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「この中では英語ができるひと」と「政治家になるひと」

アメリカの西海岸からヨセミテ、グランドキャニオン、モニュメントバレーなどの国立公園を中心に2週間以上、車で旅をしている。

とはいっても、ちょっと贅沢な家族旅行という感じで、バックパッカーのような旅、というわけじゃないんですが。

そんななか、僕が苦しんでいるのは、自分の「英語力」なのです。

学生時代の英語の成績は「自分では好きでも得意でもないが、テストで足を引っ張られる教科でもない」というくらいでした。

仕事では、専門に関しては、英語の論文を1本2時間で、ある程度の要点は理解できるくらいです。

しかしながら、英語の勉強というのは、大学を卒業して以来、ほとんどしたことがないんですよね。

海外への旅行や学会出張も何度かあるのですが、家族旅行であれば、僕よりも英語が堪能な妻や添乗員さんが、学会であれば、留学経験がある上司や同僚が、自然な感じで通訳をやってくれて、もともと知らない人と話すのが苦手な僕は、英語を使う機会がほとんどありませんでした。

そんななか、突然降ってわいたように2ヵ月くらい、海外を家族旅行することになって。

でも、僕はそんなに深刻に考えていなかったのです。

まあ、英語の成績は悪くなかったし、英語ペラペラな妻がいるし……

ところが、実際に旅行がはじまってみると、「英語」に関しては、苦戦の連続でした。

アメリカの習慣みたいなものも、よくわからなかったんですよね。

そして、いちばん困っているのが、僕にも「通訳」の仕事がまわってくる、ということで。

今回は、義父、妻、7歳ともうすぐ2歳の息子2人、そして僕という5人のパーティで旅をしているのですが、このメンバー編成だと、常に全員一緒に行動する、というのが難しいのです。

とくに、2歳の次男は行けないところが多いので、誰か大人がひとり次男を担当し、残りの3人は別行動、というパターンが少なからず出てきます。

僕としては、次男担当として、英語をしゃべらずに生きていきたいところなのですが、次男は「パパ、いや」と、なんとなく振付師を思い出す拒絶の姿勢を示すことが多いこともあり、僕が義父と長男とともに出かけることになります。

そのパーティ編成だと、僕が通訳とアメリカの人との交渉を担当する、という状況にならざるをえない。

正直、まあ、そのくらいのことはやれるだろう、と多寡をくくっていました。

ところが、実際にやってみると、悲しいくらい、僕の英語は通じない。そして、相手が言っていることもわからない。

そうやって、自分が「この中では英語がいちばん使える人」ポジションに押し出されてみると、その立場のつらさ、めんどくささ、みたいなものを、ようやく実感することができました。

いやほんと、スターバックスで注文をしたら、全然違うのが出てきて、長男に「でも、これで良いよね?」と懇願するも「絶対イヤ!」と泣かれて店員さんと交渉したり、アイスクリームを頼んだら、なんか巨大なのが出てきて、また長男は悲しみ、義父からは「まあ、しょうがないよ」と言われながらも、なんとなく「もったいないことして……」という冷たい視線を感じていました。

そして、僕はようやく実感できたのです。

添乗員さんとか妻や上司のような「英語のできる人」に交渉を依頼するときって、「『英語ができる人』は、われわれ『英語ができない人』のオーダーを完璧に相手に伝えるのが当たり前」って思うじゃないですか。

でも、外国での交渉事っていうのは、言葉だけじゃなくて、文化の違いもあって、一筋縄ではいかないことが多い。

僕自身が「その役」になってみると、交渉を担当するというのはけっこう大きなプレッシャーで、アイスクリームを注文するときでさえ、なかなか言葉が通じず、もどかしい気分になるのです。

スモールサイズ3種類のはずが、ミドルサイズ2個で出てきても、これを店員さんと再度交渉する手間や難しさを考えると「あれこれ言わずにこれを我慢して食べてくれないかな……」と思ってしまうのです。

