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京大・藤井教授、岩田健太郎医師、峰宗太郎医師の話を見比べてみた

やっぱりというか、まさかここから出るかというか、8割おじさんこと北海道大学の西浦先生を非難する意見が出てきました。

その話から始まるのですが、今回ちょっと長いです。

京大・藤井教授による断罪

私は一科学者としてここで強く断罪しますが、西浦・尾身氏らのこの時点での「緊急事態の延期支持」は絶対に科学者として許されざるものと考えます。情報が少なすぎた4月7日のとは異なり、専門家会議はGW空け時点では十分な情報を持っていたからです。

この断罪の文章の中には、色々と誤解もある(ここです)

ちなみに、感染症の分野では、感染者数が一旦「減少」に転じたら、(状況に大きな変化が無い限り)、感染者数は「ゼロ」になるまで減少し続けることになる、ということが知られています。

これはいいんですが、この後がおかしい

この西浦氏作成データは、日本の(実効)再生産数が3月下旬以降「1を下回る」状況になっており、したがって3月下旬以降は、特に何の取り組みをしなくても、必然的にゼロに収束する状況になっていた事を意味しているのです。

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「何の取り組みをしなくても」というのはどうなのか、ご自身も「状況に変化がない限り」と書いているように、そのまま続けるには、「緊急事態宣言下」である必要があったのではないかと思うのですが、4月8日はもちろん、そこからもう一段キープするための時期だったわけです。

だからこのデータを見る限り、4月7日の時点で、緊急事態宣言/8割自粛などを国民に要請せずとも、感染者数は早晩収束していたことは間違い無いのです。

それをこう言い切るのはどうなのかなと思わざるを得ません。

何にしろ、科学者が科学に基づいた判断が間違っていたことで断罪されるとすれば、誰も事前に政府に協力しなくなるんじゃないですかね?

この記事で私が心配していたような最悪のシナリオが実現せず、予測した西浦先生を責めるようなことがなくなって安心したのも束の間、成功しているのになぜ5月の緊急事態宣言の継続を止めなかったのか、と、クレームをつけられているわけです。

エビデンスは出ていただろうと。

でも、それは後出しだし、それ以上に、あの状況下で官僚や政治家と戦っていた方に対して敬意がなさすぎやしませんかね?

岩田健太郎医師の見解その1:R0<1だからほっとけばいいわけではない

そう思っていたところ、この記事が出ました。

「感染の問題」と「経済の問題」を混乱させたまま進む議論に対して、感染症専門医の第一人者・岩田健太郎氏に、一度議論の内容を整理していただき、感染症専門家の立場から藤井氏の意見に対する見解をうかがった

まず、岩田さんは藤井教授の議論の前提を間違っていると言います。

この議論は間違いです。
先ほど説明した「基本再生産数」R0の場合はその議論も成り立ちます。古典的な議論では「R0が1以下であればどんどん感染者は減り、ついには感染者がゼロになる」と言うことができます。
ところが「実効再生産数」Rtというのは、刹那刹那で変わる「その日の時点での再生産数」を言っているわけで、次の日には違う再生産数になってしまいます。定義からして動的な数値ですから、なにもしなくても毎日同じRtがでてくるわけではありません。

基本再生産数(R0=basic reproduction number、R zeroと読まれる)と実行再生産数(Rt=effective reproduction number)の話は難しいのですが、R0とRtと書いているように、感染者がまだいない状態と現実に進行している状態での、一人の人が何人にうつすかという数字だと思ってください。

何にしても、藤井教授の議論はR0が1以下ならば減少するという教科書的な話に沿っています。でも、西浦先生が発表した先ほどのグラフは、日々変化する上に、政府がなかなか出さないデータをいろいろな手を打って引っ張り出して計算したものです。

これは科学技術ジャーナリスト会議での西浦先生の講演で使用したスライドです。5月12日にオンラインで行われました。

このPDFの中でもデータのリアルタイム性の乏しさ、確定時期のズレなどが書かれています。

こうした努力を、後から見て、すでにR0<1だから必要なかったというのはどういうものなのでしょうか。この点についても岩田先生は色々と述べていますが、長くなるので割愛します。要はのはここが言いたかった。

