「アニメの中の東京」(2008)

この原稿は美術系雑誌からの依頼で、アニメにでてくる東京について書いた2008年の現行です。原稿中で第3新東京市を扱ってほしいというオーダーがあり、箱根なんだけどなぁと思いつつ、不自然にならないように工夫した覚えがあります。この原稿のアイデアが発展して、東京国際映画祭2022のジャパニーズ・アニメーション部門では「アニメと東京」という特集上映を行いました。

(本文)
 第3新東京市は映画『ヱヴァンゲリオン新劇場版:序』('07)の舞台となる都市だ。芦ノ湖北岸近辺に建設された人工都市で、セカンドインパクトと呼ばれる大異変後に建設された。
 グリッド状に整然と仕切られた街路に並ぶ高層ビル街。そこには建築家I.M.ペイの手による香港上海銀行を思わせる形状のビルもある。また、湖畔には独特の形状の集光ユニット(集められた光は街の地下に広がるジオフロントの照明に使われる)が建ち並び、その遠景はまさに未来都市のそれである。その一方で、山際に近い地域に目を転じれば学校やマンションなどが並び、21世紀とそう変わらない日常空間が広がっている。ビル街の中にはコンビニエンスストアが、街の外縁には盛り場があり、そこでは現在の我々と大きく変わらない生活が繰り広げられている。
 しかし、第3新東京市はビジネスや行政の拠点、まして住宅地の確保のために建設された都市ではない。第3新東京市建設の真の姿は、謎の存在「使徒」を迎撃するための要塞都市である。その真の姿は、使徒との戦闘時に明らかになる。
 林立する高層ビルは、戦闘時には地下のジオフロントへと収納される。それと同時に、大型機関砲などを装備した武装ビルが姿を現す。周囲の山から火を噴くのは、ミサイル発射装置や、ドイツの列車砲を想起させる大型砲。そして、使徒と戦闘を行う汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」を支援するため、武器を格納したり、電源コード「アンビルカブルケーブル」に電源を供給するためのビルも登場する。
 この時、第3新東京市は「都市」というよりも、むしろ使徒とエヴァンゲリオンの戦闘のための“リング”といったほうがふさわしい。

 このような二つの顔を持つ第3新東京市を入口に、アニメにおける「東京」の姿を考えてみたい。
 アニメに登場する「東京」を概観するとわかるが、。そこには二方向の想像力が存在している。
 一つは、「バトルフィールドとしての東京」である。これはつまり、'70年代のロボットアニメや特撮ヒーロー番組などに見られた「週一回、“怪獣たち”と戦う場所」としての東京、ということだ。そこは一種の特撮セットのような箱庭空間であり、また、ビル街やコンビナートといった「大都市」のイメージを満たしていれば、「東京」という都市の固有性にはさほどポイントが置かれていない。
 第3新東京市は、既に見たようにこの「バトルフィールドとしての東京」を積極的に継承した都市である。
 『ヱヴァンゲリオン新劇場版:序』では、地下から出入りするビル群が3DCGで表現されていたが、この場面を演出するにあたって庵野秀明総監督からは「特撮のミニチュアを動かしているようなつもりで」とCGスタッフに指示があったという。
 もともと庵野監督は『ふしぎの海の海のナディア』('90)のクライマックスで、パリ上空で行われる空中戦を描く際も、特撮のミニチュアステージを意識した演出を行っており、この時点から「特撮セットのような箱庭の中でバトルを描く」という意識は一貫していることがわかる。
 こうした箱庭的な想像力に支えられたアニメの中の都市としては、『超時空要塞マクロス』(82)に登場する都市がある。同作品では、マクロスという巨大宇宙船の中に都市が建設されており、その中にはテレビ局や映画館、商業施設など、高度に発達した資本主義的な都市空間がそのまま再現されているのである。そしてマクロスの主砲発射をする時には、街中に「CAUTION」の表示が溢れ、街を構成するブロックが移動し、その風景は一変する。『マクロス』の都市は、決して「東京」ではないが、アニメにしばしば登場してきた「東京」と同じく、「バトルフィールド」となる「箱庭のような大都市」なのである。
 こうした抽象的な「東京」像に対し、「東京」という土地の固有性に向かう想像力から生まれた作品も存在する。
 '70年代に入りアニメは、リアリズム的手法を次第に導入するようになった。リアリズム的手法とは、大雑把にまとめると、一定の時間と空間をアニメの画の中に再構成し、リアリティのある劇空間を獲得しようというスタイルである。だから、東京を描く場合も、アノニマスな大都市としてではなく、東京の具体的な場所を緻密に描き、それによってその場に流れる時間と空間を獲得することが目的となる。
 その嚆矢といえるのが『幻魔大戦』('83、りんたろう監督)。同作では西新宿のビル街がリアリスティックかつスタイリッシュに描かれたほか、新宿のポルノ映画館の看板、吉祥寺のアーケード街などが忠実に描かれている。
 また85年には『メガゾーン23』(石黒昇監督)がリリースされているが、同作は「現実と思っていた東京23区が、実は宇宙船の中の都市だった」というギミックを持ったSFアクションで、『マクロス』のメインスタッフも参加。ちょうど「箱庭的想像力」と「東京の固有性への想像力」をブリッジするとなっている。
 しかし「東京の固有性」にこだわって東京を描いた作品としては『機動警察パトレイバーthe Movie』('89、押井守監督)『機動警察パトレイバー2 the movie』('93、同)をおいて右に出るものはないだろう。両作における「東京」は舞台空間である以上にテーマそのものとして取り扱われている。
 『機動警察パトレイバーthe Movie』では、開発の中で変化し消えていく東京の風景が大きな意味をもって描かれている。そして『機動警察パトレイバー2 the movie』では、そんな東京が安住する「平和」とは何かという問いかけを携えて、戦争状態に陥った東京の様子を描き出した。どちらも「東京」という場所が、今現在抱えている固有の問題なくしてはありえなかった非常にアクチュアルな映画である。

