見出し画像

プディとの思い出

 かれこれ15年ほど前の話。
 クリスマス休暇が過ぎ去り、ボクシングデイセール(年末セール)真っ只中の繁忙期、家に帰ると夫が電話で友人と話をしていた。
いつものように大きな声で話しているので盗み聞きと言うのでもなく耳を傾けていると、夫は何やら懸命に断っている模様。
私が帰ってきたことに気付いたらしく、『ちょっと聞いてみるから』とかなんとか言っている。
 友人との通話を保留にしたまま事情を聞くと、どうやら1週間ほど前に友人の娘が瀕死の子猫を拾ってきて自室で世話をしていたのだけど、飼い犬(かなり凶暴なシェパード)に見つかって殺されそうになったので手放すことに決めたのだとか。
そこで白羽の矢に当たったのが我が家だったらしい。
しかし夫の職場でとはいえ、うちもすでに番犬を飼っているので(うちの子は気立の良い牧羊犬なので名ばかりの番犬)、もう一匹ペットを買う余裕など経済的にも時間的にもない。
しかも私は生まれてこの方、猫を飼ったことがなかった。
 正直に余裕がない、猫を飼う自信がないと理由を並べて断ろうとしたのだけれど、向こうも引き下がらない。
 夫はといえば、私の意向を友人に伝えているだけで、最終的には私次第だと考えているようだった。
 いつまで経っても埒が空かないので、私が『そんなに言うならわかった。オスの黒猫なら飼っても良い』と伝えたところ話はすんなりと決まり、翌日、友人とその娘が『猫の飼い方』が書かれた数枚の手書きのノートとオスの黒猫を携えて家に訪れた。
 
 いただいた猫の取説を読みながら新しい住人との生活が始まった。
ソファに座る時も間違って潰さないようにと座る場所をチェックしてから。
歩く時も蹴飛ばさないように、踏みつけないようにと気をつける。
何をするにも猫優先の生活だ。
 
 私にとっては人生初の猫だ。
名前はじっくりとよく考えて決めたかったけれど、気がつくと夫が勝手に『プディ』と呼んで手懐けていた。
プディもまんざらではないようだ。
 
 片手の掌に乗る仔猫は、ちっちゃなクマのぬいぐるみのようでなんとも可愛らしかったが、2年も経つ頃にはタヌキかと思うほど貫禄が出た。
 
 安全面を考えると室内飼いにしたかったけれど、プディは当然のように脱走した。
 最初の3年くらいは塀を忍者のように駆け上がり逃亡していたが、歳と共に身体が重くなってきたのかガーデンテーブルから塀に登ることを覚え、塀の上を歩いて外に散歩に行くようになった。
 私が仕事に行っている昼間は近所に遊びに行っているようで、私が帰ってきて名前を呼ぶと必ず塀を登って帰ってきた。
 
 プディは最強のツンデレで機嫌の良い時は私のお腹に乗って鎖骨あたりをふみふみし、気持ちがいいのか目を細めて涎を垂らすことがあったり、週末、私が寝坊をすると起こしに来たり。
かと思えば起き出した私の足を追いかけて本気でアタックするので私の足はいつも傷が絶えなかった。
 
 猫らしく高いところが好きでタンスの上に片付けてある布製のスーツケースの上でお昼寝するのがお気に入りのひとつでそのスーツケースはプディのベッドとなり、その後スーツケースとして使われることはなかった。
 
 彼の得意技はソファの下に入り込みソファの底で爪研ぎをすることだった。
 もちろん底だけでなく全ての面で爪研ぎをするのでソファは数年でボロボロになったが、プディがいなくなってからも数年使い続けた。
 
 雑種だとは思うけど長毛種だったので身体を洗う事がしばしばあったが、さすがに肝っ玉の大きい猫だけあって太々しくもおとなしく洗わせてくれた。
身体が濡れると途端にサイズが代わり、途端に貧弱に見える。
それがまた可愛らしくて仕方がなかった。
 
 水道水を流せばそこから水を飲んだ。ピチャピチャと水道水を飲む姿はとても愛らしかった。
 
 隣人さんも猫を飼っていて、プディはそこの猫とも交流があったらしく、猫ドアから勝手に隣家にお邪魔して隣人さんのシャワーを監視することもしばしばあったらしい。
いつも私がシャワーから出ると私の足についた水滴を舐めとって彼なりに毛繕いの手伝いをしてくれているのだと思っていたけれど、プディの中身はどうやらただのスケベオヤジだったことがわかり大笑いをした。
 
