朝のことごと 6
比喩というものが、比喩として機能しているのか多分に怪しいものだと、近頃私は考えているのである。
事物XYに相関関係αがあるとして、このαを、別の事物を借用して説明したとする。それが仮に事物ABだとしたら、本来事物XYとABに共通する要素は、相関関係αのみであるはずだ。全く異なるとされる事物に、同様の相関関係が成り立つとしなければ、比喩は比喩として働かない。
しかし、事物XYとABをよくよく観察してみれば、Xに対しA、YにしてBと、それらが互いに共通する何らかの要素を持ち合っていると気がつくのである。比喩が根本のところで、実は成立していない。話は、先祖返りしてしまう。
では何故、比喩なる営為が存在し、我々はそれに何の疑いも挟まずにいられるのか。
それは、我々が比喩を用いるときに持ち出した、事物XY・ABは、根のところで事物XY・ABではないのである。我々は、比喩しようとするとき、事物XYのうち特徴的なある要因X’Y’、事物ABでもA’B’を取り出して、それを事物XY・ABそのものであると置き換えて、話をしているのだ。
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