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覚悟のある人間を「覚悟があるから」という理由で傷つけて良いとは全く思えない

私が「生身じゃなくてもいい」ということを伝えるためにどうしてここまでしようとしているのかその背景について書いて行きたいと思います。

たぶん、一番最初にそう思うきっかけになったのはAKBの映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」を見た時だったと思います。運営の管理不足で本番の西武ドーム公演裏が壮絶な状態になっていてメンバーが過呼吸でバタバタ倒れていく中で、同じく過呼吸でふらふらの状態のあっちゃんに曲のイントロでスポットライトが当たってあっちゃんがにこって笑った瞬間ぼろぼろ涙が出てきましたが同時に心の中で強く警鐘が鳴りました。
「この涙をカタルシスにしてはいけない」
女の子を無為に傷つけて傷つく姿をエンターテイメントにしようとする残虐ショーを「エモい」の一言で済ませて消費するようなことを私はしたくない。そんなものを見て私は「彼女達も傷つきながらがんばっているから私もがんばろう」なんて絶対に思わない。
私は彼女達にがんばって欲しいんじゃなくて傷ついて欲しいんじゃなくて、例え夢が叶わなくても幸せになって欲しかった。
たぶん最初にはっきりそう思ったのがこの時です。

BiS(今で言う第一期BiS)に距離を置くようになったのも大体同じ頃、同じような理由だった。過激さをエモさに変えてそれを原動力に上がって行こうとすること、それを彼女たち自身が納得していようといまいと私はもう見ているのが辛くて、だったら私が見るのをやめるしかないと思った。
「普通のことをやって売れるほど才能があるならそれでいいけど、平凡な奴が普通のことやっても売れるわけがないから」みたいなことをWACK代表の渡辺淳之介がなんかのインタビューで言ってて、たぶん言ってることは正しいんだろうけど全っ然支持できね~~~~~~~と思って、でも私にできるのはSNSでWACK所属(当時はまだつばさレコーズだけど)アーティストと渡辺淳之介にまつわる単語は書かないようにして彼のバズ狙いに一切加担しないことしかないと思ってそこから一切の言及もやめた。これもよっぽど例外がない限り今もそうしている。

その後BiSをやめた寺嶋由芙ちゃんがフリーの状態でミスiDに出て、それをきっかけに私はミスiDを知ったというのも今となれば数奇な縁に感じるね。

「無為に女の子を傷つけることでエモさやバズを生もうとしているものに一切加担しない」しか私ができることは今までなくて、そのできることを私の規模でできるだけやっていたつもりだったけど、でもやっぱりそれだけじゃなんだか全然足りないと思っている。今だってそう。