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[短編小説]ワレモノ注意

 夕飯後、食器を洗っていたらグラスを割ってしまった。
 一人暮らしの長い独身女としては今更これしきの事で慌てたりはしない。しかしかなり細かく割れてしまった様子で、私は慎重に破片をシンクから取り除き、紙袋にしまっていった。そしてシンク内や台所近辺に掃除機をかけた。
 慎重に作業をしていたつもりだったが、どこかで指先を切ってしまったようだ。水にぬれた指先には血がにじんでいた。

 幼いころは良く祖母に
「ガラスで指を切ると、細かいガラスのかけらが血管をを通って心臓までいくよ」
 などと脅されていたことを思い出す。
 大人になった今、これが注意喚起の意味を兼ねた迷信だと分かるが、それでも私の指を裂いたガラス片が、いま腕のあたりを通過していて、そのうち心臓にまで到達する事を想像すると気味が悪く鳥肌が立った。

 割ってしまったグラスは私が母の遺品整理の際に実家から拝借してきたもので、食器棚の奥の箱にしまわれていた。実家にいた頃から使ったことこそないが、物心ついたときにはその箱は食器棚にあったように思う。
 父曰く、結婚した際にお祝いとして母が高校の恩師のおじいさんからもらったものらしい。
 特別高級なものではなさそうだが、青みがかったガラスにあまり馴染みのない模様が入った薄造りのグラスで、光にかざすととても綺麗だった。
 引っ越したばかりで食器が不足していた私は発見してそのまま自宅へと持って帰ったのである。しかし持ち帰ったその日のうちに割ってしまい、結果一度も使う事は出来なかった。

 翌朝、仕事から帰宅し、夕飯の支度をしてるとまたガラスで怪我をしてしまった。今度はガラス片が床に落ちていたようで足の裏に米粒ほどのガラス片が刺さっており、キッチンマットには血のシミが出来ていた。
 改めて掃除機をかけなおし、ついで割れたグラスを燃えないゴミとして出そうと、戸棚から紙袋を出すと、不思議なことに、しまっておいたグラスのほとんどが無くなっていた。

 それからというものの、家のいたるところにガラス片が落ちており怪我をするようになった。ある時は靴の中、またあるときはお風呂場のバスタオルの隙間にまで挟まっていた。割れた際に飛び散っただけでは到底到達し得ないところにまでガラス片が潜んでおり、まるでガラス片が、私の見ていない所で私を傷つけるために意思をもって動いているかのようだ。
 毎回小さなガラス片であるため、ほんの少し血の球が浮かぶ程度の怪我であるが、どこにガラスが潜んでいるか分からない生活は私を疲弊させていった。

 ある深夜、全身に痒みを感じ目が覚めた。ベッドから這い出ると全身にチクチクとした痛みがあり、明かりを付けると、ベッドにガラス片が散乱していた。あの日紙袋に集めたガラス片をここにぶちまけたかのように粉々の青みがかったガラス片が散乱しており、私は腕や脚、背中、顔にまで細かい傷を負っていた。そしてそれと同時に下腹部を尋常でない痛みが襲った。  
 もう立っても居られない状況で、私は救急車を呼び、病院に搬送された。

 病院に着くと全身の怪我から交通事故の患者かと勘違いされたが、詳しく説明したとて理解してもらえないだろうと思い、黙って治療と検査を受けた。全身の怪我自体はただの切り傷で、悪い菌も入っておらず時間が経てば直るだろうとのことだったか、原因不明の腹痛もあったため、念のため巨大なトンネル状の検査機で検査を受けた。
 検査結果が出るまで私は病院のベッドでうめいていることしかできなかった。その間もベッドや院内着に触れる肌がチクチクと痛み、いまも服の中にガラス片が紛れ込んでいるかのような感覚があった。

 何名かの看護師を連れて医者が病室に入ってくる。
「検査の結果なのですが、おかしなものが映っておりまして…」
 医者がなぜか困惑した表情をしている。
「あなたの体内に影が映っておりまして、詳しいことは分からないのですが、何かガラスのような硬いものでできた何かが映っています」
 そう言って医者がいくつかの写真を並べていった。
 並べられた写真を見ると、輪切りにされた私の"胎内"に、胎児のような形をした何かが映っていた。

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