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されど我が友、我が故郷…

 「シン・ウルトラマン」を劇場で観てから約十ヶ月、「シン・仮面ライダー」を鑑賞しました。
 猟奇的発想による人類の救済を謳う人外合成型オーグメント(怪人)たちの組織、『SHOCKER』によってオーグメンテーション(改造手術)された本郷猛が、かつて構成員であった緑川ルリ子とともに、『SHOCKER』のオーグたちと、そのトップに君臨するルリ子の兄、緑川イチローを倒すべく奮闘する…という物語です。

 この作品のビジュアルは全体的に、初代テレビシリーズ序盤の雰囲気を、現代的かつ映画として豪華にしたような感じでした。
 序盤からミニチュア特撮が使用され、テレビの第一話を再現した仮面ライダー初登場のシーンには思わず惹きつけられました。
 また、ストーリーや展開面では、萬画版や他の石ノ森章太郎作品から引用したイメージや設定を、うまく物語に組み込んであったのが、素晴らしく感じました。

 そんな今作で描かれていたテーマの一つとして、「絶望を味わっても見知らぬ多くの他者のために行動できるか」があったように感じています。
 今作での『SHOCKER』は、かつて『深い絶望』を味わった人間たちをオーグに改造し、強大な力を使わせることで、人類全体を幸福にするのを目的にしています。
 しかし、力を与えられたオーグたちは、『深い絶望』を味わったという経緯はあれど、思考がねじれて狂気に呑まれた本物の怪物となり、自らが考える幸福のために人々の生活や生命を脅かそうとしていました。
 このオーグたちは、“お上”という立場で傍若無人の限りを尽くす、今のこの国の政治家や資本家といった“上級国民”たちを表しているようにも見えます。しかし、もっと深く掘り下げて考えると、彼らの傍若無人も含めた『深い絶望』に疲れ、現実から逃避し、自分の脳内にある仮想世界…“メタバース”に閉じこもった私たち現代人の、最果てにある姿にも見えました。
 フェミニストと非フェミニスト、右翼と左翼、若年層と高齢層……SNSという空間だけで熾烈な対立が起きるインターネットがさらに発展し、各々の“メタバース”……自分の信じたい世界観に閉じこもることがますます進むと、自分自身の完全な心の安らぎのために、自分の世界観を全ての人々に押し付けて傷つける怪物=オーグになるのだろうと感じました。

 そのオーグたち同様、本郷猛は、過去に『深い絶望』を味わい、バッタオーグにされたにも関わらず、ルリ子をはじめ、オーグ化されていない、いつかはオーグたちの餌食されてしまう見知らぬ人々を「大切な人」と捉え、彼らを助けるべく、仮面ライダーと名乗って戦いながらも、倒したオーグたちに黙祷を捧げます。
 彼は強大な力を手に入れ、『SHOCKER』の掲げる幸福に理解を示しながらも、「大切な人」たちが些細な幸福を享受できる世界=自分が想う“メタバース”を守るために、オーグたちを贄に捧げ、倒した後は沈痛な表情で黙祷していたのだと僕は考えています。
 その本郷の姿勢はまさに、テレビシリーズED「ロンリー仮面ライダー」の『されど我が友 我が故郷』を示していたように感じました。

 このように、僕にとって「シン・仮面ライダー」は、これまでの「シン・シリーズ」の中では、かなり身近で現代的なテーマが隠れていたように感じました。
 この感想が、二回目以降を楽しむ際の参考になればと思います。

 ちなみに、これで庵野監督が描く「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」のラインナップが揃い、新たな「シン・シリーズ」を期待する方も多いと思います。
 ですが僕は、『こんな「シン・シリーズ」が観たい!』という人が、普段配信で映画を観るような一般の人たちに向けて、自分の好きな作品を思い思いに作ってみるのがいいのではと考えています。
 僕自身は好みと商業面を考慮して「シン・海底軍艦」「シン・とっとこハム太郎(実写版で、これはシンつけなくてもいいかも…)」を作ってみたいなんて思っています。
 こんな感じで、いろんな方が考える「シン・シリーズ」を聞いてみたいですね。

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