ハンス・カロッサ 断章
連日、ウクライナやガザで進行中の惨状を見るたびに、カロッサの美しくもはかなげな文章のいくつかを想起する。
空が晴れた日は、夜にみた夢を早く忘れる。だが曇った日はなかなか消えていかない。
第一次大戦時のルーマニア戦線における従軍日記『ルーマニア日記』高橋健二訳(のちに『戦争日記 JOURNAL DE GUERRE』と改題)からの抜き書きである。ドイツ人には珍しい軽やかな名の医師であり詩人であるカロッサはイタリアにルーツをもつらしい。
大気の澄みきった美しい夕べだった。地球より空気がきれいな惑星上にいるような気分になる。太陽は荘厳に燃えながら沈み、西の空がハシバミの実のような茜色の残照をとどめているあいだに、ラベンダー色をしたルーマニアの山々から月がのぼってくる。
創作が混入していると言われるこの日記で、戦死したグラヴィーナという青年に仮託された次の言葉は、生涯に二度の大戦(すなわち敗戦)をくぐり抜け、しかもあのナチス時代をひとりのドイツ人としてかろうじて正気を保ちながら生きねばならなかったカロッサの心象風景ではなかったか。
「世界、荒涼とした、過酷で、不気味な世界。いま私は、そんな世界の中で、虹色に美しく輝く、薄いシャボン玉に包まれて生きているような気がする。それを壊してしまわないよう、私は息をひそめている」
「幾度となく打ち砕かれた、人間のかたちをしたものを、沈黙した瓦礫のなかから拾いあげよ」
カロッサは1956年に亡くなったが、その後いくたび虹色のシャボン玉は壊されたことか。そして21世紀のいま、破壊はより凄惨と殺伐と残酷をいや増している。ガザのがれきのなかに人間のかたちをしたものなど見つかるだろうか? 等身大の人間があっという間に踏みつぶされるこの時代・・・
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