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自分を知るというのはどういうことなんだろう

おはようございます。

朝一番でnoteを書いて38日。

なんだか書かないと気持ちが悪い感じになってきました。

こういうのを習慣化と言うのでしょうか。

今まで人生であまり何かを習慣化したことがないので、戸惑いながらも書いている毎日です。

さて、自分を知ると言うことが、自分の良い点や悪い点を知ると言う社会性の側面から、自分の強みとか弱みを知ることと言う経済性の側面になったのは、ストレングスファインダーあたりからでしょうか。

心理学なんでしょうが、精神性よりも能力・才能という方面にシフトしている考え方のようです。

自分を知って毎日の生活を良くしましょうという時に、周囲とうまくやりましょうね、という日本的な感じとは違って、どうすればのし上がれるか的なアメリカンドリームぽさを感じます。

それはさておき、先日、ネットで流れてきたエムグラム診断というのをやってみました。

超精密性格診断mgram(エムグラム)は、企業で用いられる適性検査レベルの高精度分析アルゴリズムにより、あなたを構成する性格要素のうち特徴的な8つをハッシュタグ化して抽出します。世界各国で、700万人以上に利用されている性格診断です。自分の性格や行動に対する周囲の印象がわかるだけでなく、適職診断や恋愛診断などの追加診断も受けることができます。

なんかすごそうです。105問もの質問に答えなければなりません。

結果はこちら。

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そして、才能はこちら。

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そして、私と相性の良い人は。

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これは多いのか少ないのかわかりませんが、40人学級で7クラスに一人くらい。まああまりいないということですね。そんなものでしょう。

全体を見れば、よく言えば優しい、悪く言えば優柔不断。どんどん進んでいくタイプではなく、周りを見て安全に進むタイプということがわかります。

これは、自分では意外で、周りからも意外な印象。もう少し突き進んでいく人だったんですが、やはり、ここ数年の状況変化で臆病になったのでしょうか。

8性格の用語についている形容詞が、「弱め」とか「少し」「若干」と、傾向として、ややそういう傾向がある、という言い方が多いのに、その中で「かなり」「強め」とされているものが二つありますね。

「かなり繊細」と「好奇心強め」です。この中では、この傾向が強いということで、構成要素としては主体的な性格と言えるのではないでしょうか。

となると、気になります。この診断をやると、そのあとメールで毎日1要素ずつ解説が来るのですが、昨日は「かなり繊細」でした。

このタグを持っている人は「強靭性が低い」という性格的性質を有しています。
強靭性が低い人の長所
他人の反応をすぐに察知する
周囲の状況に配慮する
かなり敏感である
強靭性が低い人の短所
繊細である
やや投げやりに見える
集中力を持続しにくい

ビクビクしている感じがしますね。

繊細というと優男ぽくていい感じかと思いきや、短所のようです。

また、他の人にない特徴として以下が挙げられるそうです。

💎1️⃣ 空気の読める世渡り上手
あなたは、余計なトラブルを好みません。自分の本音や主張よりも、周囲への配慮を優先することが自然と身についています。そのため、強すぎる自己主張をしたり、場をかき乱すような行動をしたりせず、その場のムードに合わせたり、自分の意見を微調整したりします。簡単に言うと、空気を読むことが他人よりかなり上手いのです。
ひとりひとりと丁寧にコミュニケーションをとることで、あなたはいくつもの居場所を持つことができます。そして、自分にとって居心地のいい場所が増えていくことは、あなたの喜びに繋がります。表面的な関係に終わらないよう、深い信頼を築きましょう。

この他にもあるのですが、それは有料。

まあ、お金を出して知るかどうか、という問題です。

繊細と世渡り上手は、表裏の関係にあるように思えます。周りを気にするから周りに配慮し、争いを好まないので調整する側に回る。まあ、そういう人生かもしれません。

自分を知るということはどういうことなのでしょう。

よく言われるのは、自分のことは自分が一番よくわかっていないというやつですね。自分のことくらい自分が一番知っているよ、という啖呵もありますが、実は周りから見えている自分というのと、自分で感じている自分というのに大抵誤差が、いや乖離がありまして、だいぶ違うものなのだそうです。

それはなぜかというと、人間は社会的な動物だからです。社会的評価が自分を決定するのですが、そこには様々な認知バイアスがかかってきます。

自分でわかっていると思っている自分というのは、実は自分がそうありたい自分だったり、美化した自分だったり。本当の自分を見つめるというのは厳しい作業で修行の一部になるようなものです。普段は、強く意識して自分はこうだというようなことは考えていないものです。でも、そうあるはずとか、そうありたいということは意識しているので、それが表面に現れて「自分はこうだ」と構成しているわけですね。

でも無意識の自分というのは、普段の生活の様々なシーンで行動や表情などに現れています。周囲の人は、それを見て、その人を判断するわけです。確かに、取り繕った自分というのを周囲に見せているはずなのですが、多くの場合、人間は、そういう特別なシーンのことよりも何気ない一言とかさりげない仕草とか、そういうことを覚えているもので、それだけに、周りの人が言う自分は、そういう無意識を反映した自分、より本質に近い自分だということになるわけです。

心理学出身者というのは、こういうことは理解しているわけで、それを生かして生きていけばいいのに、それができない人が多いのが特徴です。もちろん私もその一人。

だから時々、自分がどのように周りに見えているのか、評価されているのかが無性に気になるときがあります。でも、周りはコントロールできないものです。コントロールできないことは気にしても仕方がない。そう言い聞かせて諦めるのです。

ありのままで。

自分とは、固定した何かではなく、周囲との関係、環境などでも変わっていきます。その時の自分をどう受け止め、受け入れ、諦めるか。それもまた自分なのだろうと思うこの頃です。




サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。