする。何もないと「土曜の昼間だし、みんな出かけているよね」とフォロワーの皆さんを急にアウトドアな人にしたりして、せつなさをやりすごす。正直、こういう行動にも、「いいね」をもらうことにも、どれだけ意味があるんだろう、といつも思う。そして、この時間を他のことに回せば、肝心の「活動」がどれだけはかどるだろう、とも。

 さらに時間が経って慣れてくると、自分の悪癖が次々と顔を出すようになってきて困った。
 まず、さっきも書いた通り、自分は他人のつぶやきにRTも「いいね」もあまりしないくせに、自分のつぶやきに誰も反応してくれないと、いじける。これはTW以前でいう「自分から誰にもメールしないくせに誰からもメールが来なくていじける」と全く同じで、成長がみられない。
 次に、誰かのつぶやきを直感的に「いい!」と思っても、ひがみ根性が強すぎて素直に「いいね」できない。「ハイハイ素敵素敵」とか言いながら画面をシャーと送ったあとで、いつも自分の心が猫の額より狭いことを感じる。
 こんな風に内面が露呈してきてしまうところに、TWの罪深さと残酷さを感じる。今のところ、そのせいで誰かを傷つけたり、迷惑をかけたりしたことはない(はず)。それを特定の個人に対し、刃物のように差し向けるようなことだけは、今後何があっても絶対にすまい、と思う。

わりとよくあるタイプの君よ
 それにしても、日々TLを見ていると、皆さんの発想力や情報収集力に感心することしきりだ。RTにしても、単にポチッとするだけでなく、そこに自分なりの解釈や分析をのせて短時間で投げ返す瞬発力を見せられると「勝てない」と思う(そもそも戦っていないが)。そういう中で、類型とまでは言わないが、わりとよく目にする、ちょっと気になるタイプのつぶやきがあるので、いくつか挙げてみたい。

①絶句
 「!」「えっ」といった短い感嘆のみのツイート。著名人の訃報、バンドの解散、長く愛されたお店や施設の閉店・閉館、といったニュースをRTしつつ、それへの一次反応としてつぶやかれる。「言葉も出ない」ほどショックを受けている、ということを「つぶやく」という転倒が面白い。
②ひといき
 何かの画像に「この○○最高だからとりあえず見て」といった短文を添えるツイート。句読点のほとんどない、ひといきで言い切るような文が特徴的で、「とにかくすごいから見て、見てもらえればわかる」という興奮と自信がみなぎっている。
 これはいわゆる商業作品というより、例えば「うちのじいちゃんの絵日記」のように、身内、特に親や祖父母などの親族が「誰に見せるためでもなく作ったもの」を紹介するときによく用いられる印象だ。その口ぶりが、簡潔で、どこか投げやりな感じさえするのは、「照れ」も含まれているのだろうか。
③モノローグ
 本人の心の中をそのまま吐露した、文字通り「ひとりごと」のようなツイート。小説などの手法と同様、カッコでくくってつぶやかれることも多い。自分の思い、あるいは自分が何かに思い煩っているという事実だけでも、誰かに知ってほしい。気にかけてほしい。けれど、それをストレートに言うのは気がひける。そんな倒錯した欲求が見え隠れする。
 こういうつぶやきを見るたびに、TWというのは漫画に似ている、と思う。漫画ではよく、人物の絵の真横に、その人の心の中が、フキダシやシカクで囲って記される。TWでも、任意のアイコン=「自分」の横に、自らの手で整えた文章を置いておける。けれど、これはもちろん現実とは違う。現実の心の中では、言葉はあちこちに降ったり湧いたり消えたりして、脈絡も何もない。それを文章として整えるには、少なからず時間と手間がかかるものだが、それをあたかも「今、ふと」浮かんだ言葉であるかのように視覚的に表わすことができるのは、漫画と同様、TWにも特有の効果といえるのではないか。

TWの概要と利用状況
 ここで今さらながら、TWというサービスの概要をあらためて見ておこう。
 TWはアメリカのTwitter社が運営するSNSで、その歴史は、2006年、創業者の一人であるジャック・ドーシーが初めての投稿を行ったことで始まる。投稿可能な文字数は、アルファベットやアラビア文字などは240文字、漢字や仮名、ハングル文字などは140文字までで、画像や動画の投稿もできる。
 ガイアックス ソーシャルメディアラボの調査によると、2017年時点のアクティブユーザー(月に一回はログインするユーザー)数は、世界全体で約3億人、日本国内では4500万人。ちなみに、Facebookの国内ユーザー数は2800万人、LINEは7300万人以上だという。
 また北村智・佐々木裕一・河井大介『ツイッターの心理学 情報環境と利用者行動』(誠信書房、2016年)によると、日本で利用者数が増え始めたのは2009年頃で、2010年には「なう」が「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた。個人的には、2011年の東日本大震災で、災害時のインフラとしての側面に注目が集まったのが記憶に新しい。

