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豚組しゃぶ庵のアフターコロナ転換に驚いたけど、その先にあるのは岸田奈美さん一家が心置きなく行けるようになることではないのかと思ったので書いてみた

タイトルで全てです(笑)

私は、岸田奈美さんはnoteを通してしか知らない上にキナリマガジンを購読しているわけでもないのですが、全てはnoteの岸田さんの文章からのイメージで語っておりますことを予めお断りしておきます。勝手にお名前出してすいません。でも理由はあります。

豚組しゃぶ庵の打った手に驚いた

話の初めは、みんな大好き豚組しゃぶ庵です。

1ヶ月の休業を経て、新たにオープンすることを発表しました。その間には、渋谷で偏愛食堂も開催しましたね。

これも凄い話でしたが、新たにオープンした豚組しゃぶ庵の構想にはもっと驚きました。

今回のリニューアルの目的は、「コロナに最適化した店舗に生まれ変わる」ことです。お店の営業方針やオペレーションなどを根本から見直し、これからの新しい環境に最適化させるための実験の場として、1年という期間限定の挑戦を行います。

このリニューアルで「飲食店の常識を疑う」とオーナーの中村さんは言い切りました。

そこにあるのは、確かに、飲食店では常識の回転率とか、席数とか、接客とか、色々と覆したものが集約されています。詳しくは、上記のリンクから中村さんの記事を読んでいただければ幸いです。

アフターコロナに飲食店に求められるもの

豚組しゃぶ庵βにあるのは、コロナ対策の先にある安心と安全の店作りです。従業員を守り、お客様を守るために必要なことを「店舗」に落とし込んでいくという作業で生まれたDX(デジタルトランスフォーメーション)を飲食店に導入した姿です。

距離を取り、接触をさけ、必要最小限で最大の効果を発揮する接客を行うこと。

メニューと会計にデジタルを導入し、客に3つのフリーを与えること。

ストレスフリー、タイムフリー、ウイルスフリーですね。

それが、アフターコロナの飲食店のあり方になるだろうということです。

でも、一つだけ、残念なことがありました。

それは、建築の世界の常識が覆せていないということではないかと思うのです。

アフターコロナに建築に求められるもの

偉そうな言い方で恐縮ですが、お店を作るときの通路の幅とか、客席の広さって、誰が決めているのでしょう?

建築家ですよね。

建物を作るときに、通路の幅を決めたり、床の材質を決めたり、壁の材質を決めるのは、発注者でもあるでしょうけど、やっぱり建築家なんだろうと思います。

そこに、アフターコロナはあるのか。

なぜ、コンサート会場などで、今、一席おきに客席を販売しているのでしょう? ソーシャルディスタンスのため。でも、その席の幅は誰が決めたんでしょう。もとの幅が狭すぎたんじゃないですかね?

野球場の客席とかも、だいぶマシになりましたけど、大人の膝が前の席につかえるようなシートの球場とかありましたよね。

結局、単位面積あたりの収入をあげたいという要望が、ああいう狭い客席を作るし、すれ違うのに苦労するような通路を作るわけです。

飲食店でも、同様のことは言えませんか?

人間て、一般的には実に器用で柔軟ですから、狭い席でも収まったり、うまく通ったりします。でも、飲食店って、それをお客さんに強要してこなかったでしょうか? 狭くてすいませんけど詰めて座ってください的な。

よくある、狭い店に収まる快感というのもありますが、包まれた安らぎとかね。でも、大抵の飲食店の席って狭くないですか?

例えば、少しでも怪我をしたり、障害を持つと、これまで自由に歩けていた場所、入れた場所に入れなくなったり、不自由を感じることになります。

その不自由さは、今のアフターコロナで感じる不自由さに通ずるものがあると思うのです。

豚組しゃぶ庵×岸田奈美さんという無謀

豚組しゃぶ庵に話を戻すと、素晴らしい店なんです。内装も美しいし、個室になっていて、それも一つとして同じ部屋がない。だから部屋を選ぶ自由があると、とても嬉しいと思います。あの部屋にしようと言えるわけですから。

