2006年に描かれる「日本」と「沈没」

 『日本沈没』というタイトルを冠した映画には、絶対に描かなくてはならないものがある。それは「日本」だ。『日本沈没』とはその原点に、「“日本”とは何か?」「それが“沈没する”とはどういうことか?」という問いかけを孕んでいる企画なのだ。
 だから、監督を始めとするスタッフが、その時代の空気も含め、どのように「日本」をどう捉え表現しているか、という部分が『日本沈没』という映画の要になるのだ。

 73年の森谷司郎監督による『日本沈没』と、06年の樋口真嗣監督による『日本沈没』の「日本観」の違いは、タイトルバックに端的に表現されている。
 タイトルバックの一番最初は富士山の手前を新幹線が走り抜けるカット。これは06年版が73年版へのオマージュとしてなぞっているため、ほぼ同じ。だが、その後に続く映像はかなり違う。

 73年版は、青森と思われるねぶた祭りから始まり、夏の海やプール、山手線のホーム、歩行者天国といった、人が多く集まり、ギラギラしたエネルギーを感じさせる映像をつないでいく。当時の風俗を反映してかカット内に原色が多いのもその印象を強調する。
 それに対し06年版は、桜の花のアップが入ったり、古都の風景、雪の農村、ローカル線のある光景など、東京のビル街も含め「日本の多様な国土」をまんべんなく収めていく。そこには「あなたの知っている風景こそ“日本”ですよ」というメッセージが感じられる。『日本沈没』という企画の持つ「ご当地映画性」にフォーカスしたタイトルバックといってもいい。

 こ高度経済成長を背景に活気、繁栄といったエネルギッシュなイメージを「現代の日本」のイメージとして観客に投げかける73年版。「現代」という部分にあまりこだわらず、むしろおおらかに人の営みを育んできた母胎としての「日本」を表現した06年版。このタイトルバックで表現された「日本観」の差は、そのまま「沈没」の持つ意味合いの違いにも反映される。

 73年版は、「力強く繁栄する日本」に対し、それを根こそぎ粉砕するカタストロフとして「沈没」を描く。73年版の「沈没」は、繁栄に対するアンチテーゼなのだ。
 70年代には「終末ブーム」と呼ばれるムーブメントがあり、『日本沈没』は原作・映画ともにそのブームの中心的存在だった。
 そして、このブームの中から生まれた大きな存在として、やはり書籍から出版された『ノストラダムスの大予言』があった(書籍は74年出版、映画も同年公開)。このことからわかるように、当時求められていたカタストロフは、いわば行きすぎた文明に対する不安の反動であり、それは聖書におけるソドムとゴモラのエピソードにも通じる「罰あるいは警告」として受け止められていたのだ。73年版に描かれる「沈没」は、そうした文脈にすっぽり収まるように描かれている。

 それに対し06年で描かれる「沈没」は、ただただ「とてつもない困難」という存在で、そういう意味ではいささか散文的だ。当然ながらそこには時代の変化が反映している。まず戦前戦中の苦労を知る世代が多かった73年当時と違い、今は多くの人々が社会が豊かになってから生まれ育った世代である。そうした世代は、豊かさや文明化に対して、その前の世代ほど「不安」を感じることはない。だから「不安」を納得させるために「罰あるいは警告」を求める気持も弱い。
 さらに阪神淡路大震災、中越大地震といった災害が実際に発生してしまったことも大きい。これらの災害は、そこに住む人々に対する「罰あるいは警告」でもなんでもなかった。ただ大自然のメカニズムに不条理にも人間が苦しめられただけである。そこに「罰あるいは警告」を読みとるのは、現代ではむしろオカルトの範疇に入ってしまう。かくして、06年の「沈没」は、あくまでも散文的な、あえて言ってしまえば「等身大の大災害」として描かれることになったのである。

 このように73年版と06年版は、その時代背景の違いが、ダイレクトに内容に反映している。そして73年版と06年版の一番の違いはそのストーリーであるが、それは73年版が「“われわれ”の時代」の作品であるのに対し、06年版が「“僕”の時代」の作品である。

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