漫然と生きていては編集者は務まらない
この二人は、まさに今ヒットを飛ばしまくっている一級品の編集者とライターで、このトークイベントのレポートは赤ペンで丸をつけたり、マーカー引いたり、付箋つけたりして読みたかった(オンラインはそれが出来ないのが不満。プリントアウトすればいいのか?)。
仮説がない質問をしない、というのは、つまり、何をするにも意図を持てという事だろうし、全てが取材なんですよ、というのは、漫然と生きるな、という事だと解釈した。
何か、特別なことを特別な場所で、誰かに指導されて行うような、ライザップでのダイエットのようなことではなく、日常生活の中で自ずから鍛えられるような生活を送れば、日常の中で身につくものがあるという答えだ。
でもそれは、毎日、大リーグボール養成ギブスをつけたまま生活する星飛雄馬のような日常だということだろう。
自問自答しながら毎日を過ごし、納得がいかないことを忘れないように自らに課し続ける二人。
あらゆることに漫然と当たらない。その意味は何か、その概念はどういう風に言語化できるのか、毎日を生きる中で、それを続けることができるかどうか、そして、それが苦労でも努力でもないと言えるかどうか。
それが編集者になるということ、書き手であるということ。
二人の言葉から感じたのは、見えているハードルの違いだ。
物書きジャパンの先発メンバーに入っていない自分、という想像力で、自分はまだまだだと戒められるかどうか。
誰よりもおもしろくする自信があるのは、面白いの捉え方とそのレベルが違うからと平然と言い放つことができるかどうか。
世の中にはすごい人がいるものだ、と済ませるか、その手前まではやっているから、もう少し自分の出力を高めてみるかと思うか。
それが分かれ道かもしれないな、自分。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。