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人間賛歌の時代だからこそ

僕は3年ほど前から夜な夜ないろんなトークイベントやセミナーイベントに参加してきました。自分の中の何かを変えたくて、世界の広さを知りたくて、いろいろ周っていたんですね。で、その『場』の熱量に刺激されたり、圧倒されたり、共感したり、いろいろしました。

ただ、その時に持った違和感があります。それは「イベントの主宰者や登壇しているゲストが主役でいいのか?」ってことです。なんか、すごいゲストを呼んで、参加者は「わ~スゴイ~!」って憧れの目で見ながらゲストを賛美する光景には違和感を持ちました。

僕はひねくれものなので、どこか冷めている目があるのだと思います。
「ホントにゲストはスゴイのか?」
「ゲストと私たちは違うのか?」
「ゲストを祀りたてることがいいとこなのか?」

確かに、すばらしい功績を残している人たちです。でも、だからって僕たちが劣っているわけでも無く、僕たちと同じであり、僕たちも何か出来る人たちだと思います。そして、功績を残したからその人たちは素晴らしいのか?今後、何も残せなかったらその人たちに価値は無いのか?

かなりひねくれてますね・・・

そんな時にTEDで出会った動画があります。
エリザベス・ギルバートがベストセラー作家になったあとの苦悩とそこから抜け出す思考を話しています。

エリザベス・ギルバート 創造性をはぐくむには
https://www.ted.com/talks/elizabeth_gilbert_on_genius?language=ja

人間賛歌の時代だからこそ、人間自体がつぶされる
コミュニケーションツールの発達は誰でも称賛を受ける可能性を秘めていると思います。でも、その反動や影の部分もあると思います。

世の中の繋がりが強く太くなり、社会の流れが速くなり、僕たちは急き立てられるように走り続けないと周りに取り残される。(いや、”取り残される感覚に陥る”が正解かな?)そんな走り続けることを強要される時代だからこそ、立ち止まり、自分を見つめ、何かに救いを求めるのも大切なんじゃないかと思います。

人間賛歌の時代だからこそ、人間以外に何かを託す。
そんな思考が大事なのではと僕は思っています。

今日も僕は僕らしく、Civil Engineer(土木技術者)として人がつかうためのまちを作っていきたいと思います。まちを使うみなさんの声を聞かせてください。

全部で998文字でした。(タイトル除く)

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