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自民党「日本国憲法改正草案」読んでみた その2:第1章 天皇

自民党の「日本国憲法改正草案」を読んでいます。

なぜ第1章が天皇なのか

第1章は「天皇」です。これは、現行憲法の第1章が「天皇」だから、そのままということだと思いますが、では、日本国憲法の第1章は、なぜ「天皇」なのでしょうか。

これは、戦後の憲法議論の中での一つの問題だったように思うけど、最近は誰も言わないかもしれない。理由は池上さんに聞いてみましょう。

その理由は、今の憲法が明治憲法の改正として制定されたからです。明治憲法は天皇の地位から条文が始まっています。そのため、明治憲法の改正である日本国憲法も、同じように天皇に関する条文から始まっているのです。

これで済ませてますが、戦後、左派が憲法改定の議論をするたびに、「天皇」が第1章なのはけしからん、とか言っていたはずなんですね。

国民主権なのだから、「国民」が第1章であるべきだとか。

私も、この点は、検討の余地があるのではないかと考えます。なぜならば「国民主権」と謳っているのは、実は、前文と第1章天皇の中で、「国民主権」を明記した独立した章はないからです。

明治憲法では「天皇は元首」であり、日本全体を統治するトップにして現人神ですから、これは最初に書かざるを得ない存在だった(明治政府はそれを利用した)わけですが、戦後日本で一番大きく変わったのは、やはり天皇ではなく国民が主権者なのだという考えだったはずです。

ならば、意識を大きく変えるためにも第1章を「国民主権とは何か」を明記する章にしても良いのではないでしょうか。

でも、自民党草案は、第1章はそのまま「天皇」です。

しかし、それには大きな理由があるのです。

天皇は「象徴」なのか「元首」なのか

現行憲法の条文の第1章第1条は以下のようになります。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

これに対して、自民党草案は、こうなります。

天 皇 は 、 日 本 国 の 元 首 で あ り 、 日 本 国 及 び 日 本 国 民 統 合 の 象 徴 で あ っ て 、 そ の 地 位 は 、 主 権 の 存 す る 日 本 国 民 の 総 意 に 基 づ く 。

「象徴」だった天皇が、「元首」と明記されています。「その地位は日本国民の総意に基づく」のですから、これは国民が決めるべきことではないかと思いますが、自民党草案では「元首にして象徴」という存在に変えられているわけです。

この「元首にして象徴」という実に不思議な存在は、実は海外には先行例があります。イギリスのエリザベス女王です。これは立憲君主制という仕組みで、「君臨すれども統治せず」という言葉で知られています。

制度として正式に記載するのは、主権在民であり、基本的人権であり、真の民主主義であり、政治的権限を持たない立憲君主制であり、戦争の放棄であり、またこれらの原則がいかなる理由によっても縮小されたり停止されたりしてはならないということだったのです。
我々が目指したのは立憲君主制で、そこでは天皇は統治権を持たず、国家及び主権者である国民統合の象徴としての役割を果たすものでした。しかし、天皇には、儀礼的な行事を行う以外に、内閣の承認を条件に数多くの役目を付すことで、ある程度の意義ある役割が与えられたのです。
— 2000年(平成12年)5月2日 参考人 元連合国最高司令官総司令部民政局海軍 リチャード・A・プール答弁

GHQ草案からすでに、立憲君主制を意識していたことは当時の関係者が証言しているところです。

ただ、天皇が「元首=国を代表する人」であるという理解は、明文化はされていませんが、事実上存在しています。世界中から日本の元首は天皇であるという共通認識のもとで国際儀礼(プロトコール)が行われているのが、その理由です。