でも、通路はちょっと狭い。オーダーを運ぶ従業員さんとすれ違うときに、壁際に避けたりしますよね。

個室は、木のテーブルと椅子。これもしっかりと作られた素晴らしいものです。でも、可動性はないですよね。高さが変わったり、広さが変わったりはしない。

それは、飲食店の限界ではなく、建築の限界です。

入り口の赤い絨毯と階段が、スペシャル感を醸し出します。

ああ、しゃぶ庵に来たなという気になります。

でも、あの階段を登れない人がいることも事実です。足が悪い母と行くには、ちょっと躊躇するかもしれません。

そう考えてきて、例えば、私が岸田奈美さん一家と食事をしたいと思ったときに、豚組しゃぶ庵は候補になるのか、そう考えてみたのです。

妄想もすぎるわけですが。

岸田奈美さん一家の行きつけが素晴らしすぎる

そんな妄想をしていたら、こんな記事を発見しました。

この記事も、さすがです。面白くて、読んで笑ったり泣いてたりして、そのうち、考えさせられる。

母と弟、ふたりが行きつけにしているお店を訪れて、わかったことがある。

行きつけにする理由は人それぞれ違うけど、ふたりの場合は「好きな自分でいさせてくれる人がいる」お店を選んでいた。

車いすに乗っている母も、うまくしゃべれない弟も、心地よく歓迎してくれるお店を選ぶのが難しい。たぶん他の人より、選択肢が少ない。

お店のつくり、注文の仕組み、いろんなところに“壁”がある。
だけど、その“壁”を取り払ってくれるのが“人”だ。

豚組しゃぶ庵βで、中村さんは、お客さんにフリーを与えてくれました。そして、店側のメリットとして「効率化」を挙げています。そして、この取り組みによって「僕らはより顧客価値の高いところにフォーカスできる」としています。

その高みとは、多分、この岸田さんの記事にある「壁を取り払ってくれる人」にお店のスタッフがなれるかどうかなのではないかという気がします。

豚組しゃぶ庵に岸田奈美さん一家が行く日

岸田さんのお母さんは、車椅子ですし、弟さんはダウン症であることは、ご本人が書いています。その一家が、あの店を訪ねるとしましょう。

まず、あの入り口の階段を登れない車椅子の方が来店するときに、豚組しゃぶ庵がどうするか。

階段にスロープを作るとか、リフトを設ける、というのが答えではないと思います。それは建築家の仕事で、飲食店のスタッフの仕事ではない。

岸田さんの記事にあったように、お母さんを抱き上げて店に入れるのは、お友達だからできることです。お店の人にそこまで頼むほどの信頼感は、まだありません。

では、二人がかりで、車椅子ごと運んではどうでしょう?

店内で車椅子の移動はできるでしょうか。ギリギリかなあ。

テーブルはどうでしょう。

私の知人で電動車椅子の方がいまして、お店のテーブルの高さが合わないと苦心していらっしゃいます。どうしても、入れる店に限りがあるのが、食通でもあるので、悩みの種だと言ってます。

これは、個室が1日使い切りだから、予約した部屋だけ、テーブルの高さを調整しておいてもらうことができるかもしれません。車椅子でも入りやすい手前の部屋か、一番奥の広い部屋をチョイスして、車椅子の高さに合わせられないか検討してみましょう。

オーダーは、スマホからなので、弟さんには難しいかもしれません。いや、岸田さんにも難しいかも。その辺りは、きちんとスタッフがフォローしてくれるでしょう。

デジタルが優先なのではなく、お客様が優先だということがわかっている豚組しゃぶ餡スタッフですから、そこは安心です。

ゆっくり1日豚しゃぶを食べていただき、帰りも、他のお客様と交錯しないようなタイミングで、お帰りいただきましょう。もちろん、道路までは、スタッフが慎重に車椅子を下ろします。

結局、人なんですね。でも、あの店はそこも大丈夫だと思うのです。今までの経験から。

オリンピックよりもパラリンピックを基準にしよう

何が書きたかったのかというと、ソーシャルディスタンスという言葉を流行語で終わらせず、これからの建築基準は、車椅子が自由に通行できるかで行くべきではないかということなのです。

オリンピックの会場に、お情けのように車椅子スペースを置いて胸を張るんじゃないくて、全席、車椅子が入れるような競技場は作れないのか、というところから考えてもいいんじゃないのか。それがソーシャルディスタンスを保った競技施設であり、パラリンピック会場なのではないでしょうか。

アフターコロナ下における距離の基準、スペースの基準、建築の基準を車椅子をベースにおけば、実は、ロボット配膳など、ロボットの社会進出にも応用できるのではないかと考えます。松葉杖の人が歩きやすい場所は、滑りにくいでしょうし、丈夫だろうと思います。食べるのに障害がある人がこぼしてもすぐに拭けるような材質のテーブルや床は、消毒もしやすい。

障害者基準で街を見直すと、コロナ対策にもなるのではないでしょうか。

ただ、結局、運用は人です。

人の気持ちが、社会にある「壁」を越えさせる。

それは、飲食店だけではなく、あらゆる施設で同様なのだろうと思います。

そのことを考えるのに、豚組しゃぶ庵と岸田奈美さんで思考実験してみたというわけです。

両者にお詫びします。勝手にすいませんでした。

豚組しゃぶ庵も是非行ってください。美味しいです。





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