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おせちは買うものか、作るものか、それとも、食べなくても良いものなのか

こんな夢を見た。という言葉で始まるのは、夏目漱石の夢十夜ですが、そうか、こんな記事を見た、とnoteを始めて行くのもいいかもしれないなと思いつつ、こんな記事を見ました。

おせちが売れるか、食材が売れるかを比べると、経済的には後者の方が波及効果は大きいと言えます。すなわち、おせちが売れるということは、日本の文化が失われると同時に、経済的な打撃も大きくなるということです。

ということで、文化的な継承という話を挟みつつも、我田引水な話を書いたメルマガなわけですが、タイトルがすごいですよね「日本経済が大打撃を受ける」ですから。

 以前、こんな記事のなかで書いたように、私はおせちを手作りしていた時期があります。

結婚して、一時期はお正月のおせちに凝り出して、黒豆とか酢蓮根とか、田作りとかも手作りしたりして。
そのうち材料を買いに築地に行ったり、かまぼこ買いに小田原の本店に行ったりするようになって原価がかかりすぎるようになって、買った方が安いということでやめました。

つい材料に凝ってしまいまして、経済的な影響が大きくなって(笑)、やめたんですが、おせちを作るのはいいですよね。

自分の好きなものしか作らなくて良いのがまたいいのです。食べたいものだけあれば良くて、食べたくないものにお金を払いたくはない。

売っているおせちというと、場所をとっているのは伊勢海老とか、チャーシューとか、イクラとか食べないもしくは食べたくないものが多いんです。

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これは、婦人画報社のおせち通販の一番人気の商品です。

少しづついろんなものが20種類も入っていて、いかにも婦人画報を読んでいる高齢な奥様が好きそうな感じです。これで16000円。安いでしょうか、高いでしょうか。これを自分で揃えるとなると、この値段では難しい。たくさん作るから、こうして少しづつ入れられるわけです。

でも、この中で本当に食べたいものはなんでしょう?

ローストビーフでしょうか。カラスミでしょうか。

でも、本来のおせちに必要なのは、黒豆、数の子、田作り(御豆)、煮しめ(昆布、椎茸、くわい、八つ頭など)、酢の物(なます、酢蓮など)、焼き物(関東では鮭、関西ではブリ)じゃないでしょうか。

あとは、蒲鉾、伊達巻、きんとんがあればいい。

そうなると、お金がかかっているように見える豪華な食材で嵩増しされた出来合いのおせちよりも、自分好みの味付けになっている自前のおせちが食べたくなるのです。

一時は、そう思って手作りしていましたが、今は、味付けが好みな店で単品を買って、自分の家でお重につめています。

2018年、2019年は2年続けて妻の実家に行ったので、おせちは無し。

でも、雑煮用に出汁を引くことだけは続けています。

私の雑煮と、妻の雑煮は実家の味付け及びもちの扱い、具材などがことごとく違うので、それぞれ自分が作りたいように作ります。

自分の食べたいものは自分で作る。

それが、いいんじゃないでしょうか。



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