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N響の定期演奏会と映画「カラーパープル」について

2024年2月9日(金)19時半開演、NHKホールで大植英次さん指揮によるN響の定期公演を聴いてきました。

1曲目はワーグナー「ジークフリートの牧歌」2曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」で、特に1曲目の開始に驚いたので、そのことから書いてみます。

まず演奏後に投稿されたN響のX(twitter)を見ていただいて、

左側の写真が、1曲目演奏開始早々に撮影されたもの。指揮者の大植英次さんが指揮台に登った後、棒立ちで、なかなか指揮を始めないという状況です。

私は「どうして?」と、目をパチクリさせておりました。

普段なら指揮者が指揮台に上がり、演奏者を見渡し「問題ないよね、さあ、始めましょ」というようにいくぶん前かがみになり肘が少し上がり「それ」と開始を合図するところ。

その動作がないのです。

「なんだか、いつもと違うなぁ」と私が考えているうちに弦楽四重奏として4名での演奏が始まります。指揮なしで。

写真をよく見ると、4名以外演奏を開始していません。

後でN響のXへの投稿を見て「弦楽四重奏から徐々に楽器が加わり〜」とあるので、意図して指揮なしの開始となったことを知りましたが、Youtubeで「ジークフリートの牧歌」の演奏動画をいくつか見ても、指揮なしで徐々に楽器が加わる演奏というのはありません。

私はとてもめずらしい演奏形式を体験したようです。

穏やかで落ち着いた、いい演奏でした。

ここでの「ジークフリート」はワーグナーの子を指すそうで、曲を聴いた印象では、

「ジークフリート」の人生は「ほのぼの」。

一転して2曲目のリヒャルトシュトラウス交響詩「英雄の生涯」はド派手な曲で見どころ聴きどころもたっぷり、

コンマスのヴァイオリンによる超絶技巧な独奏とか、和音が崩壊してぐちゃぐちゃデタラメ(のように聴こえる)場面、トランペット奏者が途中退場してステージ外から演奏したり、奏者全員による大和音の後、無音、大和音、無音・・・と続く大迫力など楽しませていただきました。

プログラムノートによると「英雄」とは誰を指すか諸説あるそうで、いずれにせよ曲を聴いた印象では、

「英雄」の人生は「壮絶」。

N響の演奏を聴いた次の日、2月9日(金)に公開されたミュージカル映画「カラーパープル」を観てきました。

原作は1982年に出版された小説。

その原作が1985年に映画化され、2005年にはブロードウェイでミュージカルとなり、2023年にミュージカル版を映画化したのが今回、私が観てきた作品です。

舞台は1900年初頭のアメリカ南部、黒人に対する人種差別もさることながら、黒人社会における家父長制により女性への差別もひどいという家庭の話で、そこに暮す裁縫しか取り柄のない女性が主人公のセリー。

セリーのどん底の困難を抱えた境遇から年老いてどうなるか、約40年間をたどる物語です。

ミュージカルということもあり、音楽が秀逸でした。

(日本のアルプス一万尺みたいな)手遊びうた、強制された労働環境を表わすワーク・ソング、祝福したり祈ったりする教会でのゴスペル、酒場で歌われるブルース、明るくて軽いモータウン、ドンドコドコドコとアフロビート的なドラミング、そして、(ミュージカルでなくてはならない)ゆびパッチンにコーラス、シャウト、おまけに、ブギー、ソウル、ビッグバンドジャズと華やかで、歌と演奏とダンスが豪華絢爛けんらん

「カラーパープル」というタイトルは、自然界に咲いている少数派の紫色の花、その美しさを、目立たないけれどほんの少しある自分の良いところに例えて、

その良いところに気づいてますか?
見つけてもらう準備をしていますか?

という意味のようです。

「セリー」の人生は「パープル」💜


読んでいただき、ありがとうございます。

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