バリ(インドネシア)に行くなら or 行ったなら考えて欲しい事。
せっかくバリに行くのなら・行ったのなら
現役世代としては最長?約30年バリ島を中心にインドネシアを往復してきた。最初のインドネシア入国はシンガポールからのビンタン・バタム島だったが、社員家族割引が使えるようになって以降、ングラ・ライ国際空港からの入国スタンプは数えきれない。いやそういった「個人的な旅行」や航空業界や観光業界の方々に続き、10年位前からは文科省のトビタテ留学Jaspanを活用して生徒を送り込む企画を始動したり、それが縁で様々な団体(タイモブ・V50・Gift)や現地で活動しているNGO(Sure-co)やジャワ島の孤児院やマングローブ保存活動の人々とも接点ができるようになってきた中で、せっかく現地の状況を肌で感じ、鼻で匂いすら嗅いできたのであればそれらの背景にある部分も理解して欲しいとの強い思いから以下にまとめてみた。
バリ島(インドネシア)の歴史 オランダ以前
この辺りは高校生ならばちゃんと世界史の授業を受けてくれって言いたいのだけど、現実は「受験世界史」を理由にあまり指導されてこなかったと思う。で、できるだけ簡単にまとめると
紀元前2000年ごろには、台湾起源のオーストロネシア語族(台湾から、東南アジアからフィリピン、インドネシア、マレー半島に南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に、さらに東の太平洋の島々やニュージーランド=マオリへ拡散)が居住していたとされ、紀元前1世紀ごろから交易を介してインドや中国の影響を受けるようになり、ドンソン文化(これセンター試験に出たよね)の影響を受けた銅鼓が発見されるなど、古くから人が住み稲作を中心とした文明が開けていた。ということは我々日本とも関係があるって事。例えば、バリ島の音階と沖縄の音階が似ているのを感じる人いませんか? 4世紀に入るとヒンドゥー教に属するジャワの人々が来住し(だって対岸見えるぐらい近い=フェリーでGO!)、ジャワ王の支配下のもとで発展。11世紀に入るとバリ島の王朝は東ジャワのクディリ王国とのつながりを強めるようになる。水利組合:スバック(あの棚田が維持できるのもこの制度が維持されているから)など伝統的な文化・慣習(カヤンガン・ティガ:村々にあるプラ:小さな祠みたいな奴)の起源もこのころから。
で、その後いろんな王や王国があるんだけど、有名なところでは現在のシンガラジャの辺りのシンガサリ王国とか、マジャパヒト王国(これも入試に出るよね)に侵攻を受けて建国されたゲルゲル王国とかいろいろあるんだけど、、そんなマジャパヒト王国が16世紀にイスラム勢力の侵入により衰亡すると、その王国の廷臣、僧侶、工芸師たちがバリに逃れてくるようになる。まさに亡命って感じ。彼らの影響によって、古典文学や影絵芝居、音楽や彫刻などヒンドゥー・ジャワの影響を受けた文化が花開いた。さらには、ジャワから渡来したヒンドゥー高僧がタナロット寺院やウルワツ寺院など数々の寺院を建立するなど、宗教面での発展も見られた。
オランダ(VOC)との関係(歴史と経済)
日本との関係
占領期と26050817
戦後賠償と根本 七保子(ねもと なおこ)
スハルトとアジア通貨危機
メガワティと民主化
テロ事件と楽園(リゾート)の課題
グリーンスクールとビーチクリーン
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