風塵

リタイア老人。来し方行く末は一面の砂漠。そこに時おり気ままに水やりをする。期待も幻想もなく… なべて風の前の塵のごとし。

風塵

リタイア老人。来し方行く末は一面の砂漠。そこに時おり気ままに水やりをする。期待も幻想もなく… なべて風の前の塵のごとし。

最近の記事

MLB観戦で覗き見るデータマイニング

MLBがオフシーズンに入ると、例年のこととはいえさみしいかぎり。無聊老人としては3時間の穴をどう埋めるかが日々切実な課題である。 MLB観戦の愉しみはもちろん、大谷くんの打球音を聴くことや果敢な走塁を見ることだが、じつはそれに負けないくらい大きな愉しみがある。ひとつは、MLB公式サイトのSTATSタブをクリックして選手の記録や順位をリアルタイムに検索できること。ひとつは、選手やチームの着目すべきプレーや進行中のストリークについて、その歴史上の価値を紹介してくれることである。

    • 国連の皇室典範への物言いは的外れ…(?)

      あたかも、筆者直近の拙稿(「砂漠に水を撒く 6」)に呼応するかのように、国連女性差別撤廃委員会から、「女性天皇を認めるよう皇室典範を改正すべき」との提言があったという。 誤解なきよう急いで付記するが、タイトル中の「的外れ」とは、提言が真の問題を射抜いていないの謂いであって、政府やネトウヨたちの「内政干渉」一辺倒の脊髄反射とは真逆である。 女性天皇を認めればそれで済む話ではない。真の問題は、女性も男性もふくめ、天皇皇后をはじめ皇族方はひとしなみに人権を剥奪されていることにあ

      • 万太郎の俳句

          秋風にふくみてあまき葡萄かな この可憐でさりげない句の詠者は久保田万太郎。狭い知見の範囲では蕪村に次いで好きな俳人である。俳句史上のビッグネームではないが、万太郎を天才という人もいる(『俳句の天才 - 久保田万太郎』小島政二郎)。小島はまたマイナー・ポエトと呼び、ふだん着の俳句を抒情詩たらしめた俳人と呼ぶ。 同書から目についたものを拾ってみよう。以下カッコ書きは詞書;   「終戦」    何もかもあつけらかんと西日中 (1945年8月15日についての文章にはいくつも

        • あたおかネタニヤフを止めろ

          狂人ネタニヤフの極悪非道をなぜ止められない!? 矮小化するようだが、ネタニヤフの横暴はイジメの構造と似ている。あきらかに国力の勝る強者が、明らかな弱者であるパレスチナに長年にわたり圧力をかけイジメてきた。 そんな弱者がいっとき窮鼠の抵抗をしたのをとらえて、これ幸いと、イジメの加害者が逆上し鬱憤を晴らそうとしているのが現状である。 この状況を、イジメ事件でも時々耳にするが、「イジメられる側にも問題がある」とか、「どっちもどっち」と見るのは、一見中立なようで実は加害者側に与

          砂漠に水を撒く 6  見えない踏み絵  

          前稿で戦後日本のゆがんだ言説空間、反主知的な瘴気、不可視の踏み絵、と書いたが、それは圧倒的大多数と絶滅危惧的な少数が相対峙する構図をいう。対峙といっても、両者はほぼサイレントで中身のある討論は絶えて久しい。 対立が唯一顕在化する瞬間がある。「君が代」起立斉唱強制であり、それを拒否す人々の勇気と苦悩である。学校によっては、あろうことか声を出しているかどうかのチェックのために生徒の口に教師が指を突っ込むケースもあると聞く! 国旗国歌法制定のおり、あの政権党は国会質疑のなかで「

          砂漠に水を撒く 6  見えない踏み絵  

          砂漠に水を撒く 5  青木理の「劣等民族」発言に触発されて

          「砂漠に水を撒く 4  「東京裁判批判」批判」投稿後、どう書き継ぐか迷っていたところ、そして出来した2週間余りの入院生活を経たところで、青木理の標記発言が袋叩きに遭うというニュースが飛び込んできた。とりあえず書き出しは決まった。 津田大介が「それでも日本人が自民党を支持し続けるのはなぜでしょう?」と問いかける。青木理は「一言ですみます。劣等民族だからです」と答える。 すると、ここぞとばかりネット民やネトウヨたちがピラニアのように襲いかかり、袋叩き状態。報道の自由度76位の

          砂漠に水を撒く 5  青木理の「劣等民族」発言に触発されて

          勝点1という茶番 極私的サッカー改造論

          はじめにお断りしておくが、自分はサッカーを実際にプレーした経験がない。代表の試合は欠かさず観るが、Jリーグの試合はほぼBS1の「Jリーグタイム」のハイライト映像で済ませている。 映像で観るペレやクライフやベルカンプには天才を感じるがマラドーナにはまったく感じないという、ある意味偏見にみちた老人のひとりごとでありつぶやきである。 そんなサッカーファンの末席にいる傍観老人がサッカーに抱く最大の疑問は、なぜドロー(の多さ)を放置し座視し続けるのか、という一点につきる。 リーグ

          勝点1という茶番 極私的サッカー改造論

          砂漠に水を撒く 4  「東京裁判批判」批判 

          問:また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。 ヒロヒト:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんからそういう問題についてはお答えできかねます。 問:原子爆弾投下の事実を、陛下はどうかお受け止めになりましたのでしょうか。 ヒロヒト:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私

