最後に残ったミスiDへの願いの気持ち

そりゃ年功序列という概念が完全だった頃は「理不尽に耐えて黙って頑張っていればいつかは報われる」はそうだったかもしれないけど、今は「理不尽に耐えて黙って頑張っている」ということを誰にも気づかれないままただただ時間だけが過ぎていく感じがして。そんな風に人知れず一人で静かに傷ついて行くぐらいなら、ちゃんと言って欲しいと私は思ってしまう。

自分が所属しているその場所で、「自分はこう思っているけど、でも自分の意見はきっと通らないだろうし、そもそももしかしたら全然正しくないかもしれない」ってことはたくさんあるけど、それでも「自分のいる場所や視線の高さからはこういう風に見えている」ってことは、自分にしかわからないし、自分にしか言えないことだから、自分が言わないと誰にも伝わらない。

ただやみくもに自分の意見を通そうとすることと、自分の意見を誰かに伝えようとすることは全然違う。
本当に自分が今いる場所を良くしたいのなら、年齢も立場も性別も関係なく、「自分からはこういう風に見えている」を表明することをそこにいる誰もが惜しまずにいられる環境であること、その声に互いに耳を澄ますこと、そこから私とあなたとあなたとあなたと…にとっての最善を模索することが、一番必要なことで。
もしもこれが綺麗事に聞こえるんだとしたら、それは私じゃなくて世がおかしい。そのぐらいただただ当たり前のことなのに。

学校や社会や政治が、「立場の弱い人間が意見を言ったら不利益を与えるぞ」みたいなメッセージを放ち続けているこの地獄の中で、ミスiDに関わる人達だけはその地獄に染まらないでいて欲しいってことが、この半年走り続けている内に私の中に最後に残ったミスiDへの願いかもしれない。