見出し画像

【短編小説】今更サマー


 〇


 夏の曲を夏に書いていたら夏が終わった。


 世の作曲家たちはどのようにして季節の曲を作っているのだろうか。仮にクリスマスの曲をクリスマス直前にリリースしたかったら遅くとも夏の終わりには作詞・作曲を完成させなくてはならない。果たして夏に作るクリスマスソングに情緒が乗るだろうか。

 作詞・作曲に限らず作文や絵画でも共通して言えることだが、創作というのは想像力が命である。そのため季節の曲を作るのが苦手な私はきっとクリエイターとして不向きなのだろう。


 『失恋』や『絶望』といったテーマであれば記憶の紐を引っ張り、創作することもできたが、人間は冬には夏の暑さを忘れぬくもりを欲し、夏には冬の寒さが恋しくなる生き物なのだ。


 ○

 夏の暑さが残る9月、私は『冬の失恋ソング』の制作依頼に苦しんでいた。失恋ソングは小説や、漫画を参考にできるため得意分野だったが、前述した理由で季節ソングは避けてきた。しかしコンペではなく直接の指名依頼だったため期待に応えたいとは思っていた。


 冬の情緒を思い出すため、出来るだけ冷房をガンガンにかけクローゼットから引っ張り出したコートを着たり、録画したお正月のお笑い番組を見ながら季節外れのミカンを食べたりもしたがリアルな冬の情景は浮かんでこなかった。


 もちろん音像として鈴の音を入れたりすることで"それっぽいもの"が出来上がったが、どうしても自分にはそれが"冬のコスプレ"をした夏に見えて情緒がないと感じていた。


 先輩の作曲家に季節ソングについて相談をしたことがある。先輩は「聴いてるひとはそこまで考えてないよ」と一蹴し、笑われてしまった。いよいよ私はクリエイターとして向いていないのだろう。


 20代後半にして何とか音楽を生業と出来てはいるものの、この生活は正社員として商社で働いている彼女の稼ぎと、私が週に一度か二度入る喫茶店のアルバイトの支えがあってやっと成り立っているようなものだった。高校の同級生たちと疎遠ではあったが、何となく抜けられずにいるグループLINEで彼らの結婚報告を見るたびに気分が滅入り、そして付き合って5年になる彼女に申し訳ない気持ちになった。



 〇


 昼頃、『冬の失恋ソング』の制作に煮詰まった私はアルバイト先の喫茶店に行くことにした。煙草と財布、読みかけの本をポケットに詰め込み、自室を出たら彼女がシャワーを浴びている音がした。今日は土曜日で彼女はオフである。


 お風呂の扉越しに「ハイジ(バイト先の喫茶店の名前)行ってくるわ」と声をかけると「うーん」と返ってきた。ふと、彼女の裸が見たくなった。しかしわざわざお風呂の扉を開けて嫌な顔をされることを楽しめる気分でも無かったため断念した。

 洗面台の鏡を見るとブルーに染めた髪の根本は2センチほど黒髪が見えていた。下北沢の美容師曰く

「プリンになってきても馴染むように出来るんで任せてほしいッス」

 とのことだったので散髪無精であった私も髪を染めることを決意したが、確かに、黒髪が見えていても違和感がない。軽薄そうな男だったがその腕前は確かにプロだったわけだ。感心しながら色の境目を見ていたら、数本白髪があることに気づいた。気づいてしまった。


 深くため息をついて彼女に改めて「行ってくるわ」と伝えた。聞こえていなかったのか、彼女からの返事は無かった。


 履き古したナイキ エアハラチを履き部屋を出る。部屋ではまだ冷房を聞かせていた9月。ドアを開けると熱気が私を包み、空気の形を感じた。


 ハイジに着くと最近入ったアルバイトの北見さんの姿があった。北見さんは近くの大学に通うとても要領の良い女の子で、アルバイトを始めて2週間だというのにマスターからの信頼も厚い。
 あたかもずっと前から働いていたかのような慣れた所作で私をお気に入りの大きな観葉植物の影の席に案内してくれた。


 ハイジは自宅の最寄り駅近くに位置しており、まるで植物園の温室の様に観葉植物が生い茂っていることで有名だ。その雰囲気が好きで以前から客として通っていたわけだが、マスターと仲良くなり、自分の仕事の事や暮らしぶりについて話すようになり「だったら」とアルバイトとして採用してくれた。

 もう働き始めて2年になる。今年で70になるマスターからは「店を継いでくれ」なんてことを冗談めかして言われているが、飲食店の経営なんて想像することもできなかった。
 高校の同級生たちなら真っ当に社会経験を積んで、そういった選択肢も考えられるのだろうか。自分は29歳にもなって精神が高校生のままで恥ずかしい。僕なんかよりきっと北見さんの方が店長には適任だろう。


