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トーハクの常設展とすみだトリフォニーホール「究極のゴルトベルク」コンサート

シバコウカンがゴルトベルクを聴いた!

そんなこと、ありうるのかな?

バッハ(1685-1750)が60歳をすぎた頃、日本でこの人が誕生しました。

後に絵師、蘭学者となる司馬しば江漢こうかん(1747-1818)です。

江戸に生まれ、浮世絵、西洋画、西洋科学などを学び、その知識を世に広めた人。


1770年前後

司馬江漢の師匠は、浮世絵を多色化し「錦絵」へと発展させた鈴木春信はるのぶ(1725-1770)、

司馬江漢は春信から学んだ末に、春信の贋作を作るようになります。この浮世絵も、よく見ると絵の左下に「春信画」の文字。

春信が突然この世を去ったのは司馬江漢が23歳のときなので、司馬江漢が春信の代わりを務めなければならない、というような事情があったのでしょう、きっと。


1778年頃

その司馬江漢は1778年頃、江戸を離れ長崎や平戸に滞在しています。

なので、もしかしたらキリシタンからの影響を受けたかもしれませんし、長崎奉行所が所蔵していた「親指のマリア」というこの絵を見ていたかもしれません。

「親指のマリア」というイタリアの絵が長崎奉行所に渡ったのは、

この作品を持っていたシドッチ(1668-1714)というイタリア人宣教師が禁教政策最中の日本へ武士の恰好で渡航してきたものの、捕まってしまい、絵は没収され、身柄も拘束されて長崎へ送られたから。

それが1708年のことで、その後、1709年にはシドッチは江戸へ護送され、小石川の切支丹屋敷で幽閉されたまま生涯を終えるのです。


1780年前後

司馬江漢が西洋画を描けば秋田蘭画らんがを超えるような出来栄えとなります。秋田蘭画とは江戸において西洋画へいち早く取り組んだ、活発な活動期間が1772-1780あたりの主に秋田出身の画家たちのこと。

ただ、司馬江漢が描いたこの絵はどう見ても日本の光景ではありません。海外の資料を描き写したと考えられるのですが、その模写の右上に「江漢司馬峻」と、姓と名をひっくり返したサインを書き、堂々と名乗っています。


トーハク

2023年12月6日(水)、

東京国立博物館で「キリシタンの祈りと聖母マリア」という展示があり、そこで「親指のマリア」の実物を見てきました。

私は無宗教ですが、聖母像、踏み絵、マリア観音、キリシタン関係遺品の数々に信仰の重みを感じます。

コンサート

日付は前後しますが、
2023年12月3日(日)14時、

すみだトリフォニーホールで行われた「究極のゴルトベルク ヴィキングル・オラフソン + 清水靖晃&サキソフォネッツ」というコンサートへ行ってきました。

前半はオラフソンのピアノ演奏、後半はサックス5人とコントラバス4人によるバッハの「ゴルトベルク変奏曲 BWV988」。

オラフソンがグレーのスーツでステージに現れ、ピアノに座り、鍵盤の位置を確認するかのように両手を中央から両サイドへ滑るように移動した後、静かにアリアの演奏が始まります。

(オラフソンによるBWV988 第1変奏の演奏動画はこちら

コンサートホールで見たオラフソンも、演奏動画のようにリズミカルに弾く場面では、身体が時計回りに円を描くような独特な動きで、魅力のある心地よい演奏でした。

演奏は、アリア+30変奏+アリアの32曲。

第25変奏のゆっくりとした演奏の後、第26変奏が高速で盛り上がってゆくところが特によかった。

イリーナ・メジューエワの著書によると、第26変奏について次のように語られています。

この曲は大変です。体力的にも技術的にも、もう、参りましたという感じです。第25変奏で精神的にくたくたになったあとに、400メートルを全力疾走するみたいな(笑)。

イリーナ・メジューエワ著 
「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」より

(オラフソンによる第26変奏の演奏はこちら、アンドラーシュ・シフの演奏動画はこちら、そしてラン・ランがこちら、数秒づつ聴き比べたくらいで違いがわかる三者三様です――シフが渋くて、ラン・ランがゴージャス、その中間でバランスよく無機質なのがオラフソン――)

さらに、イリーナ・メジューエワの著書では、バッハがゴルトベルグ変奏曲を作曲するにあたり参考としたのは、ブクステフーデ(1637-1707)作曲の「ラ・カプリチョーザ」という作品で、

この曲は、大勢で「キャベツとかぶ」のことを歌っていた当時の流行歌を元に、32曲で構成された変奏曲なのだそうです。

(ブクステフーデ作曲「ラ・カプリチョーザ」のピアノ演奏はこちら

1817年9月

出島に商館長として赴任したブロンホフ(1779-1853)は、オランダから妻子や乳母を連れ、ピアノも持ってきました。当然、楽譜も持ち込みなので、その中に1741年出版バッハ作曲「ゴルトベルグ変奏曲」が含まれていたかもしれません。

そして、70歳となった司馬江漢も、もう一度長崎へ行こうと思ったかもしれません。


1817年9月27日、

出島で晩餐会が開かれ、商館長ブロンホフの妻ティティアがピアノを弾きました。(これは史実)

曲は「ゴルトベルグ変奏曲」で、それを聴いた司馬江漢は泣いてしまわぬよう涙をこらえました。(私の空想)



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