見出し画像

日本が若かった時代の話から、年収100万円時代の衝撃を考える

昨夜、久しぶりにいつものバーで、またベテラン役者さんと昔話をしていて、ちょっと考えたことがありました。

この方が20代の頃の話。1970年代には、今のように小さな劇場やフリースペースが少なく、自分たちで六本木のガラス屋さんの地下階部分を芝居ができる劇場に改造して毎月新作を20日間上演し、10日間稽古して次の月に上演というのを1年間やっていたんだそうです。

一緒に芝居を作っていた方々は、今や、映画にミュージカルにテレビドラマに欠かせない重鎮達で、名前は出せませんが、誰もが知っている人たち。その若かりし頃の、日本の小劇場界の黎明期のお話。

無茶な話ですが、若かったからできたという話で、結局、ずっと劇場にいるからバイトもできず、東京出身の方ですけど、中目黒の下宿のようなアパートと劇場との往復だけの毎日で、出演料も出なかったけど舞台に立てるから幸せだったなあ、とおっしゃいます。

ちょっと待ってください。1年間無給でバイトもせず、どうやって生活できたんですか? 

食べるものは劇場に行けば何かあったし、他にお金を使うこともないし、別に使った覚えもないなあ。

いや、下宿代は?

そういえば、どうしたんだろう。覚えてないなあ。あの1年間は、細かい記憶がないんだよね、1年間で8本も芝居やってたから。

日本が若かった時代は、どうにかなった時代。

この話を聞いて、今とは何が違うのだろうと考えました。

この記事の中で引用した、年収100万円時代の衝撃。

住むところもなく、食べるものも節約し、特に好きなことをしているわけでもない人たち。

彼らには社会で助け合う仲間がいるのだろうか、と考えてしまいます。

何とかなった時代の若者は、やはり繋がって生きていたように思う。その時持っているものが払い、食べるものを分け合い、生きる理由を分け合って、時にはぶつかり、時には助け合って、それでも好きなことを共有し、それを実現する日々。それは貧しくても楽しかった、未来は見えないけど、何とかなった時代。

でも、考えてみれば、アパートも安かった。

この記事で書いた、中野のアパートは4畳半一間で、トイレ共同、台所共同、風呂なし。隣のカップルの営みの声が筒抜けだった。でも月16000円。

この頃は、こんな部屋でも敷金礼金に不動産手数料に前家賃で6ヶ月分必要でした。10万円貯めないと、住めないわけです。これを時給450円のバイト代を貯めて東京に出てきたのだから、よくやったなあと思います。

今10万円じゃ、アパート借りられないでしょうね。それと、こういう4畳半一間みたいな物件も都内からどんどんなくなっているでしょうし。そうなると初期費用がない漫画喫茶やレンタルスペースに住んでしまうのも無理ないのかもしれません。

でも、やっぱり、夢を共有する仲間がいて、一緒になんとかしようと戦うことができれば、抜け出せるものがあるんじゃないのかなあ。

昔話だと笑われるかもしれませんが、この国には、そんな時代もあったということなんです。





サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。