そのつぶやきに理由はある?
 では、人々はそもそもなぜ、何のために、TWでつぶやくのだろうか。
 北村らは、2013年にTW利用者を対象に、ツイート投稿の頻度に関するアンケート調査を行った。ツイートの内容を21種類に分類し、それぞれのツイートをどれくらいの頻度で投稿しているのか聞いたところ、最も頻度が高かったのは「今自分のしていることや置かれている状況を書いたツイート」で、9割近くの人が週1回以上投稿していると回答した。次いで「自分のついさっきやり終えたこと」「自分自身のおもしろいと思った気持ち」「自分自身のうれしい気持ち」「趣味に関するニュースや事実」と続く。反対に頻度が低いのは「仕事や勉強、ブログ投稿などある程度手間をかけた自分の活動の成果」「自分自身のさびしい気持ち」「社会的なニュースについての自分の感想」などで、一度も投稿したことがない、という人も3割前後いる。
 さらに同調査では、前述の21種類の内容別に、ツイートする理由や意図について自由記述で回答を得ている。そこに頻出する語を、「フォロワー」や「リツイート」などを除いて抽出したところ、「欲しい」「したい」「共有」「知る」などが上位に挙がったという。やはり、自分の状況や気持ち、関心事を「知ってほしい」「共有したい」という動機が、つぶやきの根にあるということか。
 ただ、理由については「特にない」「なんとなく」といった回答が一定数あることも無視できない。むしろ、そういう「理由なきツイート」こそが、多くの人がTWの魅力として挙げる「ゆるい空気感」を醸造しているともいえるのではないか。

まとめ ―やってみたら、こうでした―
 そろそろ自分の話に戻って、2年半の経験を経て、今、TWに対して思うことを率直に述べてみたい。
①やってよかった
 たまにしか会わない友人のつぶやきがTLに流れてきて「あ、今こんなことしてるんだ」「元気そうだな」と思ったり、そこからやりとりが始まったりすると、TWをやっててよかったな、と思う。もちろん、TWを通じて出会い、現実での付き合いにつながった、という人もいる。ありきたりだが、人との「つながり」を実感できるツールだと思う。
 ただ、いまだに若干の照れが残っているせいで、自分の活動のアピールにはあまり活かせていない。
②時間泥棒
 自制しているつもりでも、ときにはダラダラ見続けてしまったりして激しく後悔する。特にネコ関係や、「電車の中でこんな場面に遭遇した」などのルポ的なツイートに弱い。よせばいいのに炎上ツイートのリプライを追い続けてしまったりもする。自分が「おもちゃを手放せない子ども」になったようで、ひたすら悩ましい。
③一度でいいからバズりたい
 厳密に言うと、一度だけある。ある風景写真を投稿したら、400以上のRT、1000以上の「いいね」がついた。けれど、それはたまたまその風景がよかっただけで、自分の実力(?)ではない。やっぱり、ものを書くはしくれとして、文章でそれだけの反応を得てみたい。何千何万もの人が、たとえ一瞬でも、自分の言葉に目をとめて、何かしらのアクション――↱を押したり、♡を押したり――を起こすというのは、どんな気分がするものだろう。
 
 最後に、「その道を極めた人」へのインタビュー風に「あなたにとってTWとは?」で無理矢理まとめると、私にとってTWとは「甘味」である。穀物でも野菜でも肉・魚でもなく、食べなくたって生きていける。もちろん天然の果実などではなく、人の手で甘くしたものだ。だからおいしい。放っておけばいくらでも食べる。その代償に、猛烈に「自己」が肥る。むくむ。健康でいるためには、結局自分で自分をコントロールするしかない。
 それができなくなったときには、何はともあれ、すぐにアカウントを破棄してしまおう。                        (了)

連載「字マンガ」その4(作:しば太)

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1つの文字からインスピレーションを得たサイレント漫画「字マンガ」です。今回の文字は「喋」。

喋【チョウ、しゃべ・る】「口」の象形+「木の葉」の象形。木の葉のように薄く平たい言葉→「しゃべる」を意味する漢字となった。踏む、血が流れる、の意味も。

※「シップ」04 PDF版はこちらから

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