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偉大な経営者を、演じる。

『経営者になるためのノート』というユニクロ創業者・柳井正さんが書いた本を読んだ。

耳が痛い「経営者はかくあるべし」というメッセージに溢れている。

私が特に耳が痛かったものを紹介しよう。

非常識と思えるほどの目標を掲げよ

終わりから始めなさい!

業界は過去、顧客は未来、ライバルではなく顧客に集中する

経営者は「危機感」に基づいて経営をやるべきであって、「不安」に基づいて経営をやってはいけません

「自分は結構できている」と思っている人は、ただ単に設定している基準が低いだけかもしれないです

安定志向で安定成長している会社はない

新しいことをやろうとすると、人は不安になります。
そして不安が心の中で勝利をすると、
「会社を危険にさらしたくない」という志向性が、
経営方針や意思決定のあり方を支配していくようになります。
これが「安定志向」による経営です。

「リスクを計算した結果、実行をやめた」と言っている人の中にはよく、冷静かつ真剣に考えたというよりは、ただ単に不安や恐れが先に来て、できない理由がたくさん頭に浮かび、それを正当化する論理を構築することを称して、「リスクを計算した」と言っている人がいます。

リスクを取ってやると決めた限りは、そのやると決めたことを脇目も振らず、ただもう一直線に、徹底的に、結果が出るまでやり切るということ。つまり、やると決めたことの徹底実行です。これが経営では非常に大事。

本当に失敗の責任を取るというのは、「最後まで試行錯誤を尽くす」ということ。そして、「これが本当に失敗だというときは、その原因を徹底的に探求し、学びを得る」ということ。そして、「それを次に活かして、結果を出すこと」これが失敗の責任を取るということです。

もの分かりのいい上司からイノベーションは生まれません。部下も育たなくなります。自分基準、自分都合で仕事を完結させてしまいますから、本当の意味での達成感や成長実感を味わうことができなくなります。

要求して、やらせる以上は最終的な責任は上司が全部取るということを覚悟しておく

経営者にとって、最もまずいのは「自分はできている」という心を持つことです。

ためらったり、恥じらったりする必要はないと思います。それは言い訳であって、行動に移せないとしたら、危機感や成長したいという思いが足りないのだと思います。

「お客様の声は重要だが、その一枚上手をいこうとする」志向習慣を持つということです

市場の変化にスピーディに対応できない会社は、たいがいが「報告文化」になっている会社です

既に、この記事を閉じたくなるくらい、耳が痛くなっているのではないだろうか。

強豪校の鬼監督に指導されたような感覚を覚える。
(スポーツ強豪校にいたことはないが)

厳しすぎて、『読みたいことを、書けばいい』の田中さんが、もし「経営者になるためのノート』を書くとしたら、きっと「経営者になるには、定款を作成して、登記すること。これであなたは今日から経営者だ」みたいなメッセージを書きそうだ、などと妄想に一時避難した。

一方で、『読みたいことを、書けばいい』の理論からすると、柳井さん自身が「この『経営者になるためのノート』を一番読む人」だと言える。つまり、柳井さん自身、己を律するために、このノートに「目指す理想・基準」を書き、「甘え・慢心」を防いでいるのだろうと思う。ここまで「耳の痛い話」を自分に言い聞かせないと、ついつい怠惰になってしまうのではないか。
そう思ったのは、この本の「解説」のある一節を読んだからだ。

その一節は、以下である。

(柳井さんは)大学時代はゼミにも入らず、麻雀等をしてブラブラしていた。できたら仕事をしたくないと思いながら就職して、十ヶ月足らずで退職してしまった。地元に戻り家業を継いで思うままにやっていたら一人を除いて全員が辞めてしまった。自称「だめな人材」であった。こんな自分ですら、覚悟をすれば経営者という自分づくりができた。だから、真正面から向き合えば、誰にでも経営者になれるチャンスはあるという信念を持っている。

素の柳井さんは、「真面目な優等生」というより「不真面目な問題児」寄りなのかと思った。
その点、私は「真面目な優等生」寄りだと思った。真面目すぎて、頑張りすぎて、無理してしまうくらいには、真面目な方だ。
だから、この柳井さんノートの「語気」を、そのままに受け取らない方がいい。

「目指す理想は高く持って、でも地に足つけて、一歩一歩歩んで行こう。たとえ今日、理想に手が届かずとも、自分を責めない。また理想に近づくための工夫を考えて、少しずつ行動しよう。ローマは1日してならず。筋トレで、筋肉を少しずつ積み重ねるように。雨垂れ石を穿つ。さあ、今日も前向きに、ひたむきに、勇気を持って行動してみよう。きっといいことあるぜ」

くらいのニュアンスで、受け止めた方が、「私」の場合は、萎縮せず、のびのびと上達への道を歩めると思う。
人には、その人にあった「スタイル」があると思うから。

それで言うと、「口語訳」のような感じで、「柳井さんが、自分に向けて書くと、こうなった文章」を、「私が、自分に向けて書き直すと、こうなるよな文章」に、柔らかく書き直すのは良いかもしれない。
ものは言い方次第で、誰に沁みるかは変わるからね。

柳井さんのノートの中にも、「厳しさの中にある優しさ」「ホッとしたポイントがあった」

(失敗の責任をとるには、〜である の後に)
こうしたことができるのであれば、何回でも失敗していいと思います。なぜならその分、必ず成長しているからです。

高い基準を目指した上での失敗であれば、問題ではない。
たいていのことは、この基準から見たら最初は「失敗」に終わると思います。私は、それでもいいと思います。

「大きな夢を持って、失敗にもめげず、一歩一歩進もうじゃないか」
偉業を成すには「当たり前」っぽいこのことを、愚直にやろうぜ。
と言っているのかなと思った。

雨垂れ、石を穿つまで、やっていこうぜ。

だし、「ビジネスでなく、”人生での志”に向けて、それぞれの持ち場で、輝いていこうぜ」って感じかな。

柳井さんは、仕事=人生だろうから。そうじゃない人は、〇〇=人生の、〇〇を定義して、追求して、自己研鑽してみては、いかがだろうか。

ああ、マイケルジャクソンの歌声が聞こえてくる…

I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways

If you wanna make the world a better place
Take a look at yourself and then make a change

参考 
トップ画 UnsplashRod Longが撮影

書いた時間 1時間強

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