芸術(吐血・嘔吐・排泄)
突然ですが、最近全然曲が作れません。
DAW(パソコンで曲作るソフト)を前にして、音を組み合わせれば音楽はできますが
なんとなくそこに魂が入っていないような気がして発表しようという気になれません。
そこで今回は私が10年ほど前から考えている芸術排泄理論のお話をします。
音楽排泄理論
私は芸術を作り出す人には三つのパターンがあると思っています。
①血を吐くように作る人
②うんこするように作る人
③ゲボ吐くように作る人
突然汚い話ですみません。
これは私がずっと昔から考えている考え方で、芸術を生み出すにあたっての当人のメンタルの状態についてあらわした種別です。
①血を吐くように作る人
これは体や心がの調子が著しく悪くその表れとして吐血するように芸術が生まれる人です。(私はこのタイプです)
このタイプの人は心の調子が悪い時にはとめどなく音楽が生み出されるものの、心の調子が良くなると途端に曲が作れなくなります。
芸術が生み出せなくなった際には、作るために自分の心や体を追い込んだりする必要があります。
私はこのような、血を吐くように魂が乗った創作物が好きですが、この手の人はコンスタントに創作を続けることがなかなか難しいです。
しかしその創作物には魂の叫びのような念がこもったものが出来上がることが多いでしょう(それがわかりやすいとは限らないが)
②うんこするように作る人
このタイプの人は作ろうと思ったときにいつでも創作をすることができます。
日記を書くように、花を生けるように、作りたいときに生み出すことができます。
作りたいときに作れる分、小手先の自由が利きメッセージ性の強さよりもシーンでの立ち位置やセンスのようなものが問われます。
コンスタントに発表し続けることができ、漠然とした念のようなものを必要としていないため「技術」や「理論」に傾倒する人がおおいイメージがあります。
③ゲボ吐くように作る人
先述した①と②の中間のイメージです。
体調が悪い時に吐くことができ、作ろうと思ったら喉に指を突っ込んで吐くこともできます。
おそらく、血を吐くように作っていた人が、売れて心の健康を手にしてしまった後で、それでも曲を作り続けていくためにこの食べ吐きの技術を身に着けていくのではないかと思います。
魂がこもった曲をコンスタントに作り続けていくことができる理想の形だと私は考えています。
血・ゲボ・うんこスペクトル
これらは極端な話で実際はもっと中間のひとが存在していると思います。
・排泄したうんこと吐いたゲボを混ぜて提供している人
・吐いた血をうんこに見えるようにして提供している人
・ケツから血が出ている人
いろいろいると思います。
売れてるアーティストをイメージして「あーあの人はゲボタイプだな」などと考えてみるのも楽しいかもしれません。
売れてる人なんかは完全な吐血タイプの人なんかいないんじゃないですかね。
インプットについて
ゲボとうんこをするための第一歩として大事なのは"食べること"です。
作曲においても"食べる"こと、つまりインプットが大切です。
きっとうんこタイプの人は体に良くてセンスのいいものをよく噛んで摂取することでより良い作品を作ることができるようになるのに対して
ゲボ・血タイプの人は一概にそうとも言えないのではないかと思います。
ゲボ・血を吐くには体に悪いものを摂取したり、焼石を飲み込むこともたまには必要です。
最近の私
最近はうんこをするように曲を作ることを試みています。
げぼを吐くように曲が作れるようになるための第一歩として積み木を組むように曲を作っていますが、自分で全然良いと思えません。
「別にこれ僕が作らなくてももっとうまく作れるひといるよな」
といった気持ちになり手が止まってしまいます。
そこに自分の色が出てくるように、げぼ吐くにもうんこするにも、
血が混じるようにいろんなものを摂取するのが大事なのかもしれませんね。
これを書きながら整理できました。
以上、素敵な芸術排泄ライフを。
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