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うつ病の私が見ている世界 第10話

 〇〇心療内科の玄関で、はたと立ち止まった私に、
「大丈夫、次回またお話しすれば良いんですよ」
 丸メガネの老女が言った。
 はあ、と言葉少なに返事をして、私は重たいドアを開けた。
 喫茶店で、造花のガーベラ装飾がフラワーロックに見えたとか、キッチンで壁に潜り込む影を見たとかを松永医師に話す前に、学習発表会の日に感じた「大勢の目が怖い」のは、一体なんだったのか知りたかったのに。

 〇〇心療内科のドアは、入る時はオートだけれど、出る時は重いドアを押し開けなければならない。
 人生の暗示めいた意匠なのか、偶然か。
 外に出ると、秋はどこへやら、照りつける日差しに私は急いで木立に入った。
 〇〇心療内科を取り囲む、人工的に作られた木立。

 今回もまた薬が増えた。
 エビリファイを服用しても消えない幻覚。
(フジリンゴ族たちは見えなくなってしまったが)
 私がつい、パートから帰宅してソファに横になったら、壁がぐんぐん伸びて行った、なんて言ってしまったばっかりに「疲れていると、そういうふうに見えることもある」
からと、よく眠れる薬を出してもらった。
「寝る前に飲んでね」
 ここのところ、朝の三時には目が覚めてしまう。
 睡眠導入剤のひとつなのかな。

 レキサルティOD錠0.5mg。
 別の名は、ブレクスピプラゾール。
 調べてみると、「総合失調症における幻覚や妄想などの陽性症状、感情の鈍磨や意欲の減退などの陰性症状、記憶などの認知機能障害を改善する薬」とあった。
 総合失調症?
 ちなみに副作用に眠気があった。
 なんだか、変な方向に向かっている気がする。

「ラムネみたいに水無しで飲めますよ」
 いつもの薬剤師さんが言った。それ以外は淡々と処理をした。

 まるで病院巡りだが、そのまま歯科医へ寄った。
 奥歯の差し歯が取れたのだ。とれた理由は忘れてしまった。
 差し歯は小さな端切れに包んで、紐で縛って持参していた。
「奥歯の差し歯が取れたんです」
 歯科医師が怪訝な顔をした。
「内海さん、奥歯に差し歯なんて入れていましたっけ」
「あ、奥歯の並びかな。昨日、取れそうだと思って、両手で触ってみたら、剥がれちゃって」
 と、持参したはずの小袋を探している途中、ドッと冷や汗が吹き出した。
 あれ?私、奥歯の差し歯なんて取れたっけ。
 そもそも、前歯の横の差し歯が、川崎大師門前の銘菓トントコ飴で取れてしまった時は、ずいぶん小さくなった私の前歯の横を見て、もうこれは、これでよし!と放ってしまったほどなのに。
「ごめんなさい、先生」
「はい?」
「差し歯が取れたの、夢でした」
 診察量だけ払って、帰路につく。
 いつ見た夢だったか忘れてしまった。
 でも、すごくリアルな夢であったことは確かだ。
 端切れで包み、凧糸でキュッと縛る感触も、しっかり手に残っている。
 奥歯の差し歯は、まるで木の皮のようにシュッと外れた。
 でもそういえば、うちに凧糸なんてあったかな。
 以前、チャーシューを作った時に、みんな使ってしまったのに。
 そうは言っても、私の奥歯はしっかり口腔に、ちゃんとあった。  

 憮然としたまま帰宅した。
 夫や娘たちには、なんとなく差し歯の話はしなかった。
 ただ、レキサルティという薬が増えた、よく眠れるようになるらしい、とだけ話した。眠れるといいね、と夫が言った。パートに寝坊したら困るけどね、と私が答えた。 

 さっそく、眠る前に服用してみた。
 なんと、二時に目が覚めてしまった!


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