見出し画像

良い話を取り上げて前向きな気持ちになりたい

テレワークとかなんとかできるのは、デジタル化が進んだ領域だけで、人と人の間を繋ぐのはアナログの世界だからね。無理だね、私の仕事は。

そんな声が多くて困っている人もいるのではないでしょうか。

でも、本当に、デジタル化が進めば、アナログな人と人の間のやり取りもやりやすくなるのだというのが、スウェーデンの話です。

スウェーデンに見る助け合い社会

度々ご紹介しているスウェーデンの留学中の福田和子さんの連載の最新版。

今回は、性教育とかの話ではなく、スウェーデンのちょっといい話。

現在スウェーデンでは、高齢者をはじめとする自宅待機を要請されている人たちが孤立しないよう、国や自治体も連携しながら、市民らによる支援の輪が広がっているのだ。

福田さんのマンションでの挿話から始まります。

1週間ほど前のある日、マンションに戻るとエレベーターの前に見慣れないメモが貼ってあった。なんだろうと見てみるとそこには、
「ご近所の皆さんへ!今はお互いの助け合いがとても重要な時です。買い物など、もし何か助けが必要な方がいれば、下記に電話して下さい!」

これだけならば、アナログな話で、でも同じマンションの人とはいえ電話番号を知られるのはなあ、と思わないでもないです。でも、この電話番号がキーになっているのがスウェーデンの社会でした。

デジタル化の浸透がアナログな助け合いをサポートしている

必要なもののリストを渡し、元気な人が買いに行く。買い物袋をドアの前において、ベルを鳴らし到着を伝えたらそれでおしまい。支払いは、スウェーデンなら誰もが使っているといっても過言ではない電話番号さえわかれば支払い可能なスマホ決済で済む(移住して半年、一度も現金を使ったこともなければ持って歩いたこともないほど、スウェーデンはキャッシュレス社会である)。お互いが顔をあわせるリスクもないまま、必要な人に必要なものが届く形だ。

キャッシュレス社会が浸透しているから、お金のやり取りが簡単で、しかも顔を合わせなくても良いという仕組み。

さらに、薬の購入も代理できるのは電子処方箋が行き渡っているから。

スウェーデンには、「E-Hälsomyndigheten」というデジタルヘルスケアを先導する社会省に属する行政機関があり、99%の処方箋が電子処方箋というほど、医療面でも電子化が進んでいるのだ。今回の代理人申請も、E-Hälsomyndighetenが提供するオンラインでの申請を行うだけでいい。なりすましの防止といった安全性の担保は、スウェーデンでいかなる場面でも重用されているパーソナルナンバー(日本でいうマイナンバー制度)の駆使と、厳格な本人確認によって保証されている。

そして、こうした援助が必要な人と、援助できる人のマッチングは、まさにデジタルの得意技で、Facebookグループや自治体のホームページなどを活用しているという。

日本ならば、LINEを使うとか、色々できそうなことはありそうです。

信頼が社会を支えている

さらに、時間をずらして、ハイリスクな人たち(主に高齢者)だけが購入する時間を作るスーパーもある。これは無症状感染者との接触を減らす効果がありそう。

私が愛用している、普段は7時開店の大手スーパー入り口には「3月23日より、ハイリスクにあたる方々のため、店舗を朝6:30より開店しています。この試みが成功するよう、皆様のご理解ご協力を願います」という張り紙が何枚も貼ってある。

こういう工夫は、デジタルではなくアナログなものだけど、日本では、ハイリスクにあたる人たちに買い占められてしまう危険性があると言われてしまいそう。

そこにあるのは、周りの人たち、つまり社会への信頼なのかもしれません。

まず、人を信頼し、社会を信頼することで、社会全体の得になるような行動を取ろうとするのがスウェーデン社会のように見えます。

翻って、日本はどうでしょう。信頼できずに安心を求めて要請ばかり出ているように思います。

安心社会から信頼社会へ移行できてない日本社会

社会心理学者の山岸俊雄先生は「安心社会から信頼社会へ」という本の中で、日本は、安心社会であり、アメリカは信頼社会だと言われています。

詳しい内容は、専門家の解説から引用します。

山岸氏によると「安心社会」というのは、市場取引について長期的に利害関係を共有する社会関係に基礎を置くことで、囚人のジレンマ問題を解決し、その結果人に騙されることの少ない社会のことをいい、
「信頼社会」とは短期的関係の「他人」でも、その信頼性を見極める知性を持つので、他人と信頼関係を積極的に結ぶことのできる者が多い社会である。

しかし、山岸先生が亡くなった今、日本は、安心社会でも信頼社会でもない中途半端な状況にあり、どちらでもないマイナス面が、現在のような不確実な状況で露見しているのではないかと懸念します。

