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漫才論| ⁹⁷「障害」を笑いのネタにするのはどうなの❓

昔は,「障害」をいじって笑いのネタにすることもありましたし,人の欠点をバカにするようなネタをやっていて,それが「『欠点』ではなく,実は『病気の症状』だった」ということが後々分かり,後悔するケースもありました

近年,いろいろな種類の「障害」があることが分かってきましたし,今後も,「ただの『欠点』だと思われていたものが,実は『病気の症状』だった」と分かるケースはたくさん出てくると思います

こうした点を踏まえて,「障害」と「笑い」について書いてみました

論点の本質

そもそも,「『欠点』はいじってもいいけど『病気』はいじってはいけない」という考え方は間違っていると思います。論点の本質は,「人をバカにしているかどうか」です。「『欠点』なのか『病気』なのか」が問題なのではなく,「人をバカにする」ということが問題です

今の時代は「『人を傷つけない笑い』が求められている」と言われたりもしますが,「傷つく」というのは主観の問題なので,「誰が何に傷つくのか」を調査し出したらきりがありませんし,そんなことをしてもたぶん「答え」は見つけられません。むしろ,笑いを提供する側が,「人をバカにしていないか」を考えたほうがいいと思います。そして,人をバカにする気持ちがあるなら,それを捨てたほうがいいと思います

逆に言うと,人をバカにする気持ちがいっさいなく,むしろ,尊敬の念を抱いているのであれば,漫才の中で「障害」について触れることも可能なはずです。腫れ物に触るように,「『障害』については絶対に触れてはいけない」という態度をとるのもおかしな話です。そういう「選別」をするよりも,自分の中に「人をバカにする気持ちがないか」を,まずは正直に吟味したほうがいいと思います

自虐ネタ

「障害」がある本人が「自虐ネタ」をやっている場合,「『障害』を"利用"すれば笑いがとれる」という感覚でやっていると,あまり笑えません。これは,「障害」にかぎった話ではありません。「『女』を"利用"すれば笑いがとれる」とか,「『ハゲ』を"利用"すれば笑いがとれる」という感覚でやっている自虐ネタも,あまり笑えません(ネタの内容によっては何回か笑える場合もあるかもしれませんが,「何回もみたい」という気持ちにはなかなかなれません)

安易に「自虐ネタ」に頼るのではなく,自分が「おもしろい」と思うことを素直に,また,相手に分かるように伝えること,そしてそれをちゃんとした「芸」としてみせること,これにこだわったほうがいいと思います。「自分が『おもしろい』と思うこと」の中に,自分の生活と密接に関係のある事柄が含まれるのは当然のことで,それが,ある人にとっては「ハゲ」であり,「女」であり,「障害」である,そういう位置付けにするということです

本物の「芸」がみたいだけ

多くの演芸ファンは,「人をバカにするネタ」がみたいわけでも,「自虐ネタ」がみたいわけでもありません。「本物の『芸』がみたい」だけです。人をバカにする気持ちなどない本物の「芸」であれば,そこにたまたま「障害」の話が含まれていたとしても,心から笑えると思います。本物の「芸」とはそういうものです

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