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宴会で最後までいられなくなったのは何時からなのか

何かイベントがあると、最後まで残っていないと気が済まないタイプでした。

途中で帰る人を見送り、なんなら後片付けまでして帰りたい。その帰り道でも誰かと話したい。そういう人間だったのに、いつからか「お先に」と言っているようになりました。

自分が帰った後で、何か楽しいことが起きているんじゃないか、あれを見損なったのは残念だねと言うよう何かが起きるんじゃないか。そう思うと途中で帰れない。

明石家さんまさんが、寝るのがもったいない、自分が寝ている間に何か面白いことが起きていたら悔しい、と言っていました。

まさにそんな感じ。自分がいないときに何か面白いことが起きて、それを見過ごすのは悔しい。だから、最後まで参加しているわけです。

まあ、それでも半分以上は酔って覚えていないんですが、私は酔って記憶がない状態でも会話していたりするので、周りからあまり記憶がない状態にあることに気づかれない。翌朝いつの間にか帰っていたことに気がつくこともありますけどね。でも、この記憶のない状態で、また悔しいことに面白いことを言っていたりするらしく、後で話した相手から指摘されたりして、なんてもったいないことをしたんだと地団駄を踏むこともあります。

記憶がなくても最後までいたいと思っていたのが、記憶がなくなるほど飲む前に帰るようになったのは、いつからなのか。

職場が遠くなった時か、それともその後、精神的に飲んでも楽しくなくなった時なのか。

もともと職場の同僚と飲むのはあまり好きではなく、常連となった飲み屋で、直接仕事の付き合いがないけど趣味が近いとか話が合うとか、そういう人と飲むようにしてきました。同じ会社の人間ではなく別の会社の人間と飲むと視野が広がり、知識も増えると何かで読んだせいもあります。

職場の同僚と飲むと、どうしても仕事や上司や得意先の話になって、面白くない。その同僚や上司が魅力的な人で話していて楽しければ良いのですが、まあ大抵、こちらが喋って、向こうを笑わせていることが多いので疲れます。向こうにしてみれば、一方的に喋る私の話を聞いてくれているのだろうと思いますが、それはそれで、それに気付いてしまうと、こちらも喋るのをやめると変だし、気を使いながら話題を選んだりして、余計に疲れるじゃないですか。

ただ、こう見えて人見知りなところがあって、初めての人と話すのは苦手なんです。どういう話題がいいかわからない人と話すのは、探り探りになるし、変なことも言えないし、やっぱり疲れます。

そういう意味では、趣味が同じだということがわかっているmixiのサークルの飲み会とか、よく読んでいるブログ主の主催するブロガー飲み会とか(昨日は、そういう忘年会でした)、歌い手が店主で歌がメインの店とか、テーマがはっきりしている飲み会は話題に事欠かないので楽しいですね。

それでも、最近は「お先に」となることが多いです。

昔は、銀座の店で片付けが終わったママとのアフターに付き合うくらいまで飲んだものですが、その店もすでになく、電車のあるうちに帰らないとね、というのもあり、また、次の日のことを考えるようにもなり、次の日がまた辛いことが多いというのもあり、途中で帰るわけです。

体力と精神力がないと、最後まで飲めないものですが、それに気付いたのは何時頃でしょうか。3時間が限度かな、最近は。

これは、老化ではなく、パワーの低下のような気がします。

色々とパワーをつけないとまだまだ長い人生を生きていけないぞ。

そう自戒しつつ、昨日の宴会を3時間で帰ったので、今日も元気に働いております。





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