日本人とアメリカ人を巡るこの考察には唸ります。

山岸氏は著書『心でっかちな日本人』で、日本人とアメリカ人の行動の違いは、異なる行動がそれぞれその社会環境で適応行動になっているから起こると主張し、その根拠を数多くの心理実験で示した。上記の例で言えばアメリカ人が職業倫理に忠実なのは、「信頼社会」では職業倫理の順守が信頼の尺度である上に、例え上司の命令でも職業倫理に反する行為は決して許されないからである。また、日本人が公務員倫理などの職業倫理より上司の命令を優先するのは、「安心社会」の長期的雇用の下では、将来的にも継続する組織内の上下関係の和を保つことが下僚にとって順調な昇進・昇給の保障の手段となっていることに加え、上司の命令でしたことなら職業倫理に反しても許されやすいので、「上司の命令に従う」という保身の利益が、「上司に逆らっても法に従う」利益より大きいからである。

不確実な状況だから信頼が重要

最初、この記事では、デジタル化の促進が、社会の信頼の担保になり、アナログな行動を支えることもあるよね、ということを書こうと思っていました。

ところが、山岸先生の「安心社会から信頼社会へ」を思い出してしまったので、どうも、それだけの問題ではないなあ、その前に「社会的知性」の問題があるのか、とちょっと気持ちが萎えてしまいました。

この記事から、安心社会から信頼社会への内容を引用してみます。

例えば、この考察から納得できることは多いと思います。

日本人が集団主義的なのは、一言で言えば、日本社会には「相互監視・相互規制のしくみ」が存在しているからである。だから、その「しくみ」から解放されたところでは、日本人は「旅の恥はかきすて」的な行動をとることがしばしばあるのである。

今の日本は、相互監視・相互規制が外れかけ、タガが外れかけていないでしょうか。だとすると、「要請」で安心を担保するのは難しくなっていると思われます。

さらに、こうした考察も重要です。

「高信頼者」は、他人が信頼できるかどうかということについての情報に敏感な「社会的知性」が高い人である。  それに対して「低信頼者」は、最初から信頼度が低いので、「本当に相手が信頼できない人だ」という情報が与えられてもあまり信頼度に変化がない。つまり情報に鈍感である、と言える。

日本社会では、低信頼者が多いと実験結果からわかっています。

信頼ができない人への信頼度が変化がないというのは、なんだか最近の政府支持率の話のように思えます。

高信頼者は「他人への共感能力が高い」が、低信頼者は「共感能力が低い」という結果も出ている。
 一般には集団主義者は共感能力が高いとおもわれがちだが、「集団内にこもる低信頼者」が関係性を検知する際には「共感」は必要ないのである。
 それに対して集団外部に「信頼」できる人をもとめる高信頼者は、「共感」した上で「信頼」できるかどうか判断するのである。

他人への共感が薄い社会では、手を取り合って問題を解決するという決断にかけることになりそうです。

今必要なのは、社会の問題解決に向けた行動に「共感」し、周りに人を「信頼」して、問題の解決に向けて心を合わせることなのではないでしょうか。

ネット社会ではポジティブな評判が安心を生む

最後に、山岸俊雄先生の実験結果からの考察をあげます。

講演のスライドからです。

画像1

この講演で、結論として以下のことを挙げています。

ネガティブ評判を使った集団主義的秩序は、閉ざされた関係内部で安心を生み出すが、そうした関係の外部の人々に対する不信を生み、リスクをとりながら安心できる関係の外にある機会を求める傾向を抑制する。
人々が安心社会に閉じこもれば閉じこもるほど、安心できる関係から外に出るリスクが大きくなる。そのため、ますます安心を求める傾向が強まるという悪循環が生まれる。
この悪循環を断ち切るためには、最低限の安心を提供する必要がある。集団主義的ではない方法で安心を提供するためには、ポジティブな評判に目を向ける必要がある。ネガティブな評判を避けるのではなく、ポジティブな評判を求める態度を育成する必要がある。

私たちが、今優先するべきは、ネガティブな評判ではなく、ポジティブな評判なのではないでしょうか。閉ざされた関係での安心よりも、世界との間で不信を取り除き、大きな安心を求めるために、ネット社会でのポジティブな評判に目を向けることを、山岸先生は伝えています。

今、ネットではネガティブな言説が溢れています。

社会も信頼しにくいものであるかもしれません。

新型コロナウイルスの感染拡大に対し、自国政府の対応体制が「整っている」および「とても整っている」と回答した人は、全世界で31%にとどまりました。「体制が整っている」と最も多くの回答者が答えたのはインド(55%)とトルコ(51%)であるのに対し、日本では18%の人しか同様の回答をしませんでした。

それでも、社会を信頼し、ポジティブな言葉を取り上げ、前に進む気持ちを持っていたほうが良いことが多いように思います。

「コロナウイルスに感染したとしても、自分は大丈夫だと思う」と考えている人は世界全体では36%。一方、日本(13%)やイタリア(19%)など、拡大状況が長期化している国では、そのように考える回答者が最も少ない傾向にありました。その一方で、過半数の人が「自分は大丈夫だと思う」と答える傾向にあったのは、米国(58%)、カナダ(54%)、英国(47%)でした。

メディアへの信頼もなんとか取り戻したいものです。

「メディアは不要にパニックをあおっている」と感じている人が多かったのは日本(56%)と英国(53%)。少なかったのはスペイン(29%)とイタリア(29%)でした。

良い方向に進みますように。



サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。