 自分が大人である事を必死で確かめ、示すかのように煙草に火をつけた。冷房の効いた店内で冬に思いを馳せるべく森見登美彦の『太陽の塔』を読み始めた。何度も読んだことがある小説ではあるのだが冬の小説をと思い真っ先に思い付いたのがこれだった。

 彼女と出会ったのは専門学校で、同じサークルに属していた。銘柄の煙草を吸っていたというだけが会話の入り口だったがそこから始ま5年以上付き合っている。彼女は就職するタイミングで煙草を辞めてしまったので、今煙草を吸うのは私だけだ。部屋で吸うのも憚られるのでいつもベランダで吸っている。


 彼女にとっての煙草が大人の象徴であったかは分からないが、きっと彼女は就職したタイミングで本当の意味で"大人"になり煙草など必要無くなったのだろう。


 余計な事ばかり考えてしまい小説を読む目が滑る。あまりにも頭に入ってこない為、読書を断念した。インスタを開くと専門学校時代の友人がレストランの料理の写真を上げていた。なにやら大きなお皿にちんまりとした肉やら見たことの無い野菜が載っている。いくらくらいするのだろうか。それすら分からない。


 思えは彼女とのデートは古書店やカレー屋さんが主でこういったいわゆる『レストラン』みたいなところには行ったことが無かった。彼女は会社の人とは行ったりしているのだろうか。


 作詞や作曲は改めて共感が飯のタネだ。もちろんそれだけではないが、より多くの人に共感してもらえてやっと価値を見出してもらえる。こんなにも物を知らない私が誰に共感できるだろうか、誰に共感してもらえるだろうか。誰に必要としてもらえるのだろうか。


 真っ先に浮かんだのは彼女の顔だった。


 そして私は音楽を辞めようと思った。


 音楽を辞めて、ちゃんと働こう。音楽は辞めなくてもいいが趣味にしよう。今受けている依頼だけきっちりこなしたら仕事としての音楽は辞めよう。

 さっきのサラリーマンみたいにスーツを着て髪を黒く染めた自分を想像したがどう考えても怒られているイメージしかできない。それでもいい。怒られよう。怒らながらお金を稼いで、彼女を大皿にちんまり肉が乗ったレストランに連れて行こう。

 私も働き始めれば彼女と仕事の話もできるかもしれない。世界の人に共感してもらう以前に、目の前の人に共感してもらえなくてどうする。
就職して、お金を稼いで、そして、結婚しよう。


 お会計を済ませ店を出る。これまで2年くらい靄がかかっていた頭の中がすっきりしている。何を知ったわけでもないが世界の解像度が高く見える。いや、彩度が高く見える。

 彼女に働き始めることにした事を伝えよう。就職活動はきっと苦戦するけど、それでも頑張ると伝えよう。


 余りに足が軽いものだから、途中花屋でマリーゴールドをベースとした花束を買ってしまった。結婚についてはまだ話さないでおこう。立派にモノを知って稼げるようになった時、打ち明けよう。



 家に着くと彼女はいなかった。冷房は消えていたがまだ冷気が残っている。そしてテーブルの上には別れを告げる置手紙と、ご丁寧にこの先数ヶ月分の家賃が置いてった。


 「何故?」とも一瞬思ったが、それはよく考えると当たり前の事の様にも思えた。むしろ今まで20代後半にして結婚もせず別れもせず、5年も付き合ってきた方が「何故?」である。


  ○

 その後、結局『冬の失恋ソング』は仕上げられなかった。『冬の』に関しては自分の納得いくものを作ることができたが、『失恋ソング』の部分がどうしても作れなかった。


 本当の失恋を感じた今、『失恋』という事象に対しての解像度が高すぎて、とてもじゃないが4分の曲に乗せる事などできなった。そのうえ、個人的な感覚と一般的な感覚の線引きが出来ていない気がして、それを作品にすることができなかった。


 花瓶に生ける気になれなかった花束は冷蔵庫の上で干からびている。

 音楽は聴く人がいて初めてそこに意味が生まれる。花束は渡す相手がいて初めて意味が生まれる。大切なことは、共感でも斬新さでもなく、相手の事を思う事だ。

 夏の曲を夏に書くのは聞かせたい相手の居ない人間のすることだった。

「…って思ったんです。なので歌詞を書くときは聴いてくれる人のことを思って書くようにしています」

「なるほどーーそうなんですね。ありがとうございました!!」

「改めまして、輝け!日本レコード大賞、最優秀新人賞 藤本薪さんでした!!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?