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「老いる勇気」を読んで、「おとな」について考えた

岸見一郎さんの「老いる勇気」という本を読んでいます。

岸見さんといえば、アドラー心理学とギリシア哲学の専門家で、古賀史健さんとの共著「嫌われる勇気」が有名です。

その後も多くの本を書いているんですが、その中の一冊が「老いる勇気」な訳です。出版社もPHPなので、「嫌われる勇気」を出したダイヤモンド社ではないし、乗っかり感があって、ちょっとどうなの?と思いながら手に入れた本でした。

PHP増刊号での連載に加筆して出版されたということなので、単純なベストセラー乗っかり本ではなく、それなりに工夫されていました。

ただ生きているだけで、あなたは人の役に立っている――アドラー研究の第一人者であり、ギリシア哲学を専門とする著者が、「老い」と「人生」について語る。余命は誰にもわからない。この事実は変えられない。変えられるのは、私たち自身の「意識」である。“老いる勇気"─老いた「今」を幸せに生きる勇気とは、人生の見方をほんの少し変える勇気なのかもしれない――。

嫌われる勇気の時にも、「勇気」って何なの?と思っていたんですが、決意するために一歩踏み出すことなんですね。勇気を振り絞る、というような時に使う勇気。

老いるのに勇気がいるのか、と思うわけですが、意識を変えることで、老いるという事実が違ったものとして見えてくる、そこに踏み出すことを著者は勧めているのです。

中でも「おとなになる」というところに感銘を受けました。

おとなであると認められる三要件は、「自分の価値を自分で認められる」「自分が決めなければならないことを自分で決められる」「自己中心性からの脱却」であると岸見さんは指摘します。

他者との比較ではなく、自らが自らを律し、その上で自己中心的にならない。その存在を「おとな」と認め、受け入れることが肝要なのです。

歳を取ったからといって、「おとな」じゃないなと思われる人はたくさんいます。老いると我慢が効かなくなりますから、尚更子どもっぽい振る舞いになる人が多くなるわけで、そうならないように、自ら老いることを認め、おとなになっていかなければならないと深く感じ入った次第です。

目次にある言葉も滲み入るのですが、小見出しがまた良いのです。それは本書を買って読んでください。

第1章 人生、下り坂が最高
第2章 「でも……」の壁を越える
第3章 「生きている」だけで人の役に立てる
第4章 「今、ここ」を大切に生きる
第5章 執着があってもいいではないか
第6章 「おとな」でなければ介護はできない
第7章 「できない」という勇気を持つ
第8章 「私たち」を守護に考える
第9章 「老いの幸福」を時代に伝える

それにしても岸見さんはたくさんの本を書いています。

2013年に「嫌われる勇気」が売れたから多くの版元から依頼されるのでしょうが、ご本人の執筆動機は、依頼があるからだけではないようです。

本書「老いる勇気」の中で、50歳の時に心筋梗塞で倒れ、転機になった事に繰り返し触れています。2005年か2006年でしょうか。その病床で主治医に「本は書きなさい、本は残るから」と言われた事。自分には言葉があると思った事をあげ、「命をつないだ私の使命です。これからも命ある限り書き続けたいと思っています。」と書いています。

さらに、「書けなくなった時に、だからといって自分に価値がなくなるわけではないことも、しっかり心に刻んでおきたいと思います。」と、この章を結んでいます。

書くことが使命だからといって、書けなくなったらば役に立たないのではなく、それでも自分には価値があると思うこと、それが老後に自分を否定しない勇気ある行動なのだと指摘しているのです。

こうした、自分のことを挙げながら、一つ一つの事象について書いている本なので、共感と納得を持ちながら読み進めていくことができます。

老後の気持ちの持ち方について書かれた本は数多く出版されていますが、煽ることなく、蔑むことなく、諭すことなく、淡々としかしゆっくりとしみこむ言葉に満ちた本はなかなかないです。

「嫌われる勇気」を読んでいない方にもお勧めしたいです。



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