自民党草案は、そうした実情に憲法を合わせたと言えるでしょう。

国旗、国家、元号を規定

よく議論になるのは「元首か象徴か」ですが、実は、第8条まである第1章天皇は、この後、色々と変わっています。

それを見ると、自民党が考える今後の天皇像が見えてくるのではないでしょうか。

新設する項目がこちら。

( 国 旗 及 び 国 歌 )
第 三 条  国 旗 は 日 章 旗 と し 、 国 歌 は 君 が 代 と す る 。 
2 日 本 国 民 は 、 国 旗 及 び 国 歌 を 尊 重 し な け れ ば な ら な い 。
( 元 号 )
第 四 条  元 号 は 、 法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り 、 皇 位 の 継 承 が あ っ た と き に 制 定 す る

憲法に規定されていない「国旗と国家」を入れ、元号についても明記します。

天皇の権能を抑え込みたいのか、違うのか

現行憲法の第3条を後ろに追いやってまで新設したいと言うわけです。

天皇の国事に関わるすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

この第3条は、「天皇の国事行為等」とする第6条の中の1項に置き換えられています。

そして以下の現行の第4条は、第6条「天皇の権能」とされます。

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これが自民党草案では、こうなります。

天 皇 は 、 こ の 憲 法 に 定 め る 国 事 に 関 す る 行 為 を 行 い 、 国 政 に 関 す る 権 能 を 有 し な い 。

一見、同じに見えますが、実は大きく違いがあります。

現行憲法では「行為のみ」とするのに自民党草案では「行為を」と強調がなくなっています。些細な違いのようですが、これは現行憲法が天皇の行為をなんとしても制限しようという天皇の権能に対する畏れを感じるのに対して、憲法草案者が天皇に対して上位に立っているような気配を感じます。

あくまでも気配ですけどね。

天皇は国事行為をする機関なのか

この権能に関する条項の後に、第6条天皇の国事行為等と表題して、まとめてあります。

現行憲法では、第3条で「天皇の国事に関わるすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と抑えておいてから、天皇の権能に関する条項があり、天皇の国事行為に関わる内容を、第6条・第7条と書いていくのですが、自民党草案は、この辺りの文章の行ったり来たりする感じを整理したと言うことなのでしょう。

でも、ここでも自民党草案は第6条に、現行憲法第7条にあった「内閣の助言と承認により」と言う文言を削り、第4項に「天 皇 の 国 事 に 関 す る 全 て の 行 為 に は 、 内 閣 の 進 言 を 必 要 と し 、 内 閣 が そ の 責 任 を 負 う 。」と言う文言を置いています。

ここでも言葉にこだわるようですが、「内閣の助言と承認」が「内閣の進言」と変わったことが気になります。

「助言と承認」だと、助言に従って天皇が選択して、それを内閣が承認する、と言う感じがしますが、「内閣が進言」だと、内閣が言ったことを全てやれ、と言っているように感じます。天皇にも選択の余地があるといいなあ。

しかも、こう追記されたんですね。

第 一 項 及 び 第 二 項 に 掲 げ る も の の ほ か 、 天 皇 は 、 国 又 は 地 方 自 治 体 そ の 他 の 公 共 団 体 が 主 催 す る 式 典 へ の 出 席 そ の 他 の 公 的 な 行 為 を 行 う 。

天皇は本当に忙しいんですよね。国事行為が多い上に、天皇としての内部での仕事も数多く決められています。主に、祈りですが。

上皇様は国事行為が全うできない年齢になったことを苦にして、譲位されたわけですね。式典への出席とか減らしてあげたらどうなんでしょうか。

それはそれとして、こうしたものも明記されていないけれども実態に則して整理した上で追記したと言う性格のものでしょう。

こうして読んでいくと、条文の重複や混乱を整理し、わかりやすくしたように見受けられます。

ただ、その背後にある天皇という存在への目線が、現行憲法に残る戦前の影を消したいという畏怖と監視の視点から、戦後70年以上経って、人間天皇となって3代目を迎えた、管理可能な存在である役割(機関)としての天皇というような平易なものになっていることが感じられます。

それならば、やはり第1章でなくても良かったんじゃないかなあと思います。そこを触ると怒る人がいるのかもしれませんけど。








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