 かなりわんぱくで屋根にかけた梯子をものおおじせずに登りきったは良いものの降りられなくなったことがある。
鳴いて助けを求めるわけでもなく上からじっとこちらを見おろすだけ。
あまり鳴く子ではないけれど、明らかに目で助けを求めていた。
仕方がないから夫がリュックを背負って梯子を登り、プディをリュックに詰め込んで降りて来たこともあった。
下僕が迎えにきてくれると知って調子に乗ったのか、直後、懲りもせずまた梯子を登ろうとしていたが。
 
 ドライブも好きだったようで、車に乗せても嫌がる様子はなく、じっとして外の様子を眺めていた。
 どこに連れて行っても正々堂々としているので、義実家や義姉の家に食事によばれて行くときは一緒に連れて行くのは当たり前。
 近所の夏祭りに(一応リードをつけて)連れて行ったこともある。
 お気に入りの場所は近所の芝生のグラウンドだった。
犬の散歩ついでに同じようにリードをつけて連れて行っていたのだが、余裕綽々でベンチに寝転び周りを観察する大物だった。
特によその犬を怖がっている様子は見られなかったが、今思えばよその犬がプディに襲いかかることもなかったのはやはり奇跡だったように思う。
ただグラウンドはとてつもなく広く、それだけはやはり不安だったのか、いつも私の後をついて歩いた。
 
 ただ、プディは食事にはうるさかった。
やはり猫には魚だと思い、魚の猫缶やパウチを与えたがどれも拒否。
魚嫌いなんて珍しい猫だと最終的にカンガルーの肉に落ち着いた。
 ある日、隣人さんとおしゃべりをしていて知らされたのだが、どうやら彼は隣家では普通に魚の猫缶をいただいているらしかった。
私が試したものと同じメーカーだったにも関わらず、うちでは一切魚は口にしなかった。
 ちなみに三件先の猫を多頭飼いしていた人の家にもお邪魔していて、そこではうちとは違うカリカリをいただいているようだった。
 どうやら各家によって食べるものを変えていたらしい。
どおりでどれだけ食事制限しても痩せないわけだ。
 
 猫に九生ありと言われるようにプディもたくさんの危機を乗り越えた。
 まずはうちに来る前にすでに死にかけのところを夫の友人に見つけられたところから始まり、直後、その恩人宅の犬に喰われそうになっている。
 うちに来てからもある早朝に見知らぬ人から私の携帯に電話があり、出てみるとプディが家の前の道路で動けずに鳴いているという。(ネームタグに書かれた名前と番号のおかげで私に電話があった)
急いで夫に出向いてもらったが、どうやら道を渡ろうとして轢かれたらしい。
動物病院が開くと同時に連れて行き、X線やCTスキャンなどひと通り検査をしてもらった。診断の結果、打撲だけで他は何の異常もなしだった。
 家の天井に貼ってある布製の飾りの上を歩いて彼自身の重みで落ちたこともある。
うちは一部が二階まで筒抜けで高さは優に6mはある、しかも床はタイル張り。
たまたま二階にいた私が天井部分から猫足が出ているのを見つけ、ダッシュで一階まで降り、落ちる瞬間にクッションを敷いたので身体の大部分は衝撃から免れた。
 その他にもカリカリをがっつき過ぎて喉に詰まらせ息ができなくなり蘇生処置をした夫に口に指を突っ込まれて意識を取り戻したこともある。
その時にショックのため、夫の指を千切れんばかりに噛み付いて夫も大怪我をした。
 外猫あるあるで、縄張り争いか、餌の取り合いをしたのかは知らないけれど、大きな怪我をこしらえて帰ってきたことも数知れず。
 私が知っているだけでこれだけあるのだから、もっと前科があるはず。
 かなりの強運の持ち主に見えたが『後大静脈血栓症』であっけなく私たちの前から去っていった。
5歳という短い命だった。
 
 10年近く経つけれど、プディが逝ったあの日の事を思い出すだけでいまだに心が乱れ、涙が溢れる。
プディのおかげでたくさんの楽しいことがあった。
ツンデレのあの子からたくさんの愛をもらった。
いつかまた会える日を楽しみにしている。
 
 今日は猫の日。
 そして明日はプディの命日。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?