What?って何度も聞き返されたあとだったりすると、とりあえず、アイスクリームを注文して、アイスクリームが出てきたんだから、最低限はクリアしてるだろ、これで許してくれ、息子よ……というくらいの心境です。

添乗員さんや職業としてやっている通訳の場合は、「それが仕事」であり、対価が発生しているのだからちゃんとやらないとしょうがない。それでも、現場的には難しいことも、多々あるのでしょうけど。

しかしながら、僕がこれまで「お任せ」してきた妻や上司というのは、こんな相手と自分の仲間の板挟みになるような立場を、あえて引き受けてくれていたのか、と、自分が矢面に立たされてみて、ようやくわかったのです。

こういうのは、責任のわりには、うまくいった場合にみんなに「すごい」と思われるくらいしか報酬のない、割に合わない仕事なんですよね。

それでも、誰かがその役をやらなければ、海外旅行というのは、うまくいかない。

そういうのが大変だから、まだまだツアー旅行にも根強い人気があるのでしょう。

ただ、自分がそうして前線に立ってみると、状況を自分で進めていけるという快感みたいなものもあるし、ある種の「達成感」も生まれてきます。

ああ、自分もアメリカ人と英語でこんな交渉ができるのか!

……と思った直後にフードコートで注文後に水が出てくるのがどのボタンなのかわからず、コーラを入れてしまったら、店員さんに「今度やったら1ドルもらうからね!」とたしなめられてしまいました。なんかカップが違う、とは思っていたんだけどさ。

まあでも、アメリカには、旅行者がこの国の「常識」を知らないことに関して、「一度は大目にみるよ」という雰囲気を感じます。

それが、いろんな人が入ってくる国の「諦め」なのか「処世術」なのかは、よくわからないけれど。

旅をしながら、こういう「海外旅行で、仕事でもないのに通訳を引き受けてくれる人」っていうのが、「政治家」になれる人なのかな、と考えていたのです。

直接理解するのが難しい関係の二者のそれぞれの利益をすりあわせ、それなりの妥協点を見出して、物事を前に進めていく人。

まっとうにやればやるほど、責任は大きく、面倒事ばかりで、感謝されるどころか、「英語ができてうらやましいねえ」なんて、かえって陰口を叩かれることもある。

みんな、自分の要求が通って、交渉がうまくいって当たり前という認識で、口で言うほど感謝してもいない。

失敗すれば、「なんでこんな簡単なことさえ、うまく相手に伝えられないんだ?」と責められる。

それでも、嫌々ながら押し出され、あるいは、みんなの中では、自分がやるのがいちばんベターだろう、という判断のもとに、彼らはその「矢面」に立つのです。

もちろん、そうやって目立つのが大好きなだけ、という人もいるのかもしれないけれど。

「鼻につく」存在ではあるけれど、誰かがやらなければ、物事は前に進まない。

こういう「英語に不慣れな集団の海外旅行での交渉役の延長」と考えると、「政治家」っていうのは、けっして「特別な存在」ではないし、今回の僕みたいに、状況によっては、お鉢が回ってこないともかぎらない。

彼らの仕事をきちんと理解しようと思うのなら、自分も英語を勉強するしかない。

それが難しければ、信頼できる人を選んで、仕事をしやすいようにサポートするのが自分のためでもあります。

あるいは、自分で舵取りをすることに挑戦してみるか。


正直なところ、今回の旅は、楽しいばかりじゃなくて、いろんな恥をかいたり、家族の間でもギクシャクしたりもしています。

でも、こうして文章にしてみると、40代半ばになっても、まだまだ恥をかいて考えたり、学んだりすることもあるのだな、と、少し嬉しくもなるのです。


マガジン:いろんなものに流されて、とりあえず旅に出てみたよ。

というわけで、こんな旅行記も書いています。有料(マガジン全部で300円)ですが、よかったら手にとってみてくださいませ(途中までは無料で読めます)。

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