          砂漠に水を撒く 4  「東京裁判批判」批判 

          砂漠に水を撒く 3  戦艦大和を特攻出撃させたわけ

          まことに兵の命は軽かった。 イジメの被害者やパワハラの被害者にはかろうじて不登校、転校、転職等の逃げ道がある。兵士らにそれはなかった。「お国のために」が噴飯ものなのは、かれらにとって世界とは生殺与奪の権限をもつ上官と飢餓がすべてであって、国の行く末を考える余裕は1ミリもなかったろう。日常的なシゴキと理不尽な作戦命令に翻弄されながら、あげくは木の根草の根をかじりながら露命をつないだ兵が死に臨んで「心が山のように静か」だったとはとても思えない。 靖国神社に参拝を続ける能天気な

          砂漠に水を撒く 3  戦艦大和を特攻出撃させたわけ

          砂漠に水を撒く 2  ワンチームではなかった日本軍

          死後に英霊とおだて上げるほどには、日本軍は兵士を大切にしなかった。 日本軍は人類史上まれにみる特異な軍隊だった。今でならヒューマンリソースと呼ばれるであろう兵を消耗品として扱った。上官はシゴキやイジメで日常的に兵を毀損し(軍靴でビンタし、角材で尻を殴打した)、作戦に当たっては異様に兵站を軽視した(無謀の代名詞インパール作戦、アッツ島の玉砕、等々)。兵站の代わりは神風と大和魂だった。行きついた先が特攻作戦であり戦艦大和の撃沈必至の特攻出撃だった。 先の大戦の軍人軍属の死者数

          砂漠に水を撒く 2  ワンチームではなかった日本軍

          砂漠に水を撒く  「カタルシスで終わらせてはいけない」

          早田ひなの「特攻記念館へ行きたい」発言(騒動?)で思い出したのが標記のことば。故大林宣彦監督が大岡昇平原作の映画『野火』の監督塚本晋也との対談で発したもの。戦争映画への戒めである。念頭には『永遠の0』や、遠くは『男たちの大和』があったろう。 カタルシス。それはヒロイックな場面を観させられて大泣きし、そのあとに訪れる心身が洗い清められたように感ずるアレである。間違えていけないのは、それは限りなく生理現象に近いのであって精神の活動ではない。非戦の誓いや批判精神とは無縁の現象であ

          砂漠に水を撒く  「カタルシスで終わらせてはいけない」

          独立国沖縄に行きたい

          もう二か月ほど前になるか、テレ朝の「アメトーーク」で「沖縄大好き芸人」が放映された。芸人界の勝ち組が自慢のトークを繰り広げるなか、いずれのプレゼンも面白く、沖縄のすばらしさがよく伝わってきた。彼らにとって沖縄は地上の天国なのだろう。しかしながら、無用老人にはノドにひっかかる小骨がある。はたしてかれらは知るや知らずや、かつて沖縄に生き地獄があったことを。 1999年2月(その後もう一度)、仕事で那覇市に出張する機会があった。それまで自分は観光で沖縄へ行く気にはなれなかった。太

          独立国沖縄に行きたい

          夏空@尾根幹

          夏空@尾根幹

          ユニクロでソール・ライターを見つけた

          ユニクロあるあるは、同じジャンルのアイテムが豊富で、豊富なだけじゃなく陳列棚がいくつもあって、レジを済ませて帰ろうとすると掘り出し物に遭遇してしまうこと。 先日は4FでTシャツ2着を買って2Fに降りると、ギャラリーにデザインTシャツが並んでいる。peace for all というチャリティの一群だった。歳相応に柄物は避けているので、見るともなく見ていると、なにやら目を惹く一点がある。イラスト物が多い中でフォト作品をプリントしたもの。 作品は初見だったが、独特の匂いがする。

          ユニクロでソール・ライターを見つけた

          「有効期限:令和8年〇月〇日」のおかしさ  

          現在は2024年7月。一説では令和6年だそうな。つい先日車検をすませたが、例によって受け取った車検証(やシール)の有効期限は年号表記されている。自賠責保険証書しかり、健康保険証しかり、高齢受給者証しかり、等々、鬱陶しいこと目下の猛暑をしのぐ。 年号が生身の人間の寿命にリンクされている以上、2年先1年先はおろか、1ヶ月後に「令和」が存在する保証はない。よって、行政文書の有効期限をはじめ、未来日付一般を年号表記することはきわめて不合理かつおかしなことなのである。 年号(和暦)

          「有効期限:令和8年〇月〇日」のおかしさ  

          毛越寺は「もうつうじ」か?

          世界60か国を巡っても、日本を何周回っても、何も覚えない出川哲朗の突き抜けた能天気さに癒されて「充電旅」を観ているが、数回前のスタート地点は毛越寺だった。 懐かしさに思わず身をのりだした。初訪から半世紀以上たったが、当時の感動はあせていない。若いころから旅というとなぜか足が北(北海道・東北)に向いたものだが、最初の東北一周自転車旅で立ち寄ったのだった。 京都の大寺のような「あるまじき」威圧感はなく、広濶で静謐なたたずまい(いまほど観光客であふれてはいなかった)に藤原文化の

          毛越寺は「もうつうじ」か?