ですから、「Rtが1を下回ったんだからほっとけばよかったんだ」というのは、端的に言うと間違いと言わざるを得ません。抑えたものは、抑え続けなければいけないんです。

岩田健太郎医師の見解その2:西浦先生の貢献は何か

さらに、インタビューは続きます。

今回の藤井聡先生の質問書、そしてそこで批判がなされた西浦博先生についてでですが、両者のいずれについても、全面的にどちらが正しいとか間違ってるという話とは違うと思います。

ここが大事なのですが、正しいか間違っているかを検証できる問題とできない問題があります。時間を遡ってもう一度検証できないことは科学的に正しさを証明するのは無理があるのです。

科学者が議論するには、やはり「反証可能性」を持った議論にして欲しいと思います。

私が、その点で、この岩田さんのインタビューが素晴らしいと思うのは、科学者の立場というものを踏まえていることなのです。

まずはじめに確認したいのですが、西浦博先生が日本の感染対策にもたらした貢献はものすごく大きいと、ぼくは思っています。今回の日本におけるコロナの第一波が、少なくとも先進国のなかでは相当よく押さえつけられていた理由は複数あると思っていますが、少なくともその一因が西浦先生にあるのは、まず間違いないと思います。

では、西浦先生の貢献とは何なのでしょう。

ただしその「貢献」というのは(ここでよく話がすり替わるのですが)「西浦先生の意見が正しい、間違っている」とか「議論・データ・推論が正確だ、不正確だ」とか、そういう意味での貢献度の話ではありません。

藤井教授が断罪するような「正しさ」ではないというのです。

「貢献度が非常に大きい」というのと、データや分析が逐一正しかったか間違っていたかは分けて考えなければいけません。

今回のコロナ対策における西浦先生の貢献は、反実仮想によって、「西浦先生がいらっしゃらなかった日本だったら、どうなっていたか」という視点で考えるべきなんです。

冒頭にあげた自分のnoteでも書きましたが、西浦先生がいなければ、今、こんな議論もできていないのです。

岩田先生の記事では西浦先生の過去のことは不明瞭なので、こちらを読んでいただくと良いと思います。

ファクトベースの議論がない厚労省や政府の感染症対策に、いろんな経緯を超えて、覚悟を持ってエビデンスを持ち込んだのが西浦先生なのです。

今回の新型コロナウイルスの対策では、データやモデルを活用し、それを基にした推論を根拠にして、いわばevidence-based health policy(エビデンスに基づいた医療政策)でいきましょう、という流れができたわけです。これは大きな前進です。

4月の段階で、西浦先生の覚悟をnoteに書きました。

今でこそ当たり前のように「8割おじさん」などと言っていますが、2ヶ月前には、厚労省の中でもデータを出す出さないで揉めていたわけです。

岩田先生が言うように、データをもとにした発言をするようになったことは大きな進歩だと思います。

このように議論の土台を作り、「評価が可能になった」こと自体が、日本の感染症対策においては巨大な前進なんです。

それなのに、後から断罪して経済に打撃を負わせたことを糾弾するのは、ちょっと違うんじゃないかと私は思うわけです。

岩田先生の言葉を借りればこう言うことです。

それなのに「西浦先生が言っていた数字、違ってたじゃない」みたいなことをあげつらって袋叩きにしていたら、「じゃあ数字なんて出すな」って話になり、また元に戻ってしまう。
検証可能な数字で議論をせず、「一生懸命やります」「頑張ります」「最善を尽くします」とだけ言っていれば、なにが起きても「失敗した」という結果にはならない。そっちに戻ったほうがいいのかって話ですよ。そんなわけないでしょう。

3月の花見の頃に人が大勢出て、首相夫人も桜をバックに写真を撮ったりしていた頃(あの写真に乗っていた手越君がジャニーズ辞めるみたいですが)には、ニューヨークのようになるんじゃないかと恐れていたことを思い出します。

でも、ならなかった。それは、最悪のケースを発表した西浦先生の力が大きかったと思います。志村けんさんとか岡江久美子さんの訃報も大きかったとは思いますが。

西浦先生の貢献だけがすべてだと申し上げるつもりはまったくないのですけど、ここまで挙げてきた理由で、「西浦先生がいらっしゃらなかったらこうはならなかった、もっと悪い話になっていた可能性が高い」というのは間違いない。これが議論の前提です。

