Spinoza Note 53: 観念 ideam

定義3と4で、観念について理解しづらい説明が続く。しかし最重要といってよいところだ。辛抱強く読もう。

Per ideam intelligo Mentis conceptum, quem Mens format propterea quòd res est cogitans.

Elwes訳:By idea, I mean the mental conception which is formed by the mind as a thinking thing. 
高桑訳:観念とは、精神が思惟するものであるゆえに、精神が形成するところの精神の概念のことだと私は理解する。
粗訳:観念 idea とは精神が把握するものである 

詳しくみると、Mentis と Mens という用語が現れている。 mental と mind に相当するが、これらの用語が含まれることで、観念に精神活動が関与することがわかる。最後に cogitans が置かれるので、「考える」ことが精神の重要な特質と推定する。

Beth Lord は Spinoza が物体を定義する際(定義1)、それを様態、すなわち有限のものとしているのに対し、定義3で観念を定義するところで、そのような条件を加えていないことに注目し、この「精神」は人のものではなく、神のものだと指摘する。その解釈に従うと、神が考えることで観念が様態化し、無限あるいは有限の観念が生じる。

ここから先、注意が必要で、神が考えることで(観念ばかりでなく)、人間の精神が生じる。それが正しいなら、この定義が神の精神と人間精神の関係に言及している。

繰り返しになるが、「観念」として人間の精神が生じてくる点に注目する。「観念」というと我々はイメージや像、シンボルを思い浮かべるが、Spinoza の場合、観念という用語が「人の精神」を含む。これは観念 idea という用語の特殊な使い方であり、Spinoza 特有の用語である。その痕跡は定義3の説明にみられる:

Expricatio: Dico potiùs conceptum, quàm perceptionem, quia perceptionis nomen indicare videtur, Mentem ab objecto pati. At conceptus actionem Mentis exprimere videtur.

解説:私は、知覚というより、むしろ概念といいたい。なぜなら、知覚という言葉は、精神が対象から働きかけを受けているのを暗示しているように見えるが、それに反して、概念は、精神の或る働きかけを表現していると思われるからだ。

高桑純夫訳

観念を説明しつつ、概念の説明をしている。Spinoza は観念というと知覚されるもの、人が受動的に受け取るものととられることを警戒している。受動的ではなく、積極的に人が働きかけて構成するのが観念である。だから本当は概念と呼びたいのだ。解説を読んで少し視界が開けてきたが、まだ神が抱く観念が人の精神になる理由がわからない。

原文に戻ろう。概念と訳されているのは conceptum あるいは conceptus だ。英語だと concept だから概念と訳したのであろうが、積極性を考慮すると「概念化」とした方がよい。動詞にすると conceive だ。その原義は次の通り:

conceive (v.)
late 13c., conceiven, "take (seed) into the womb, become pregnant," from stem of Old French conceveir (Modern French concevoir), from Latin concipere (past participle conceptus) "to take in and hold; become pregnant" (source also of Spanish concebir, Portuguese concebre, Italian concepere), from con-, here perhaps an intensive prefix (see con-), + combining form of capere "to take" (from PIE root *kap- "to grasp").

Meaning "take into the mind, form a correct notion of" is from mid-14c., that of "form as a general notion in the mind" is from late 14c., figurative senses also found in the Old French and Latin words. Related: Conceived; conceiving.

Etymology of conceive

粗訳:13世紀後期、conceiveは「種を子宮にいれること、そして妊娠すること」の意であった。ラテン語だと「取って保つこと、ゆえに妊娠」の意味だ。そこから14世紀以降、子宮を精神に読み換え、「(思考の)種を精神にいれること」そして「正しい考えを得ること」を意味するようになった。

ここまで考えると、神が概念化することで人間精神が生じる理屈が理解できる。神が思考の種を自らの精神に入れ、その結果、人間精神を得た(生み出した)と解釈できる。conception することで concept が生まれることがあるし、conception によってさらに別の conception するものが生じることもある。conception は(比喩的に)生殖能力が高いので自己増殖するのも自然ななりゆきだ。そんな風に納得できる。イメージや写真のような静物ではなく、自己増殖する細胞のようなものだ、観念は。そのように観念の意味を理解する。

そういえば言葉がウィルスだと言った詩人がいた。観念をウィルスとみてもよいだろう。思うに、ある観念を理解するとその意味だけでなく、そのような観念を理解する能力も同時に受け取る。理解が深まれば、その観念を作り出す能力が培われるだろう。人の知性から切り離された、独立した観念というものはなくて、常にそれを理解したり、それを産み出す知性が伴う。Spinoza はそういうところに注目したのだろう。

勢いに乗って、定義4「十全な観念」を検討する。

IV. Per ideam adæquatam intelligo ideam, quæ, quatenus in se sine relatione ad objectum consideratur, omnes veræ ideæ proprietates, sive denominationes intrinsecas habet.
EXPLICATIO
Dico intrinsecas, ut illam secludam, quæ extrinseca est, nempe convenientiam ideæ cum suo ideato.

Elwes訳:By an adequate idea, I mean an idea which, in so far as it is considered in itself, without relation to the object, has all the properties or intrinsic marks of a true idea.
Explanation.— I say intrinsic, in order to exclude that mark which is extrinsic, namely, the agreement between the idea and its object (ideatum).

謎が多い説明だ。「十全」というのは adequate (適正な)の意味らしい。そのような観念は " all the properties or intrinsic marks of a true idea. " (相応しい特性すべてと元からある刻印)を有するというが、具体的にはどういう状況を指すのだろう。佐藤一郎は次のように解説する:

(略)それに対してわれわれ人間にとっては、この一致の真理を実際に生きるためには、真の観念を十全な観点として得て、精神をその観念で満たしていかなければならないということをこの第2部の定義は述べている。それは観念の心を、思いの様態そのものの完全さである「思念」として追求する道を指し示す。

佐藤一郎、スピノザ エチカ抄  p.278

この部分に関して Spinoza が物質(延長)に対する精神(思惟)の優位性を前提にしているように思える。現実のものと合致せずとも、知性によって真理をつかめると述べているようだ。建前上、Spinoza は物質(延長)と精神(思惟)を等しく扱うが、本音は精神を優先することがうかがわれる。

思念だけの世界を想像すると奇異に感じるが、物だけの世界なら容易に想像できる。思惟と延長が等価なら、物だけの世界と同程度に思念だけの世界が現実性を呈したって構わない。そのように考えたのだろう。Ethicaを読み進めるには、徐々に物と思念の世界を自由に行き来する技を身につけなければならない。

参考文献
Beth Lord, Spinoza's Ethics: An Edinburgh Philosophical Guide (2010)
佐藤一郎、スピノザ エチカ抄、みすず書房 (2007)

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