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残念な櫻井よしこ

「祖国のために戦えますか」と若者たちに問いかけた櫻井女史。昔から残念な人と思っていたが、このたびは見事に問いかける相手を間違えている。

上の問いは、だれよりもまずご自身のお仲間たち、昵懇だった元シュショーAの子分たち、いましも裏金蓄財が暴露されてあたふたするおじさんたちに向けるべきだった。なんなら加えてかれらの「公表済の政治信条と裏金蓄財がどう整合するのか」を問うてほしかった。さらには「春秋の靖国参りでは英霊にどう申し開きするおつもりか」を。

その回答を公開したうえで、どうしてもというなら、若者には「こういうおじさんたちに『武器を持て』『戦え』と命令されたらどう思いますか」と問うべきだった。

女史はいまの若者に相当ご不満のようだが、筆者は過酷な労働環境のなかよく頑張っていると思う。頭でっかちのいびつな人口構成のこの国で、女史を含む過大な高齢者人口の年金財政を背負わされているのはかれらである。現シュショーKはいまになって「異次元の少子化対策」などとぶちあげているが、人口動態の知見は何十年も前から今日の姿を予見し警鐘を鳴らしていたのだった。

人は能力に応じてまじめに働いてさえいれば、結果、国に貢献しているのであって、わざわざ「祖国のために」などと言挙げして国民に過度の負担を強いるのは、為政者がみずからの失政を糊塗し、もしくは悪業を隠蔽するためと決まっている。その見本がプーチンでありネタニヤフである。

聞けば女史は講演にひっぱりだこのようで、それで財を築きひとり豪邸にお住まいとか。かつてはこういう御仁を口舌の徒もしくは高等遊民とよび、本人は自嘲もしくは卑下してひっそりと自足していたものである。そもそも女史はどんな資格どんな権威があって「祖国のために」を掲げて他人に詰め寄る権利があるとお考えになったのか!? せめてみずから子や孫をもうけ、立派な未来の兵士をお育てになってから言ってほしかった。

女史が標榜する「勁き国」は、皮肉にも、彼女が(そして筆者も)嫌悪する中国に似ていてはなはだ寒々しいのである。女史は戦後教育を、愛国心を教えてこなかったとして、こき下ろしているが、むしろ、20世紀前半の日本史をきちんと教えてこなかった、なかんずく戦争責任の所在をうやむやにしたことこそが戦後教育の失敗だったのである。女史の思想は、こうした戦後教育のサボタージュとGHQ占領政策の日和見+レアルポリティークが産み落とした鬼子である。

最後に、僭越ながらサミュエル・ジョンソンの有名な警句を引いておく。曰く、

Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
愛国主義はならず者の最後の隠れ家である。

ここでいう愛国主義とは、人を見下し高所から人に押しつけるそれのことだろう。

プーチンを見よ。かれは30万の(今も増え続けている)若者が死のうとも自分が生き残る方が「祖国のため」と思っている。狂気、それとも老人性痴呆症…?



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