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『射精責任』日記② 俺、燃ゆ

前回の投稿「『射精責任』日記① 私が想定読者です」は、こちら。


ガブリエル・ブレア『射精責任』
(村井理子・訳/齋藤圭介・解説)
2023年7月21日発売予定/予約受付中

不安


 年が明けて2023年。すったもんだののち、無事に版権を獲得し、本格的な翻訳作業開始。村井さんの原稿はとにかく早い! 一方、私にとっては本書が初めての翻訳書。違和感のある箇所があっても、「原文がこうなのでは?」「村井さんがいろいろ考えた末、こういう表現にしているのでは?」とぐるぐると考えてしまい、赤入れの手が止まってしまう。しかし、村井さんから「翻訳は磨けば磨くほど良くなるんです。遠慮なく赤を入れてください!」と心強いお言葉。胸を借りるつもりで編集に挑む。

 各所で本書の話をすると、(特に男性から)戸惑いの声が。曰く「またやかましい本が出たなって思われそう」「え? 男は全員逮捕されるわけ?w」。社内の飲み会でも、女性の営業部員が「売れる未来が見えない…」と呟く。もしかしてヤバい? 不安に… いい落としどころがないか何度も何度もカバーラフを切る。

 「射精責任」というタイトルは、やはり強すぎるのだろうか。しかし原書のタイトルをそのまま逐語的に訳した「責任を持って射精せよ(Ejaculate Responsibly)」も十分強いわりに、日本語にしてしまうと不格好だ… 困り果てた迷走の末、ChatGPTにタイトル案を聞く。『射精の倫理』『ラブ・アンド・レスポンシビリティ』『スーパー射精ヒーロー』等の回答。一通り関心したり爆笑したりしたものの、すべてボツ。ちなみに私のお気に入りは、『ハッピーエンドのための射精ガイド』

 試しに元の案の「射精責任」で検索してみる。すると、「無責任射精」という言葉が入ったアダルトビデオが多数。もちろん「避妊なしの膣内射精」を示す言葉だ。初めて腹が決まった。この状況に応答する言葉を、絶対に世の中に送り出したい。

 「宗教2世」もそうだった。よく考えると奇妙な言葉だけど、何を指しているかは直感的にわかる。そういう言葉は、まだ私たちが言語化できていなかったなにかを表そうと、不恰好な姿で迫ってくる。そのうにょうにょしたうねりは、不穏で、醜くも思えて、目を逸らしたくなる。

 本当はわかっている。見たことも聞いたこともないはずの、その言葉の意味を。その言葉が指し示そうとしているものを。わかっていて、わからないふりをしてしまう。過去の自分への恥も相まって、今まで見て見ぬふりをしてきた現実から、引き続き目を逸らそうとしてしまう。でも、せっかく編集者なら、そういう言葉が立ち上がって歩き出す瞬間に、かたわらにいたいと思う。「射精責任」という四字熟語かつ名詞は、きっとこれからいろんな場面で使われる可能性を秘めている。この言葉の力を信じたい。

 本書について、以前から交流のある脚本家・スクリプトドクターの三宅隆太さんに相談したところ、「たしかに『射精責任』という言葉は強いけど、先にみんなに慣れさせちゃえば気にならないかも」と助言をもらう。そんなものだろうか。そこで、発売前からSNSなどでタイトルを匂わせて、反応を伺ってみようと作戦を立てる。

 以前から交流のあった上野千鶴子さんに、本書についてご相談したところ、「私よりも適任な解説者がいる」ということで、岡山大学の准教授・齋藤圭介さんをご紹介いただく。齋藤さんは上野さんのゼミのご出身で、博士論文の審査を担当したのも上野千鶴子さん、ということ。早速、 論文を拝読。「生殖における男性の当事者性」がご専門。ぴったりじゃないか! 

 なお齋藤さんは、妊娠中期以降の中絶(子宮収縮剤を用いて人工的に陣痛を起こし流産させる)における男性パートナーの意思決定の関与について、当事者から聞き取りをしながら研究しているそうだ。想像するだにハードなフィールドワーク…… この研究も、どのように仕上がるのか、楽しみ。

 タイトルの強さを活かしつつ、知的な雰囲気も残したかったので、デザイナーは水戸部功さんにお願い。原書のデザインを活かした細身の版型と、ビビットな文字組、本文2色刷りなどの方向性が決まる。

 「高校生の時に『これからの正義の話をしよう』(※あまりに有名な水戸部デザインの代表作。これ以降、水戸部ジェネリックが大量生産された)を読んでたんです。あの本で、人文・思想の本の面白さを知って!」と言ったら、「あの本が、高校生なんだ…(※単行本が発行され、ベストセラーになったのは2010年)」と時の流れにショックを受けておられました。

バズといえば、宣伝だ!

