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「とりあえずバーチャル用の賞一個作っとくか」でそこに座らされるようなことがあったらそれでは全然意味がない

「とりあえず役員に女ひとり入れておくか」「とりあえず旗頭としてLGBTの人間を入れておくか」のノリで作られた椅子に誰かが座らされることにどこまで意味があるのかっていうこととたぶん似ていて、だからもしミスiDに「とりあえずバーチャル用の賞一個作っとくか」でそこに座らされるようなことがあったら私にとってはそれでは全然意味がない…。だって私はバーチャルの姿でミスiDに出ることが普通の選択肢になればいいと思っているから。
(なんで私がそう思ってるのかは↓のマガジンの記事を全部読んでくれれば伝わるはず)

それを達成するには逆説的にまず私がちゃんと一人の人としてミスiDとして認められなきゃいけない、そこを目指したい、だから別に自分がミスiD的な才のある人間だとは全然思わないけど自分を無理やりそこまで蹴り上げて全てをなんとかしようとしているというのが今日までの全部だった。

本来の私の資質とかやりたいことを考えれば本当はミスiDじゃなくてミスiDのスタッフを目指す方が順当だったんじゃないの?と自問自答することも多々あるけど、でもスタッフを目指すには私はミスiDというプロジェクトに対して懐疑的な姿勢すぎるし、ひとたびスタッフになればたぶん公に言いづらくなることが増えるだろうし、どこまでも対等にフェアにミスiDというプロジェクトと対峙するためにはエントリーする側になるしかなかった、という風にも思う。
賛同できないことを黙殺するということでは私が私に求めるものとして全然足らない、という気持ちもこの人生の中で募り続けていた感情だし…。


ミスiDにエントリーしたり、色んな人にインタビューさせていただいたりして自分のことも改めて色々考えるけど、やっぱり自分の根底には演劇学科で戯曲を書くコースにいたことがずっとあるんだよなと思う。自分の能力を最大限使って誰かの輝きを引き出すみたいなことがしたいんだろうな。あと創作の素材として自分を使うことがあんまりおもしろくなくて(生身の身体で自撮りすることがあんまり楽しくないのも本当にこれ)、他者を起点にして何かを紡いでいくことの方が楽しくて好き。全く小劇場という文化圏にも大学という文化圏にも馴染めず、カンパニーみたいなことも人とのモノづくりもまっっったく向いてないし人付き合いも苦手で社交性も皆無だが、それでもなお私はやっぱりそれをやりたいと思っているんだな。これが私のやれる私なりの最大限の演劇なんだと思う。

やりたくない仕事をさせてお金を払うんじゃなくて、その人のやりたい仕事をしてもらってそのことにお金を払いたい。
これは演劇学科にいた文脈からも、アイドルやコンカフェのおたくをやってた文脈からも両方でずっとそう思ってる。