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漫才論| ¹³⁹自然体で漫才をする方法① 「『自然体ではない』とはどういうことなのか」

漫才の話にかぎらず,「自然体である」とはどういうことなのかを説明するのはなかなか難しく,どちらかというと,自然体の逆を考えたほうが分かりやすいような気がします。それは,「作り物」または「作られた物」ということです。漫才はそもそも,台本があり練習して行なういわば「作られた物」なので,それを自然体で演じるのは簡単なことではありません。どうすればいいのでしょうか?

自分が「自然体ではない」ということを
自覚できていない人も結構いる

普段から人と接するときに自然体ではない人もいます。そのような人が自然体の漫才をするのは不可能です。この場合,自然体ではない漫才をするか,普段から自然体でいられる人になるか,どちらかしかないと思います

自分が「自然体ではない」ということを自覚できない人も結構いるので,他の人の目にどう映っているのか聞いてみたほうがいいと思います。ただ,「自然体かどうか」をあまり識別できない人もいるので,何人かに聞いてみたほうがいいです。分かる人が見れば,「自然体かどうか」は一瞬で分かります

もちろん,「自然体かどうかなんて関係ない。『自然体ではない漫才』と思われようとおもしろければそれでいい」という場合は気にしなくてもいいですが,自然体の漫才をしたいのであれば,まずは聞いてみたほうがいいです

本当の自分よりも
よく見せようとしている

「自然体ではない」とはどういうことかというと,「本当の自分よりもよく見せようとしている」ということです。本当の自分はそうではないけど,「こういう話し方をすれば,こういうことを言えば,こういう顔をすれば,もっとよく見える」と考えて行動します(無意識の場合もあります)

しかし,どんなによく見せようとしても「本物」ではないので,敏感な人であれば,初対面であっても一瞬で「わざとらしい」と感じます。「わざとらしい」と感じさせないように相当うまくやっている人であっても,大抵の場合「違和感」があります。自然体ではないのにまったく違和感を与えない状態を作り出すのは不可能だと思います

自然体の人のほうが好かれる

自然体になるためには,本当の自分よりもよく見せようとするのをやめるしかありません。おもいきってやめるしかありません。「そんなことをしたら評判が下がるじゃないか」と思われるかもしれませんが,そもそも,自然体ではない人の評判はあまり高くないはずです。なぜなら,今評価してくれている(ように見える)人は,「『作り物』だと気づいていない人」か,「同じように作っている人」だからです。そういう人からの評価がほしいのであればやめなくてもいいですが,おもいきってやめれば,それ以外の人からの評価は確実に上がります。自然体の人のほうが基本好かれます

それに,「作り物」を評価されても,本当はうれしくないはずです。「本当の自分」が評価されているわけではないからです。「作り物」が評価されればされるほど,「本当の自分ではダメなんだ」という不安は募ります。その気持ちをごまかすかのように「作り物」の精度を上げていっても,いつか限界がきます。早めに,おもいきってやめたほうがいいと思います

ほとんど漫才の話ではなくなってしまいましたが,普段自然体ではない人が自然体な漫才をするために必要なことなので,書いてみました(②につづく)

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