 GWの始め。美容室帰り、Twitterの通知が鳴りやまない。なんだなんだ。

 事の発端は、美容室で読んでいた『妾と愛人のフェミニズム』という本の読書記録のTweetだった。読書猿さんがRTしてくださったことをきっかけに、当初は読書好きのあいだで平和に拡散されていたように思う。

 おぉ。すごい。Tweetがどんどん伸びる。他社はいえ、こういう学術書がSNSで話題になって、少しでも売り上げに貢献できるなら嬉しい。本当に面白い本だからね! そしてふと3000イイネを超えたあたりから、そうだ! バズといえば、宣伝だ! と思い出し、『射精責任』の宣伝をする。これだけ他社の売り上げに多少なりとも貢献したのだから、自分も頑張らなければ。ここで匂わせなくでどこで匂わせるんだ!

 しかし、元のTweetが5000イイネ、1000RTを超えたあたりから、様子がおかしくなり始める。元の『妾と愛人のフェミニズム』の紹介Tweetに「根拠は?」「エビデンスは?」「こいつは男のことを何もわかってない」等、責め立てるような口調のリプライが次々と届くようになった。私は著者ではないし、有料で売ってる本の主張の根拠の詳細を、無料でねだるのは違うんじゃないかなぁ…と戸惑っていたところ、「フェミニズムの話題にロクなものはない」というリプライがついて理解した。攻撃的なリプライ主のプロフィールに飛ぶと、延々と女性憎悪を書き込み続けているアカウントばかりだった。「フェミニズム」そのものが話題になることが気に食わない、という人たちがたくさんいるのだ。

 少しすると、元のTweetにぶら下がっている『射精責任』という四文字も、攻撃の対象になった。「受精責任も問え!」「出た、女の他責」「股を開いたやつが悪いだろw」等……人生で見たこともない悪意に満ちたリプライの数々。まだタイトルしか公開していないにもかかわらず、反射的に反応する人たちの多さに驚いた。

 『射精責任』は望まない妊娠による中絶をテーマに、男性の生殖における当事者性を論じた本だ。『射精責任』の当事者は、望まない妊娠をして中絶を経験した女性たち。彼女たちはこんなに過酷な偏見やプレッシャーに晒されているのだ、と改めて実感した。言葉を持っている私は、与えられた役割をきちんと全うしなければ。身が引き締まるような思いがした。

パイプカットからタンポポへ

 5月中旬。デザイナーの水戸部さんはタイポグラフィの名手だ。そのため、通常よりも早く帯文を提出するように求められていた。私が最初に書いたボディーコピーは、「コンドームが嫌い? それならパイプカットすればいいんじゃない?」(本文より)。本書はとにかく避妊、そのなかでもコンドームの有用性を強く訴えている。コンドームは利便性、価格、避妊の成功率、性感染症の予防、どれをとっても5つ星だと。それにもかかわらず、何かと理由をつけてはコンドームを着けたがらない男性への怒りを込めた一節が、上記のフレーズだ。

 しかし社内のPR会議で、言葉が過激すぎてネタ本だと思われてしまうのでは?という指摘が。現状に落ち着いた。『射精責任』というタイトルの強烈さを「タンポポ」というフレーズで和らげる作戦。

 男性は、ほんのわずかに気持ちいいことのために、本当に女性の人生を危険に晒すのでしょうか? ええ。晒します。そんなことは毎日起きています。道端に咲くタンポポぐらい、ありとあらゆる場所にある話です。(本文より)

 「タンポポぐらい、ありふれている」。ほんのわずかに気持ちいい瞬間のために、あなたを大切にしているよと口先では言う人が、避妊をしてくれない。そんなのおかしいはずなんだけど。でも、あるあるだ。そういうかなしい状況を、著者のピリッとしたユーモアが受け止めてくれる。

 こういったことに対して、女性が腹を立てていると考える男性がいるかもしれません。しかし、多くのケースで女性は腹を立てていません。女性は男性と同じ文化のなかで育てられてきました。男性の喜びや利便性が最優先だと教えられてきました。自分たちの痛みをないがしろにすることを教えられてきました。そしてその教えは消え去ることがないのです。私たちは、同じ教えを別の人たちにも伝えてきてしまいました。(本文より)

 裏(表4)の帯文はこのフレーズにした。編集しながら、村井さんが「全俺が泣いちゃうね」と言った部分だ。多くの女性が抱えている忸怩(じくじ)たる思いが表現されている。村井さんとは編集しながら、何回も何回も長文の感想メールをやり取りした。何度も何度も、女性として生まれたこと、痛みをないがしろにされてきたことの怒りと悲しみを交換した。そういう対話が、日本でも始まってほしい。男女共に読んでくれ。

なお、懸念されていたタイトルについては、事前に『射精責任』の四文字が話題になって浸透したと認められ、修正を求められることもなかった。三宅さん、すごい。感謝だ。


次回、「『射精責任』③ 応答」に続く。


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