 ではこの「箱庭的想像力」と「固有性への想像力」はどのような関係にあるか。
 『機動警察パトレイバー2 the movie』において戦争状態の演出者、柘植行人は埋め立て地から東京を見て呟く。
 「ここからだとあの街が蜃気楼のように見える。そう思わないか」
 21世紀に入ってからぞくぞくと大型の再開発が完了し、湾岸には高層ビルが並び、街の風景もどんどん変わっている。それらの風景は、その変化の速さ故に、柘植のいう「蜃気楼」の一つにしか見えない。そこでは現実の東京の風景から、地縁や歴史といった避けがたいもの――地霊といってもいいだろう――が薄れ、ただ都市に何を望むのかという「欲望」だけが肥大している。
 東京の固有性こだわればこだわるほど、現実に開発されたばかりの新しい街こそ非現実的に見えてくるパラドックス。
 第3新東京市は、このパラドックスを体現した存在といえる。第3新東京市は、東京という名前を持ちながら、「東京」らしさもなく、「東京」の現実からも切り離されている。ただ東京=大都市を、バトルフィールドとして欲望する視線によって再構成された箱庭なのだ。それはつまり「東京」という都市の「幽霊」である、ということだ。「幽霊」がわずかに人間の面影を残しているように、第3新東京市は「東京」の名前を名乗ることで、かすかに現実の「東京」との接点を保ちつつ、あとはすべて切り離され、想像力の中に浮遊している。
  柘植は刑事に逮捕され、自決をしなかった理由を聞かれてこう答える。
「もう少し、見ていたかったのかもしれんな/この街の、未来を」
 柘植が劇中でこのセリフを漏らしてから15年が経過した。現実は、さらに劇中の設定である2002年を追い越して今、東京は未来の中ににある。そしてそれは東京の「幽霊」である第3新東京市へと限りなく接近している。
 西新宿の風景を35年にわたって定点観測した写真集がある(『西新宿定点撮影 脈動する超高層都市、激変記録35年』ぎょうせい)。ぱらぱらとページをめくっていくと、なにもない浄水場跡に、どんどんとビルが屹立していく。まるで地下からビルが生えているかのようだ。その光景は映画『ヱヴァンゲリオン新劇場版:序』に登場する第3新東京市が実在するとしたら、このように見えるのではないか――と思わせるものだ。それは現実の風景でありながら、どこか空想的でもある。

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