5月の緊急事態宣言の延長は不要だったのか

藤井教授は、こう言います。

私は一科学者としてここで強く断罪しますが、西浦・尾身氏らのこの時点での「緊急事態の延期支持」は絶対に科学者として許されざるものと考えます。情報が少なすぎた4月7日のとは異なり、専門家会議はGW空け時点では十分な情報を持っていたからです。

科学的なエビデンスとしてわかっていたR>1の状況を認識していたのに、なぜ、緊急事態宣言は延長されたのでしょう。

それは、R0<1だけを見て議論しているからではないからでしょう。

そして、実効再生産数が1を十分に下回り、一定期間が経過しているという推計結果を出していた西浦氏らが、それにも拘わらず緊急事態延長を主張するという振る舞いは、科学者として当然求められる「誠実性」を著しく欠いた、極めて不誠実な態度である疑義が極めて濃厚であると筆者は考えます。

これは、専門家会議の議論の内容を吟味せずに(したくても出てこないのですが)、科学的根拠を実行再生産数だけに求めていますが、4月の緊急事態宣言は、医療現場の危機意識が背景にあったことを忘れています。

PCR検査が受けられないとか、コロナの疑いがあると病院が受け入れてくれないとか言う事態があり、その中で入院が遅れた岡江久美子さんが亡くなった時期です。

5月の延長も、この医療現場の状況を見ずには語れないでしょう。

ですが、藤井教授の論点に、この視点は一つも入っていません。西浦先生がエビデンスを出したことで、そのエビデンスが達成されたのに、なぜ解除しないと言うエビデンスの逆取りをしているわけです。

それでは、エビデンスベースの議論はしにくくなりませんか?

その藤井先生の提案と言うのは、数値に基づいたものではないわけです。

科学者としてのエビデンスに加えて、医学者の状況を見たのが尾身先生だったのではないでしょうか。

感染症は、科学者だけで戦っている相手ではなく、その最前線には医療従事者がいるわけです。その視点なしの議論は、受け入れがたいものがあります。

これからどうすれば良いのか

8割おじさんのいう「8割削減」で経済が落ち込んでいることは事実でしょう。そのために倒産したり店を閉めたり、職を失ったりする人が出ていることも事実で、藤井先生以外にも、経済とのバランスから考えて緊急事態宣言は必要なかったと言う人もたくさんいます。

しかも、確かに、8割削減といった言葉にはインパクトはありますが、科学的な実行内容ではありません。8割の人が表に出ていないことではなく、接触を8割減らすならば、6割くらいの人出でも良いかもしれないと言う話もあります。

この辺りは、もう一人の専門家の話を読んでみるといいと思います。

分子ウイルス学、免疫学研究者・峰宗太郎氏のインタビューです。これも長いので時間があるときに読んでいただければと思います。

社会をモデル化してみたら、8割減らせばいいというのは分かったけど、8割というのは現実社会、リアルワールドで「何を8割減らすのか」「どうすれば8割減るのか」は、実は分かってないんです。もちろん私にも分かりません。

峰先生は、今後の社会に対して、リスクをどの程度取るかだと言います。

驚かれるかもしれませんが、既にインフルエンザに関して、我々はそういう姿勢を取り続けているわけですよ。インフルエンザの感染率はだいたい今回のCOVID-19と同じぐらい。死亡率、重症化率はずっと低いですけれども、そういうものがある中でも別に映画も、音楽も、演劇もやっているわけです。だから、フィードバックを前提として、病気に対する認識をちょっと変える。

社会に余裕がなくなっている状況で、過剰反応しヒステリーが広がるのが怖いところです。

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202005/0013316509.shtml

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言から1カ月近くが経過し、社会の機能不全は長期化の様相を呈している。歴史を振り返れば明治以降にまん延したコレラで健康を侵されることを恐れた人々が、患者に危害を加え、差別や暴動に至った経緯がある。大手前大学総合文化学部の尾崎耕司教授(公衆衛生史)は「不安による集団ヒステリーが社会規模で広がると、普段であれば理性的に対応できる人も、どんどん追い詰められていく」と警鐘を鳴らす。

感染症は、こうした状況を生みやすい。

そこで峰先生は、自信を持とうと言います。

今回、油断できないのは、医療リソースを大量に消費してしまう重症度の方がそれなりに出てしまう病気であるというところです。けれども、そこも医療状況にちょっと余裕が出てきて、なおかつ皆さんの認識が「死亡率はそれほど高くないし、日本では、死なせないことができるんだよ」となって、自信につながってくれば、きっと乗り越えられます。この「自信」というフィードバックも非常に重要です。

