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急ぎの原稿書いてる時に限って自己分析したくなるのは何なんだ

現実逃避以外の何物でもないな。

というわけで開き直って書きたいことを書きたいように書こうと思います。
記念日合わせの〆切まではまあ多めに見積もって22時間くらいあるんでたぶん大丈夫でしょう。

さて。

ヒイコラ言いながら文章を書いていて、ふと思ったわけです。
小説の体裁を持つものを執筆するにあたって、私が楽しみを見出しているのは「削る・切り貼りする」ターンなのではないか? と。

私はプロットを立てられないタイプの小説書きなので、
思いついたシーンやセリフをとっかかりに、物語の冒頭からずらずら書いていって、書いたストーリーの流れを見ながらすでに書いた部分を都度修正しながらさらに先に進む、
というプロットを立てて書く人からすると不安で発狂しそうな手順で書いています。
書いてみるまで結末どころか次の展開がどうなるかすら本気でわからないんですよね。常にライブ感というか。

で、そうやって書いてて一番楽しいのって、
ストーリーそのものを進めている時じゃなくて、
「ここ書き方くどい」「説明しすぎ」「流れが悪い」「重複してる」「緩急がついてない」「キャラの思考に合わない表現を入れるな」「言葉の使い方間違ってる」「比喩が謎」「情景描写が不足している」「表現が直接的過ぎ」「シーンを整理しろ」「行動と状況が矛盾してる」「誤字」「脱字」「謎改行」
などと自分の文章にツッコミを入れている時ではないか……?
ということに、はたと思い至ってしまったのですね。

……マゾか?
いやたぶん違う。違うんです。

これはたぶん彫刻とか造形の感覚に近いような気がするんですけど、
基礎になる巨大な粘土の塊や木材を用意するのはめちゃくちゃ大変で苦労するけど、
それを削って磨いて着色して装飾していく段階はのめりこむほど楽しい、
というような。
でも素材がきちんとできていないと、そういった小細工は全然映えなかったりそもそもできなかったりするわけで、
自分が納得できる素材を用意できるのもまた自分だけなんですね。

たぶんこの基礎になる素材がプロットにあたる部分なので、別立てでそっちを先に作ってから思う存分加工=小説体の文章を書く段階に移ればいいのでは?と思わんでもないんですが、
いかんせん小説体の文章を読まないと自分でも次の展開が見えない。ある程度先に進んでから、
「あ、この展開ここで伏線張っておけばスムーズに回収できるじゃん」
「ここで説明パート入れとかないとわからんな」
「このへんで時間経過示したいから何か飲んでもらおう」(氷が溶けるとかぬるくなるとか書きやすいので、会話劇では飲み物飲ませがち)
「ここにこの比喩入れるならこっちでこの比喩入れて対比させとこ」
って戻って書き足したりもする。
普通それはプロット段階で考えるやつだよ。いやわからん。プロットは比喩のことまでは考えないのかもしれん。わからん。教えてプロットの人。

これの何が困るかっていうと、擦り切れるほど読み返すからアホみたいに時間がかかるんですね。
例えば最終的に3000字の小説が出来上がるとして、実際にタイピングした文字数はたぶん10000字くらいある(書いてから削る字数が多いので)し、それを何回も戻って読み直すので総計30000字分は読んでいる。
ピクシブって字数によって読了目安時間を表示してくれるんですけど、30000字は大体1時間くらい読むのにかかるらしいです。
普通に書く時間プラス余分にそれだけかかってたらそりゃ筆は遅いわけです。

どうにかできんかなー、と思うこともなくはないんですけど。
でも楽しいなと思ってる自分の方が強いので、たぶんどうにもならんやつですね。
まあ楽しければいっか。原稿しよ。

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