夢の隣にある苦悩
こんにちは。
鍛冶師の藤田純平です。
今回は自分のネガティブな側面から記事を書いていこうと思います。
僕には夢があります。
刃物で困る人をゼロにしたい。というものですが、この夢があるがゆえに感じていた苦悩を綴っていきます。
自分に対して違和感を感じ、少し歩みを止め内面と向き合う時間が欲しいと思った2ヶ月間の話です。
自分の思い描く夢へ近づくための歩みを止めたいと思った僕は、これが贅沢であり甘え、倦怠なのかと疑ったりもしました。
が、今思えばその些細な違和感を無視せず観察してきたのは正しい判断だったと思います。
自分を襲った違和感の正体と原因対策についての自己分析を元に、今回学んだことをまとめていきます。
夢は大きく、身の程を知る
感じた違和感を分析していくと複数の小さな不安や不満の集まりだということに気が付きます。
その中でも夢とのギャップが大きいということがネガティブ引力の根元かなと観察を始めることに。
今のままでいいのか。この道の先に夢はあるのか。
そんな先のことに目がいって、現在抱える必要のない漠然とした不安に怯える自分がそこにはいました。
というのは今だから言えることで、当時はただただはっきりしない霧に包まれ、とりあえず止まりたいという気持ちでいっぱいでした。
足を止めてみると今自分のいる立ち位置が見えてきます。
「今ここにいるのか。」
そして夢との距離感を落ち着いて計算します。
「夢はあそこにいるのか。」
たったこれだけのことで霧が薄くなっていくのを感じました。
そして改めて自分の描いた夢の大きさに、目眩とも武者震いとも言えない期待と不安とがぐるぐる回っているのをしばらく眺めていました。
夢という存在、苦しまない解釈
人は現実味の無い夢を思い描くことはできない。
というのは嘘か真か。
こういった類の言葉は僕はいいように解釈するようにしています。
そして下手に縛られては本末転倒であり、つまりは
いつでも変更可能で、叶えられそうだと感じワクワクしてしまった未来
を僕は夢だと考えています。
そして、刃物で困る人をゼロにしたい。というのもそういうものだと捉えています。
その夢を思って悩み苦しむ必要など全くなく、なんなら変えてもいいのだ。と。
夢があるという素晴らしいことに苦しまない解釈をプラスして、肩の力を抜いて挑むくらいでいいのかもしれない。
夢ってそれくらいのものでいいのかもしれない。
何をすべきか
こうして観察を重ねていくと落ち着いてくるのですが、では現状何をすべきかを最後に考えていきます。
結論からいうと、目の前のことをする。です。
これまで分析してきた中でわかったことは、悩みの全ては「今」から離れたものに対する不安であり、また解決方も解釈という実態の無いものだということです。
地に足つけてコツコツと目の前のことをする。
もちろん夢を意識することは大切かもしれませんが、あくまでも日々の行動あってのこと。
疑うことも必要ですが、どうやら僕はいろいろ考えすぎてしまう癖があるようで、「ただ目の前」を意識的に大切にするくらいが丁度いいのかなと思います。
何かモヤモヤや漠然とした不安違和感を感じ始めたなら、ゆっくり観察して「今」と向き合い、状況に合わせて「ただ目の前」に取り組むルーティーンを作っていけたらいいなと学んだ2ヶ月間でした。
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仕事としてだけでなく、人生においての夢も重ねていける鍛冶師という生き方。
リスクがあるのも承知の上で選択したこの職も一筋縄ではいかず失敗の連続に今も立ち向かっている日々です。
端から見れば同じ失敗に見えても全然違っているのがリアルであり残酷さを浮き彫りにします。
焦らなくていいという反面、生きていくには時間もつきまとうもので。
そんな自分の人生に共感や応援をいただける方々がたくさんいて、ありがたさと情けなさの狭間で自分の魂も腕も磨き続けています。
ようやく精進という言葉が身にしみてきました。
人生においても鍛冶師においても修行のできている今を噛み締めて作業を続けてまいります。
2020/10/10
今後の活動資金にさせていただきます。