日本は抑え込んだと胸を張るのもどうかと思いますが、少なくても最悪のシナリオを逃れたことは評価していい。政府の対策には不満はありますが、専門家会議も含めて、そのほかは頑張ったと思います。

答えがはっきりしているのが一番危ない。例えば空間除菌とか。

こう言う時に、白黒はっきりさせろと迫るのが一番危ないのではないかと峰先生は言います。

だから、「今すぐ答えがほしい」と言われて、言っちゃう人が危ない(笑)。そこに特効薬を出してくる人はもっと危ない。アビガン、BCG、日本人の遺伝子と、何か極端なことを言う人はいるわけです。別に悪意からではなくて、その人たちは不安でたまらなくなって、神風が吹く、と信じたくなる。でも、そういう、ある意味気楽な正解って、リアルな世界にはなかなかないんですよね。

今回、なぜ日本がこの程度で治まったのかについては、よくわからない点が多いですが、そのよくわからない中で、いろんなことを試した結果、それが相乗的な効果を果たしたと言うことでいいんじゃないでしょうか。

そして、これからも、いろんなことを試して、効果を上げていくしかないんだと峰先生は指摘します。

申し上げたように、「何が危なくて何が安全か」というのも、科学者がエビデンスを以て語れる範囲ってとても狭いんですよ。分かっていることははっきり発信、分からないことはもう「分からない」にして、今後、一生懸命探す。そして、みんなが当事者としてうにゃうにゃいろいろ試す、そういうことをしていかなきゃだめですよね。

正解はわからないです。

でも、絶対やってはダメなことがあるようです。

空間除菌です。

加湿器などを使ったりして、ミスト状にした次亜塩素酸水などの消毒薬を噴霧する、というものですが、これは本当にいただけません。
というのは、「空間」を消毒してウイルスを有効に不活化することができるという証拠はまずないんです。そして、さらに、こういった消毒薬はいずれも化学物質であって、人体に有害である可能性がある。
さて、ウイルスが空気中をただようこともあることから、「空間除菌」というのは、一見魅力的な発想であることは確かなのですが、何ひとつ有効性が証明されたものはありません。
次亜塩素酸水、二酸化塩素、オゾン、置き型や首からかけるカードのようなものまでありますね。いろいろ出てきますが、人がいるときにできるような「空間除菌」は意味がないですし、スプレーやミストで人や空間に吹きかける行為は絶対にやめなくてはなりません。被害が出てからでは遅いですから。

専門家がここまで指摘するのに最近、あちこちで見かけますね。

私は、消毒液を吸ったら害があるだろうと思って避けるようにしていたのですが、それは良かったようです。

言葉を選ばず言わせていただけば、首からこの手の「空間除菌カード」とやらを提げている人は医師からは「あ、リテラシーの低い人が来た、注意しよう」と思われる目安になっていますし、ミストで消毒薬を噴霧しているお店は逆に感染対策が不安になります。

こうした最短の正解に見えるようなもの、しかも、科学的裏付けがありそうなものに、現代人は弱い。多くのニセ科学がそうした人間の心につけ込んで商業化されています。

専門家が皆で認識してしっかりと広報していることを、あえて逆張りしたり、それ以外の「ミラクル」な方法、つまり「神風」を、業者やメディアの宣伝で信じてしまっている。何か状況を改善したい、という思いが逆に働いてしまう。そういうところが我々の国、というか、おそらく人間には、どうしてもあるのですよね。

エビデンスを重視するあまりに、エビデンスの達成だけが正義になり、それを超えても緊急事態宣言が解除されなかったのは「罪だ」とまで指摘する科学者がいたり、普通の市民なのに集団ヒステリーに陥って自粛警察を始めたり、空気中に消毒液をばら撒いて安心してみたり、人間は、ある単一の価値に囚われると、極端に走りがちです。

是々非々、心に余裕を持って、一つ一つ解決していくしかないと思います。

とにかく、コロナウイルス以外でも病気にならないこと。医療従事者のお世話にならないように、手洗い、マスク、距離を取る。出前の自転車に気をつけ、在宅勤務中に労災になるような怪我をしない。リモート飲みで飲みすぎない。そう言う「新しい生活様式」とダンスしていきましょう。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。