砂漠に水を撒く 5 青木理の「劣等民族」発言に触発されて
「砂漠に水を撒く 4 「東京裁判批判」批判」投稿後、どう書き継ぐか迷っていたところ、そして出来した2週間余りの入院生活を経たところで、青木理の標記発言が袋叩きに遭うというニュースが飛び込んできた。とりあえず書き出しは決まった。
津田大介が「それでも日本人が自民党を支持し続けるのはなぜでしょう?」と問いかける。青木理は「一言ですみます。劣等民族だからです」と答える。
すると、ここぞとばかりネット民やネトウヨたちがピラニアのように襲いかかり、袋叩き状態。報道の自由度76位のこの国のメディアも、中立のふりをして糾弾側に加勢する。
最新のニュースでは、青木が謝罪表明し、津田も「適切な反応ができなかった」ことを謝罪したという。たしかに「劣等民族」ということばの真意をもっとパラフレーズして丁寧な説明を青木に求めるべきだったかもしれない。しかしそれには膨大な言語量を要し、動画配信の枠には収まらなかったろう。戦後日本の歪な言説空間のなかで何度もくりかえされてきた茶番である。青木らは生活のために頭を下げたのだろうが、うんざりするようなデジャビュである。
その構図は「膨大な言語量・知の蓄積 vs. 脊髄反射」である。青木の一貫した自民党政治批判には地道な知的営為が必要だが、「劣等民族」発言を叩くには思考のかけらも要しない。たんなる脊髄反射でことたりる。安直なことである!
青木理はみずからの思想を一語に要約しようとして言葉のチョイスを誤ったのである。筆者なら「反主知的」と言っただろう。津田への回答として「日本人が反主知的だから、反主知的な自民党を支持し続けるのだ」と。
反主知的とは何か?
主知的といわゆる頭の良さとはまったく別物である。「反主知的」のふたつの例を挙げたい。ひとつはオウム真理教。麻原のうさん臭い教義にころりといった幹部クラスは理系の博士たちだった。もう一例は数学者。人類知のなかでも抽象的思考の極致=数学をきわめた日本人数学者のなかに「歴代天皇の名を諳んじられないのは日本人の恥である」とうそぶく人を、門外漢の筆者でさえ、二人も知っている。
もっと大きな例を挙げるなら、かつて日本を破滅の淵に追い込んだ帝国陸海軍の幹部たちであろう。かれらは厳しい士官学校や軍の大学で鍛えられた選りすぐりの俊秀たちだった。そのかれらが「日本=神国」思想や神風思想や天皇教にはいちころだった!!
(日本現代史上、矮小化された形で繰り返されたこれらの悲劇を題材に書かれた壮大なパロディが、名作『神聖喜劇』の著者大西巨人の『縮図 インコ道理教』である。興味のある方はぜひご一読を。)
唐突だが、日本は1955年以来70年近くにわたって、幻のような短い野党政権を除き、一貫して一党独裁国家であると書いたら読者は驚くだろうか?
政治の文脈では外形的事実的様態が大事である。(例えば、森友学園問題では、元シュショーAがカミさんを校長に差し出し、慶事には札束を届ける実態(=外形)が明らかだった以上、公判で求められるようなハードファクツは無用で、政治的にはクロで、断罪は可能だったはず。昼行燈のように「説明」を求めたのは愚の骨頂だった)
選挙制度と(建て前としての)表現の自由があって、それによって政権政党が選ばれている以上民主主義国家であると思いたい気持ちは分かるが、結果としてひとつの党が政権を保持し続けていることには変わりがない。民主主義の代名詞である政権交代の効用を享受しておらず、報道の自由度が低位に徘徊している以上、日本は民主主義国家ではなく一党独裁国家なのである。
たしかに日本には、中国、ロシア、北朝鮮のような強権による締め付けはないかもしれない。しかし、代わりに「反主知的」な不可視の踏み絵が瘴気のように瀰漫している。国民はそれになかば自発的に隷従するソフトファシズム(私淑する辺見庸のことば)の国なのである。
日本を独裁するその党がどんな党かといえば、次期総裁を選ぶのに九人(!)が立つという、いくつもの顔を持つ得体のしれない面妖な化け物政党! いかに思想信条がバラバラで、ごった煮状態かがよく分かる。かろうじて党の体裁をなすための唯一の紐帯(?)は利権という名の蜜の壺。
ごった煮の中身は、政治家二世から、元官僚、元歌手や元タレント、元スポーツ選手と種々雑多。そこから抽出できる共通項というか、公約数というか、いわゆる入党ための知的ハードルがいかに低く、反主知的であるかがよく分かる。
この国に瀰漫するいわゆる反主知主義の由来、不可視の踏み絵の正体については次稿(「砂漠に水を撒く 6」)にゆずるとして、最後にいくつかの補遺を;
〇次期総裁がだれになろうと知ったことではないが、鉄仮面高市でなかったことには胸をなでおろしたことだった。立候補時の所信で「国民と国民の財産を守る政治」とぶったが、いやしくも政治家としてそれを究極の目標としない政治家がいたらもぐりだろう。それを実現するための手段こそが問われている。たとえば、地震の巣とされる列島上に50数基の原発を建てることは国民と国民の財産を守ることと整合するのか否か!? 日本経済の発展に必要だったとの声もあろうが、東日本大震災以降ほとんどの原発が稼働停止していても、電力逼迫は起きていない。
〇死神(と辺見の呼ぶ)上川女史。オウム関連の確定死刑囚10数人の執行を命じて一躍党内で株を上げたが、じつは党内には死刑反対の政治家も多数いるのである。さらにはこの執行によって、なぜ理系の博士らが麻原の教義に染まっていったのか、その経緯や真相は永遠に闇に葬られてしまった。
〇河野太郎は8位だった。反主知的な党内で相対的にしろ主知的傾向を示す御仁は必ずつぶされる。(筆者はべつに河野推しではないが)
〇いかに志の高い法案が提示されても、ごった煮政党の坩堝の中では、ああだこうだと散々にすり減らされ、結果出てくるのは原形をとどめない骨抜きの法律。それを日本人は「よし」としてきたのである。
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