見出し画像

「新しい日常」とは何か、考えるタイミングは今

まさに「ポスト・コロナ」に向けて、私たちは歩み出さなければならないのでしょう。

さすが竹下さんです。実に目配りされた内容で、個人の声を拾いつつ、肯定的な未来を見出そうとされています。

経済を回し続け、弱い立場の人を支援し、さらに個人個人が自分のライフスタイルを見つめ直して、なんとか対応する。健康管理をしっかりすると同時に、できることを地道にやって行く。生命に関わる方への医療支援に加えて、こうしたことが求められているのではないか。

あの時とは違うポスト・コロナ

私が東日本大震災の時に、新しい日常が来るのではないかと感じた時には、結局、色々と押し戻され、東京ではあまり変わらない日常が戻ってきました。

しかし、このコロナウイルスの影響は、東北だけでも、日本だけでもなく、世界が巻き込まれた災害になっています。

東日本大震災の時のように、外需で経済を戻すとか、生産基地を海外に移すとか、そういう手が使えません。

これまで、オリンピックを言い訳にして先延ばしにしてきたこと、またオリンピックと復興の名の下に覆い隠してきたことが、次々と露わになりつつあるのがコロナ禍の中での日本ではないでしょうか。

竹下さんが書くように「日本を元気に」という号令のもと、いろいろな問題を押し切ってきたように思います。

オリンピックによって、「日本は元気になる」という声がここ1-2年はよく聞かれた。しかし今大事なのは、そうした大きなイベントに期待するのではなく、コロナを乗り切り、終息した後の「ポスト・コロナ」時代を生き抜くための準備だ。

しかし、「ポスト・コロナ」は、コロナ禍によって露わになった矛盾や問題をデジタル化の良い部分を活用して解決に向かうフェーズ変えの時代なのではないかという気がします。

デジタル化を活用すれば置き換えられることを、変化を嫌って置き換えずに続けてきたのをやめて、手をつけて見たらば、案外スムーズにできた。それが、テレワークだったり、海外を含めたテレビ会議だったり、家庭での夫による家事だったり、子供の世話だったり、今起きているいろいろなことなのではないでしょうか。

これを、一過性のものにせず、一気に新しい日常に取り込む。

「ポスト・コロナ」の新しい日常づくりに取り組めること、取り込めることを考えるのは、まさに今なのだろうと感じます。

世界はすでに動いている?

そして、中国は、すでに「ポスト・コロナ」における管理社会のあり方を手の内に収めつつあるのではないでしょうか。習近平体制の強化に、デジタルをどのように使えば良いか、アプリやカメラがどう使えるのか、それをコロナウイルス対策で一気に試した感じがします。

欧米は縮こまっているように見えますが、その裏で、新しい制度づくり、国際協調体制のあり方などの大きな枠組みの変更を検討していることでしょう。それが、欧米人の思考だからです。ルールは作り出すものであり、社会の変化に応じて自分たちが有利になるルールをいち早く作ったものが勝ちだというのが、彼らの歴史です。

ペストの時に起こったこと、スペイン風邪の時に起こったこと、すでに分析し、そこにデジタルを載せてくるでしょう。

新しい日常は新しいルールのもとに生まれる

翻って、我が国は何を検討しているでしょう。それがあまり見えないのが、この国らしさかもしれません。天皇は祈っていることでしょうし、政権は現状維持に必死でしょう。各企業は、新しいルールにどう対応するかを検討していることでしょう。

自らがルールを作るのではなく、与えられたルールをいかに自分たちの都合良い方向にねじ曲げてローカライズするか。それが日本という国が長年やってきたことです。

しかし、今度の新しいルールは、国際社会の一員として協調するしかない、ローカライズしにくいものになるかもしれません。それに対応することが求められる企業、組織、自治体などは、そのそれぞれのトップに対して、どういう感覚の持ち主であるかが明らかになり、その能力が問われる課題になるでしょう。

何にしろあと3ヶ月のうちに、ポスト・コロナの方向性は見えてくるでしょう。多分、欧米はそれくらいまでに何かを整えてきます。早ければ終息宣言を出す国もあるでしょう。そして、ルールを変えてくるはずです。

オリンピックというイベントの未来も含めて、新しい日常がやってくるような気がします。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。